メロンをかたどったかわいい容器も大きな特長のひとつ。小物入れとして利用した方も多かったのではないでしょうか。, パリッとした板チョコの食感がおいしい、チョコモナカジャンボ。その販売は1972(昭和47)年と40年以上もの歴史がありますが、当初はシンプルに「チョコモナカ」という商品名でした。現在の「ジャンボ」とは何が違ったのでしょうか。 PR, living 四角柱のバーと包装紙に銀紙を使用していることは発売当初から変わらないという。 1960年には「ホームランバー」に名称を変更し発売。 子どもをターゲットに、駄菓子屋で買える1本10円の価格に設定し、当時高級品だったアイスクリームを子どもでも買える値段で販売した。 1956年より 、アイスクリームバーの生産を開始。当時の販売価格は1本10円であった 。形状は四角柱状で、銀紙で包装され、スティックは木製であった。 ホームランバーは、協同乳業が製造販売するアイスクリームの商品名。九州地区向けには名糖産業が製造販売する。, 1955年、協同乳業はデンマークより、バータイプのアイスクリームの製造装置を日本で初めて輸入した。 PR, 日々の生活をスマートに楽しくしてくれるのがティファールのアイテム。ここでは、ティファール製品の使い方のコツなど、あなたのライフスタイルに役立つ情報をご紹介します。便利なアイテムを使って、暮らし上手を目指しましょう!, 今年の新米はもう楽しみましたか?炊き立てのごはんをたっぷり楽しみつくす「ごはんのお供」をご紹介します!誰もが知っているアノ老舗メニューから、ちょっと気になる変わり種まで、幅広いラインナップが大集合!, まるでチーズケーキ!? 食生…もっとみる, recipe 甘くておいしいアイスクリーム。その種類の多さに思わず目移りするほどですが、小さな頃に食べた懐かしいアイスをもう一度食べてみたいと思いませんか?ホームランバーやメロンボール、宝石箱など、思い出に残る昭和レトロなアイスをご紹介します♪, レトロでかわいい食べ物が大好きです♪ Twitterで話題「ハーベストミルフィーユサンド」を作ってみた, 【macaroni 読者限定】プレゼントキャンペーン開催!新感覚の和ピクルス「和もん」が当たる, ぬって焼いたらカレーパン!? ちなみに初代販売開始から8年経った1980年には、「チョコモナカデラックス」となり、真ん中にチョコソースが加わったものになったのだとか。チョコレートメーカーの森永製菓でこその発想ですね。パリパリ食感ががウリのチョコモナカジャンボですが、長い年数を経て進化してきたようです。, レトロでポップなパッケージが目を引くバニラエイト。1970年から2000年頃まで発売されていました。ちなみにバニラエイトの「エイト」の由来は、乳脂肪分が8%であることから商品名にもされています。。アイスクリームは乳脂肪分の含量により規格が異なりますが、このバニラエイトは高級な「アイスクリーム」として扱われており、当時100円程度と他のアイスより高価でリッチな味わいが楽しめました。. 甘くておいしいアイスクリーム。その種類の多さに思わず目移りするほどですが、小さな頃に食べた懐かしいアイスをもう一度食べてみたいと思いませんか?ホームランバーやメロンボール、宝石箱など、思い出に残る昭和レトロなアイスをご紹介します♪ パンケーキよりもホットケーキ。 今でこそ定番の棒付きアイスですが、当時アイスクリームといえばカップ入りが普通でした。おいしさに加えてその斬新さもあり、売れ行きも大変よかったそうです。また、当たりがついた商品も、このホームランバーが初めてだったのだとか。1本10円と安く、子どもたちが駄菓子屋さんで手軽に買えることも人気のひとつだったそうです。, 昭和28年発売開始。昭和時代の代表的なカップアイスでしたが、現在は北海道地区限定で販売されているそう。他のアイスも同じですが、当時のパッケージは紙のフタが特徴的で、懐かしさを感じさせますね。 2020/06/27 - Pinterest で 156 人のユーザーがフォローしている Pink Mjr さんのボード「昭和アイス」を見てみましょう。。「アイス, 懐かしいお菓子, 子供時代」のアイデアをもっと見てみましょう。 それまではジュースを凍らせたようなバータイプ(アイスキャンディー)ばかりだったが、ミルクタイプのアイスバーを、デンマークの製造機を使って日本ではじめて工業的に大量生産を始めた。最初の名称は「名糖アイスクリームバー ホームランシリーズ」。子供に人気だった野球のグローブでボールを掴むイラストを配した包装紙のデザインだった。包装は銀紙で、防水性があり、紙より折り目がシャープで、アイスに張り付かないという性質から採用された[1]。