2016年5月、現職の米大統領(当時)として初めて、バラク・オバマ氏が広島を訪れた。その時のスピーチで、米軍が落とした原爆で犠牲になった米兵の調査を長年続けてきた森さんの功績に触れた。そして平和記念公園を去る前、被爆者たちのそばに歩み寄り、森さんを抱きしめた。 すべての著作権は中国新聞社に帰属します。. その時のスピーチで、米軍が落とした原爆で犠牲になった米兵の調査を長年続けてきた森さんの功績に触れた。そして平和記念公園を去る前、被� 自身と米国との関わりについて語る被爆者の森重昭さん=2020年11月4日午前11時32分、広島市西区、宮崎園子撮影, 米大統領選でようやく、民主党のジョー・バイデン氏の当選が確実となった。滞っていた核兵器廃絶の流れを後押しする結果となるのか。日本国内からも期待する声があがった。, 「オバマさんと同じように、バイデンさんも常識人でしょう。核軍縮をいい流れに戻してほしい」。バイデン氏当選確実の報を受け、歴史研究家で被爆者の森重昭さん(83)=広島市西区=は8日、明るい声で取材に答えた。, 2016年5月、現職の米大統領(当時)として初めて、バラク・オバマ氏が広島を訪れた。その時のスピーチで、米軍が落とした原爆で犠牲になった米兵の調査を長年続けてきた森さんの功績に触れた。そして平和記念公園を去る前、被爆者たちのそばに歩み寄り、森さんを抱きしめた。, 「私だけでなく、国籍を超えた被爆者全員への抱擁だった」。後の取材でそう語った森さん。09年のプラハでの演説で「核なき世界」を訴えたオバマ氏の核廃絶への思いを感じ取ったという。核保有国の米国がいよいよ核廃絶にかじを切る……。しかし期待はすぐに崩れた。その年の秋、トランプ氏が大統領選を制したからだ。, 核戦略を見直し、使いやすい小型の核弾頭の開発を打ち出した。核兵器を全面的に禁じる核兵器禁止条約の交渉会議では、米国の国連大使は、他の保有国や日本の大使らと並んで「現実的になれ」と抗議した。オバマ氏が訴えてきた方針の明確な放棄。ロシアとの核軍縮の枠組みもほごにした。「核廃絶に流れていたと思ったのに、まるで逆の方向に進んできた」。核兵器をめぐるトランプ政権の歩みを振り返りながらつぶやいた。, 10月24日、核兵器禁止条約の発効が決まった。大きな一歩を心から歓迎しつつ、決して楽観はしていない。「核兵器はあるだけで危険、ひとたび使えば敵味方も勝ち負けもないのだということが、なぜわからないのか」。核兵器を戦争で使った最初の国であり、今も核兵器を最も多く保有する国の新大統領に望むのは、核兵器の存在によって戦争が防げるという考えからの脱却だ。「小さい国々ができた。アメリカにもできるはずだ」(宮崎園子). No reproduction or republication without written permission. 米国が広島に原爆を落として71年。現職の米大統領として初めてオバマ氏が5月27日、被爆地を踏んだ。原爆犠牲者を追悼し、「核兵器なき世界」を追求する決意を世界へ発信するためだった。平和記念公園(広島市中区)にいたのは52分。短い時間で、そ… お使いのブラウザはJavaScriptに対応していないか、または無効になっています。詳しくはサイトポリシーのページをご覧ください。, 自身と米国との関わりについて語る被爆者の森重昭さん=2020年11月4日午前11時32分、広島市西区、宮崎園子撮影, 米大統領選でようやく、民主党のジョー・バイデン氏の当選が確実となった。滞っていた核兵器廃絶の流れを後押しする結果となるのか。日本国内からも期待する声があがった。, 「オバマさんと同じように、バイデンさんも常識人でしょう。核軍縮をいい流れに戻してほしい」。バイデン氏当選確実の報を受け、歴史研究家で被爆者の森重昭さん(83)=広島市西区=は8日、明るい声で取材に答えた。, 2016年5月、現職の米大統領(当時)として初めて、バラク・オバマ氏が広島を訪れた。その時のスピーチで、米軍が落とした原爆で犠牲になった米兵の調査を長年続けてきた森さんの功績に触れた。そして平和記念公園を去る前、被爆者たちのそばに歩み寄り、森さんを抱きしめた。, 「私だけでなく、国籍を超えた被爆者全員への抱擁だった」。後の取材でそう語った森さん。09年のプラハでの演説で「核なき世界」を訴えたオバマ氏の核廃絶への思いを感じ取ったという。核保有国の米国がいよいよ核廃絶にかじを切る……。しかし期待はすぐに崩れた。その年の秋、トランプ氏が大統領選を制したからだ。, 核戦略を見直し、使いやすい小型の核弾頭の開発を打ち出した。核兵器を全面的に禁じる核兵器禁止条約の交渉会議では、米国の国連大使は、他の保有国や日本の大使らと並んで「現実的になれ」と抗議した。オバマ氏が訴えてきた方針の明確な放棄。ロシアとの核軍縮の枠組みもほごにした。「核廃絶に流れていたと思ったのに、まるで逆の方向に進んできた」。核兵器をめぐるトランプ政権の歩みを振り返りながらつぶやいた。, 10月24日、核兵器禁止条約の発効が決まった。大きな一歩を心から歓迎しつつ、決して楽観はしていない。「核兵器はあるだけで危険、ひとたび使えば敵味方も勝ち負けもないのだということが、なぜわからないのか」。核兵器を戦争で使った最初の国であり、今も核兵器を最も多く保有する国の新大統領に望むのは、核兵器の存在によって戦争が防げるという考えからの脱却だ。