言語:スペイン語, アラナ大使は、2007年より駐日特命全権大使です。現在は、日本以外にもインド、韓国、北朝鮮、タイ、ブルネイ、オーストラリアの特命全権大使を兼任されており、ニカラグアとアジアを結ぶ要となっております。また、2015年よりニカラグア外交部の次官となり、近隣アジア諸国全般との協調関係に携わっています。, 1949年生まれ。チリ国立大学(チリ)で経済の学士号を、アメリカ大学(米国)で国際政治学修士号、中央アメリカ経営大学院(コスタリカ、ニカラグア、米国)で政治学修士号、またメリーランド大学国際安全保障研究センターで修士号を取得。論文「From Confrontation to Containment, toward new relations between the Nicaragua and US Government」を発表し安全保障についてニカラグアと米国政府間の関係について分析し大学で受賞。, また、特別のミッションとして平和のために、ニカラグア政府代表として、ラテンアメリカ、ヨーロッパ、北アメリカ、アルジェリア、イラク、エジプトなど様々な国を訪れ、安全保障と国家間の国際協調について推進するための研究をしています。この研究がフォード財団により国際セミナーで採用されニカラグア外交部でも大臣賞を受賞。, 若いころから野球のファンで、野球のためのファンドを立ち上げ、現在もニカラグア野球ファンドの代表です。, 中目黒駅から歩いて12分。アンバサダーレジデンスという大使公邸が集まった建物の4階にニカラグア共和国アラナ大使のお住いがあります。今回は、こちらの公邸にお邪魔をして陶芸教室、ニカラグア料理を味わいながらの懇親会を行います。お部屋の中は、とてもシンプルで壁には沢山のニカラグアの絵画が飾られています。公邸内は、治外法権となっており、ニカラグアの法律が適応されます。, ニカラグアの主食は、トウモロコシ、豆、米です。トウモロコシは、粉末にしてトルティーヤなどにして食べますが日本のトウモロコシのような甘さはありません。豆は米と混ぜてお赤飯のような「ガジョピント」と呼ばれる料理が有名です。, 今回のイベントでは、大使専属の料理人ソニアさんが担当してくれます。ソニアさんの腕前は、大使からも信頼されており、わざわざニカラグアから彼女を連れてきたほどです。当日のメニューは、ソニアさんお任せなので何が出るかはお楽しみに!, 写真は、プラトティーピコと言ってニカラグアの代表的な料理の盛り合わせ。調理用のバナナ(甘くない)を揚げたものや、ニカラグアのチーズ、ガジョピント(お赤飯のようなもの)、トルティーヤ、牛肉煮込み、豚肉アチョーテ。ニカラグア料理は、他の中南米の国の料理と違って辛く無いのが特徴です。, 「高価な作品を作って少しの人に販売するより、リーズナブルな作品を沢山の人に買ってもらいたいんです。」「作品を見たり使ってもらうことで、いつも私の事を思い出してくれるでしょ。」と明るく流暢な日本語で話してくれるアルバさんは、ホンジュラスとコスタリカの間にある中米ニカラグアの出身。ニカラグア生まれの彼女がどうして陶芸家?何故、遠く離れた日本で暮らしているのか、色々とお話しを伺いました。, 彼女が15歳の時、ニカラグアの内戦が激化したため、両親は彼女と姉、妹の3姉妹をメキシコへ避難させました。その後、兄、弟、両親も合流し18年間のメキシコ生活がスタート。ある時、グラフィックデザインを学んでいた彼女に運命とも言える出来事が起こりました。それは、日本の陶芸との出会いでした。, メキシコシティから車で1時間ほどの場所にあるトルーカという町に、ラテンアメリカ初の本格陶芸学校が設立されました。その新聞記事を見た弁護士で政治家のお父さんから「これは素晴らしい!絶対この学校に入りなさい!」と強く勧められ。第一期生として入学。先生も日本人、使用する粘土や道具も日本の物。恵まれた環境で、釉薬(うわぐすり)や手びねり、ろくろなど本格的に日本の陶芸を学びました。, 卒業後は、メキシコ国内の和食店向けに食器類を作って納品する仕事をしていました。その頃、陶芸学校の校長として赴任して来た水戸出身の陶芸作家田中勝利さんと出会いがありました。勝利さんは、彼氏のいるアルバさんに一目惚れ。猛烈なアタックにより見事にゴールイン。1985年に結婚。, 1986年日本で住む場所を探すため夏休みを利用してご主人の実家のある茨城県水戸市を訪れた際、なんとなく気候が合わず、また自分の教育方針の事もあり水戸での生活は断念する。