, 白樺の棒に焼印がつけられ、「ホームラン」なら1本、「ヒット」なら3本で新たなホームランバーと交換できる趣向が人気を博した。, 1956年より[2]、アイスクリームバーの生産を開始。当時の販売価格は1本10円であった[3]。形状は四角柱状で、銀紙で包装され、スティックは木製であった。その後長嶋茂雄を広告に起用し、商品名を「ホームランバー」に改めた。, 昭和40年代には、従来のバニラ味に、チョコ味を加えた2色タイプが登場。昭和50年代からはファミリータイプが発売された[4]。, 1990年には、内容をグレードアップした「ツーランホームランバー」[5](現在はプレミアムホームランバー)に切り替えられた。また、同年、協同乳業が販売するホームランバーも名糖産業が製造する事となった。, スティックの焼印に「当たり」が出たらもう一本もらえたほか、野球道具、スピードガン、ヘリコプターの玩具、女の子向け玩具などをプレゼントするキャンペーンが実施された。2012年時点では、名糖産業は袋詰め以外の製品で「もう一本当たり」[7]、協同乳業はさいころ型クッション、バット型シャープペンシル、オリジナルブレスレットの3種類のキャンペーンを実施している[8]。, 「なつかしのニアレトロ「昭和」 まぼろし商店街」- ISBNI 4797342021, 【ホームランバー】イメージキャラクターに起用したアノ人同様、「永久に不滅」…(男の浪漫伝説 Vol.68) | ドリームメール, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ホームランバー&oldid=77171034, ホームランバー - バニラ&チョコ(10本入り)、プチパリチョコ(10本入り)、ソーダフロート(季節限定、10本入り)、袋詰め(10本入り)、シャキッとバニラ(広島東洋カープver、阪神タイガースver)、, プレミアムホームランバー - 濃厚バニラ、大きくなった濃厚バニラin、クッキー&クリーム、バニラ&チョコ(6本入り). 実は当初の「チョコモナカ」には最大の特長である板チョコが挟まれていなかったのです。当時はモナカの内側にチョコスプレーをかけたものであり、現在のように板チョコが挟まれるようになったのは1996年のこと。そうしてようやく「チョコモナカジャンボ」となったのでした。 協同乳業は1953年に創業。牛乳の生産や、食の欧米化に伴って乳製品の生産を始めた。その後、1955年にはデンマークから自動充填・成型機アイスクリームバーマシンを日本で初めて輸入し、日本初のアイスクリームバーの生産を開始。当時は日本橋の本社でガラス張りの工場で製造していた。四角柱のバーと包装紙に銀紙を使用していることは発売当初から変わらないという。, 1960年には「ホームランバー」に名称を変更し発売。子どもをターゲットに、駄菓子屋で買える1本10円の価格に設定し、当時高級品だったアイスクリームを子どもでも買える値段で販売した。さらに、この名称変更時に取り入れられたのが「当たりつき」。スティックに「ホームラン」と焼印があった場合、販売店に持っていくともう1本食べられるという、食べながら楽しんでもらいたいという工夫を施した。, 転機が訪れたのは、1970~80年代。量販店が増えたことから、マルチパックの箱型を発売した。世の中の動きに合わせて駄菓子屋から量販店へと売り場は変わったが、四角柱の形と銀紙包装は変えず「当たりつき」も継続。マルチパックの場合、1本売りをしていないため「ホームラン」以外にも「ヒット一塁打」などの表記をし、四塁打分がホームラン相当になる仕組みを取り入れ、郵送での応募に変更した。, 郵送応募に切り替えてからは景品にもこだわり、子どもからの人気も獲得。1990年代にはレトロブームが到来。それまで子どもをターゲットとしていたが、発売から30年経ち当時の子どもが家族を持つようになっていたため、ファミリー層へとターゲットを転換し、ブランディングを強化した。, 今年60周年を迎える「ホームランバー」。「当たりつき」でちょっとした"ラッキー"を提供してきた今年は、全ヒットラッキーパックなども発売していく予定だ。, 「ホームランバー」は四角柱のバータイプの冷菓で、最初に発売されたのはバニラ味だった。その変化しない形状からも「バニラ味、四角柱のバータイプといえば『ホームランバー』」を思い浮かべる消費者が多いと営業企画部副部長の成毛真人氏は話す。. 日課のお弁当作りでは、ずいぶん前からアルマイトのお弁当箱を愛用しています! しかし、昭和のアイスは基本的に子どもが夏に食べるもの。駄菓子屋さんの店頭などでも安価で売られており、手軽に楽しめるおやつでした。今はもう販売終了しているものから今もなお親しまれているロングセラーアイスまで、懐かしのアイスをご紹介します!, ホームランバーといえば、誰しも一度は食べたことがあるのではないでしょうか。