(ラテンの人は祖父母の近くで子育てをしないそうです。), その後も住む場所を探していた時に、偶然訪れた石岡市のフラワーパーク周辺に花々が咲き誇る景色を見てこんな楽園のような場所で暮らしたいと決断。「ワタシ楽園を見ちゃったのよ。」日本滞在中のわずか2週間の間に、不動産の契約まで完了し現在の自宅を購入。, 当時の石岡には、外国人は珍しくニカラグア出身の彼女は、好奇の目にさらされました。言葉の通じない異国での生活や子育ては、とても苦労が多かったそうですが明るいラテンの性格と強い心で幾度となく乗り越えてきました。人と同じ事が嫌いなアルバさんは、娘の運動会にロングブーツにジーパンで参加した事もあったそうです。, 徐々に周りの人達ともコミュニケーションが取れるようになり、今では地元の人からも慕われ、人気者として陶芸教室や講演活動、各種イベントなど忙しい毎日を過ごしています。ニカラグア大使婦人一行が茨城に来た際には、周辺の案内役を頼まれ観光ガイドとしても活躍したそうです。, 今回の教室は、ろくろは使用しない手びねり教室です。約800gの粘土の塊をお渡ししますので、お皿やカップ、茶碗、置物など自由な発想で作品を作って頂きます。もちろん初めての方でも、アルバさんの丁寧な指導によりちゃんと作品に仕上がりますのでご安心下さい。, 作った作品は、ゆっくりと自然乾燥させ素焼(800℃)、施釉(せゆう)、本焼(1250℃)の工程を経て一ヶ月半ほどで完成します。(ご自宅までの送料は、作品のサイズにより異なるため別途着払いとなります), 約2時間の陶芸教室ですが、事前に作りたい作品をイメージしてあると効率良く沢山の作品を作れます。ご飯茶碗、小鉢、お皿、箸置き、置物などなど。2月に茨城で開催したアルバさんにあうたびにご参加の皆様の作品をご紹介します。, 【取材・イベント協力】 ベルリンのゆかです。 先日、 The Arab Ambassadors ´Spouses Association (アラブ諸国大使の配偶者の会) によるイベントが行われ. 駐日フィリピン大使館公邸(ちゅうにちフィリピンたいしかんこうてい、Residence of the Philippine Ambassador to Tokyo)は、東京都千代田区にある駐日フィリピン共和国大使の公邸である。フィリピンではその所在地から「the Kudan(九段)」とも呼ばれている。 大使のメッセージ 新型コロナウイルス感染症に関する水際対策の強化に係る措置について 2020/11/4 在留資格を有する外国人の再入国について 2020/9/30 国際的な人の往来再開に向けた段階的措置 2020/9/26 第75回国連総会における菅総理大臣一般討論演説 2020/9/25 žé€£åˆæ—¥æœ¬æ”¿åºœä»£è¡¨éƒ¨ï¼ˆEU代表部), 北大西洋条約機構日本政府代表部(NATO代表部), アフリカ連合日本政府代表部(AU代表部). 駐日フィリピン大使館公邸(ちゅうにちフィリピンたいしかんこうてい、Residence of the Philippine Ambassador to Tokyo)は、東京都 千代田区にある駐日フィリピン共和国大使の公邸である。 フィリピンではその所在地から「the Kudan(九段)」とも呼ばれている。。 元々は1935年(昭和10年)に、安 … イラク大使公邸でのイベント . ニカラグア料理を食べてみたい方, 【ニカラグア共和国】 イラク大使館(大使館・領事館)の電話番号は03-5790-5311、住所は東京都渋谷区神山町14−6 ラビアンパレス松濤、最寄り駅は神泉駅です。わかりやすい地図、アクセス情報、最寄り駅や現在地からのルート案内、口コミ、周辺の大使館・領事館情報も掲載。 電話&FAX:03-6356-4461 今回のイベントはナイジェリア大使公邸でナイジェリアについて学び、ナイジェリア大使夫人と共にナイジェリア料理を堪能するというもの。 大使館はビザの習得とかもあるから行くことはゼロではないけれど、大使公邸に行ける機会ってのはそそうそうある訳じゃありません! 首都:マナグア 陶芸体験をしてみたい方 achievements of Women in the Arab World 今回はあうたび初の東京開催。ニカラグア大使の全面協力により中目黒にある大使公邸(大使のご自宅)で、ニカラグア人の陶芸作家の陶芸教室を開催。大使を交えた懇親会では、大使専属料理人によるニカラグア料理やニカラグアのお酒(ラム酒)、陶芸家さんの住む茨城県石岡市の地酒などを楽しみます。, 《こんな方におすすめ》 1957年6月25日 ニカラグア共和国生まれ。