その誕生は昭和35(1960)年、協同乳業から発売されたもの。なんと半世紀以上に渡って親しまれています。 パッケージデザインは60年の歴史の中で変化があったが、包装紙に銀紙を使用した商品の販売も継続している... 1970年に味の素が発売した和風だしの素「ほんだし(R)」は、今年で50周年を迎える。発売当時、日本は高度経済成長期の真っただ中。女性の社会進出が始まったことで家事にかける時間の短縮が求められる時代であった。, 1970年3月に平凡出版(現・マガジンハウス)が創刊した『anan』が、2020年で50周年を迎えた。創刊当時、同社では月刊誌『平凡』『平凡パンチ』などを刊行していたが、女性向けの雑誌はなかった。そこでフランスの女性誌『ELLE』の日本版として『anan ELLE JAPON』を創刊した。, 洗顔フォーム「ビオレ」は1980年に花王が発売。同社は1890年から高級化粧石鹸の「花王石鹸」を販売していたが、当時はアルカリ性の固形石鹸で洗顔することが主流であるなか、「汚れをしかり落とせて肌をやさしく洗える洗顔料をつくりたい」と考えて開発したのが、中性の「ビオレ」だった。, 1890年に日本麦酒醸造が販売を開始した「ヱビスビール」。まだ国産ビールの黎明期にあった明治時代に目黒村三田(現在の東京都目黒区三田)の醸造場で誕生し、合併などを経て、1949年にサッポロビールがヱビスブランドを引き継ぎ、2020年に誕生130年を迎えた。, エポック社は1958年に「野球盤」とともに創業、男児玩具を製造販売していた。そこで1985年、初めての本格的な女児玩具として「シルバニアファミリー」を開発・発売。背景には、当時ヨーロッパで文化として根付いていたドールハウス遊びを日本の子どもたちが気軽に楽しめるものにできないかという発想があったという。, likeCount('rankLikeCount1', 'https://mag.sendenkaigi.com/senden/202012/data-utilization/020056.php'), likeCount('rankLikeCount2', 'https://mag.sendenkaigi.com/senden/201709/us-admarketing/011440.php'), likeCount('rankLikeCount3', 'https://mag.sendenkaigi.com/senden/202012/data-utilization/020053.php'), likeCount('rankLikeCount4', 'https://mag.sendenkaigi.com/senden/202012/data-utilization/020057.php'), likeCount('rankLikeCount5', 'https://mag.sendenkaigi.com/senden/202012/data-utilization/020054.php'), likeCount('rankLikeCounthansoku1', 'https://mag.sendenkaigi.com/hansoku/202012/make-regular-customers/020095.php'), likeCount('rankLikeCountkouhou1', 'https://mag.sendenkaigi.com/kouhou/202012/communication-to-overcome-the-turning-point/020034.php'), likeCount('rankLikeCountbrain1', 'https://mag.sendenkaigi.com/brain/202012/advertising-and-product-design/020104.php'). 青いパッケージが印象的ですが元々は赤、青、黄の3色あったようです。そしてのちに青カップがバニラブルーと名称を変えて定番商品となったのだとか。, なめらかな食感とフルーティーなメロンの風味が楽しめるメロンボール。その発売は1973(昭和48)年と、なんと40年以上もの歴史があります。メロンといえば今ももちろん高級な果物ですが、昔は今以上に高級な果物でした。そんなめったに口にできないメロンを手軽に味わえるメロンボールは、何だか特別なアイスに思えましたよね。 好きなパンはコッペパン。 カルディの新作スプレッドで作るチーズカレートーストが激うま, 年中販売されているアイスクリーム。冬に暖かい部屋で食べるのも格別のおいしさですよね。現在ではプレミアムアイスクリームなども続々登場し、老若男女問わず楽しめるデザートです。