1972年内線から逃れるためにメキシコへ移住。1976年メキシコ私立民芸学校卒業、1979年メキシコ国トルーカ陶磁器学校卒。1986年陶芸作家の勝利さん結婚。1991年茨城県石岡市(旧八郷町)に工房を構える。1997年から土浦市にて陶芸教室を開催。また、陶芸を教える傍ら、地元の小学校での講演活動なども積極的に行っている。, 【イベント企画・お問い合わせ先】 元々は1935年(昭和10年)に、安田善三郎の次男で画家であった安田岩次郎(やすだいわじろう)が安田家の邸宅として建てた洋館で、岩次郎の姪であるオノ・ヨーコが幼少期に3年間住んでいたこともある[1]。1944年(昭和19年)にフィリピンへ売却され、以来、同国の大使公邸として使用されている。「フィリピンの外交活動の至宝(crown jewel of Philippine foreign service)」と呼ばれ、2013年(平成25年)にはフィリピン国外における国家的歴史建造物の第1号に指定された。2017年からはホセ・ラウレル5世(H.E. Powered by nextaction, 陶芸教室(体験料、材料費、焼成費、釉薬代)、ニカラグア料理(軽食)、飲み物(ニカラグアのラム酒、茨城の地酒など), カヌーに揺られ島根県邑智郡の生産者に会いに行きました!飲んで食べて生産者を応援しよう!, 風鈴の音色が響く宇部の人に会いに行きました(前編)!飲んで食べて生産者を応援しよう!!, トゥクトゥクに乗って双海町の人に会いに行きました!飲んで食べて生産者を応援しよう!!. 担当:唐沢 1955年 8月18日、イラク王国がサンフランシスコ講和条約を批准、これにより第二次世界大戦で途絶えていた日本とイラクの国交が回復した。 同年12月、在日イラク公使館が東京で開設された 。. 第二次世界大戦が始まると安田は経済的に苦しくなり、1944年(昭和19年)3月31日、フィリピンのホセ・ラウレル大統領に建物を100万円で売却した[3]。その後、建物は東京のフィリピン大使公邸、および日本における社会文化活動のために使用された[5]。 初めて イラク大使の公邸 を訪問して参りました。 イベントは “A glimpse on life and . ニカラグア共和国大使館 大使秘書 ドゥルセ・マリア 菊池さん 歴史 [編集]. 株式会社一助 代表取締役 伊藤 美奈子さん, ※時間は目安となります。内容に関しても現地事情や進捗状況により、適宜変更をさせていただく場合がございます。, 田中アルバ(Alba Segovia Tanaka) ニカラグアってどこ?という方 駐日イラク共和国大使館・総領事館 イラク共和国大使館 Embassy of the Republic of Iraq in Japan 〒150-0047 東京都渋谷区神山町14-6 ラビアンパレス松濤 電話:03-5790-5311 特命全権大使:ハリール・イスマーイール・アブドゥルサーヒブ・アル・ムーサウィー 閣下 His Excellency Mr. Khalil Ismail Abdulsahib AL-MOSAWI 1952年3月9日、国家歴史委員会(フィリピン国家歴史委員会(NHCP)の前身)が、建物の歴史と、1944年のラウレル大統領による購入に光を当てるため、記念の銘板を設置した[5][6]。, 2009年には公邸を取り壊し高層マンションを建設する計画が浮上したが、反対運動により中止された。, フィリピン国家歴史委員会は2013年第1号決議で、本建物を国家的歴史建造物にすると宣言[7]。2014年3月に銘板が、マヌエル・ロペス(Manuel Lopez)大使およびマリア・セレナ・ディオクノ(Maria Serena Diokno)NHCP会長、日本・フィリピンの役人の出席の下で披露された。本建物はフィリピン国外で最初に指定された国家的歴史建造物である[8][9]。披露に際し、ロペス大使は本建物を「フィリピンの外交活動における至宝(the crown jewel of Philippine foreign service)」と呼んだ[5]。, 望楼付きの2階建てである。黒い華美なグリルゲートとカスティーリャ風のロタンダが自慢であり、屋根もカスティーリャ風建築を思わせる。玄関ロビーには、フィリピンの英雄であるホセ・リサールとラウレル大統領の胸像が置かれている。1階には、客をもてなす「青の間」、2つの食堂、音楽室がある。2階は大使とその家族の居住空間であり、5室は客室として使われることもあった。建物に隣接する庭園では、1994年(平成6年)に正仁親王妃華子がサクラを植樹した[4]。, 2015年、フィリピンの歴史家アンベス・オカンポ(英語版)が、大使館公邸の歴史に関する書籍『History and Heritage of the Kudan: the Official Residence of the Philippine Ambassador to Japan』を出版した。この本は日本とフィリピンの国交樹立60周年を記念して出版された[10][8]。, http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200912070448.html, About the Official Residence of the Philippine Ambassador, Philippine Ambassador’s Official Residence in Tokyo Proclaimed Philippine "National Historical Landmark", Phl embassy in Tokyo named nat’l historical landmark, Yoko Ono remembers the house she grew up in, “Envoy's residence in Japan becomes PHL's 1st overseas historical landmark”, http://www.gmanetwork.com/news/story/351042/news/pinoyabroad/envoy-s-residence-in-japan-becomes-phl-s-1st-overseas-historical-landmark, Amb. info@autabi.com, Copyright Autabi All Rights Reserved. Lopez Calls For Perpetual Preservation of Kudan; Ms. Yoko Ono Lennon Cites Importance of Kudan in Promoting Lasting Friendship and Peace Between The Philippines and Japan, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=駐日フィリピン大使館公邸&oldid=79700438. 1955年 8月18日、イラク王国がサンフランシスコ講和条約を批准、これにより第二次世界大戦で途絶えていた日本とイラクの国交が回復した。 同年12月、在日イラク公使館が東京で開設された 。. 建物は主にスペイン風の造りで、これにルネッサンス風、ゴシック風、和風建築が組み合わさっていた。国産の資材が使われ、中には富山から運んだ瓦も用いられた。部屋のデザインは安田の息子の趣味により造られた[4]。 駐日フィリピン大使館公邸(ちゅうにちフィリピンたいしかんこうてい、Residence of the Philippine Ambassador to Tokyo)は、東京都 千代田区にある駐日フィリピン共和国大使の公邸である。 フィリピンではその所在地から「the Kudan(九段)」とも呼ばれている。元々は1935年(昭和10年)に、安田 … Jose Castillo Laurel V)[2]大使が居住している。, 鎌倉に住んでいた安田岩次郎は東京に家を建てることとし、横河建築設計事務所と竹中工務店に建築を依頼した。設計は横河時介が行い、1933年(昭和8年)3月に着工、1935年(昭和10年)1月に完成した[3]。 大使の自宅へ行ってみたい方 あうたび合同会社 面積:129,541平方キロメートル(北海道と九州を合わせた広さ) ニカラグア大使の全面協力により中目黒にある大使公邸(大使のご自宅)でニカラグア人陶芸作家の陶芸教室を開催。ニカラグア大使を交えた懇親会では、大使専属料理人によるニカラグア料理やニカラグアのお酒(ラム酒)、陶芸家さんの住む茨城県石岡市の地酒などを楽しみます。 特命全権大使: 在イラク大使館 : 鈴木 光太郎: スズキ コウタロウ: 特命全権大使: 在イラン大使館: 齊藤 貢: サイトウ ミツグ: 特命全権大使: 在イラン大使館: 相川 一俊: アイカワ カズトシ: 特命全権大使: 在オマーン大使館: 小林 利典: コバヤシ トシノリ: 特命全権大使: 在カタール大使館: 須永 � 歴史. 人口:617万人 あうたび代表の唐沢です。