「小さい国々ができた。アメリカにもできるはずだ」(宮崎園子). 現在、JavaScriptが無効になっております。 Copyright © The Asahi Shimbun Company. 【オバマ米大統領を迎えた夏 原爆投下国のまなざし】<上>あの日 悲劇の本質伝わらず. 原水禁国民会議などの原水爆禁止世界大会の長崎大会は9日、長崎市で閉会総会を開き、3日間の日程を締めくくった。日本原水協などの世界大会・長崎も同日、同市でのナガサキデー集会で閉幕した。 原水禁の閉会総... 被爆71年の夏に開かれた二つの原水爆禁止世界大会は、オバマ米大統領の5月の広島訪問や、核兵器禁止条約を目指す議論など、核兵器廃絶を巡る動向を強く意識した内容となった。一方、被爆者の高齢化が進む中で、... 母親のおなかの中で被爆した人たちでつくる原爆胎内被爆者全国連絡会が9日、長崎市では初となる集いを開いた。広島県内の7人を含む約20人が参加。「最年少の被爆者」として記憶を受け継ぎ、発信しようと、思い... 原爆資料館(広島市中区)の本館敷地での発掘調査で市は、出土した被爆前の町並みの遺構を今秋に市民に初公開する方針を固めた。参加者を募って説明会を開き、原爆で壊滅した繁華街、旧中島地区(現平和記念公園)... 長崎原爆の日の9日、「慰霊の会」が広島市中区の原爆資料館東館であった。被爆者や市民約50人が、もう一つの被爆地の犠牲者を追悼し、平和への祈りに思いを重ねた。 米軍によって長崎に原爆が落とされた午前1... 本ページ内に掲載の記事・写真などの一切の無断転載を禁じます。 The Asahi Shimbun Asia&Japan Watch (ENGLISH). 中国新聞デジタルでは、WEBサイトの一部機能にJavaScriptを使用しており、JavaScriptが無効となっている場合、サイト内の情報が正しく表示できない可能性があります。, 平和記念公園で演説後、坪井さん(右)の話に笑みを浮かべるオバマ氏(5月27日、広島市中区), 米国が広島に原爆を落として71年。現職の米大統領として初めてオバマ氏が5月27日、被爆地を踏んだ。原爆犠牲者を追悼し、「核兵器なき世界」を追求する決意を世界へ発信するためだった。平和記念公園(広島市中区)にいたのは52分。短い時間で、その目的をどう果たそうとしたのか。ベン・ローズ大統領副補佐官(38)ら側近への取材を軸に、オバマ氏の広島訪問の実像を探る。, 「大統領の表現の方が素晴らしかった。1行目は完全に彼が書いた。僕のはあんなに美しくなかったんだ」。6日、ワシントンのホワイトハウスで中国新聞の単独インタビューに応じたローズ氏が明かした。2009年のプラハ演説も手掛けたスピーチライター。そのローズ氏による「ヒロシマ演説」草稿の余白にオバマ氏自身が言葉を書き込み、あの文章は完成した。, 演説の名手として鳴らすオバマ氏。ローズ氏が「通常はしない」と驚くほど自らの手で何度も書き直し、こだわった「第一声」は詩的で、平和記念公園に招いた聴衆を一気に引きつけた。, そして、原爆投下直後を「閃光(せんこう)と炎の壁」と表現した。調査班に集めさせた被爆体験記を読み込んだローズ氏はあの日の様子を「本当の意味で描写できない。一つとして同じ証言はない」と感じていた。オバマ氏もまた「一般化した言葉」の方が、すさまじさを表せると考えたようだ。, ただ、これらの描写は全て、原爆を落としたのが米国だという「主語」を欠く。その指摘にローズ氏は「だれが落としたかは、みんな分かっている。だから控えめな表現にした」と反論した。, オバマ氏が原爆資料館で見た一部の展示の中で、最も印象に残った品も「美しい物」だった。, 館内にいた時間は10分。東館1階ロビーに特設された被爆者の遺品や写真に向き合ったのは数分にすぎない。オバマ氏は特に、2歳で被爆し10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんが病床で回復を願って折った鶴に心を動かされ、「なんと美しいことか」と述懐した。自作したという折り鶴を、その場に立ち会った地元の小中学生2人に渡す「サプライズ」までした。, その「美しい」折り鶴はしかし、核兵器の非人道性の象徴である。被爆者は、あの日を生き延びたとしても、放射線によって遺伝子を傷つけられ、長年にわたり苦しめられる。その非人道性に、オバマ氏は明確に言及しなかった。, ただ、ホワイトハウスは「滞在時間は短くても、さまざまな物語と触れ合う機会」を設けようとは試みた。演説後、オバマ氏は会場に招いた被爆者のうち、最前列に座った日本被団協代表委員の坪井直さん(91)=西区=と歴史研究家の森重昭さん(79)=同=に歩み寄り、声を聞いたのもそのためだ。, 「2人は多くの被爆者を代表する責任を感じながら語ってくれ、核兵器反対への思いを再確認できた」とローズ氏は言う。「5・27」からおよそ1カ月半。遺品と向き合い、被爆者と対面したオバマ氏は、ヒロシマの重みをどう受け止めたのか。被爆地からはまだ、見えない。(金崎由美、岡田浩平), ・71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった。閃光と炎の壁は都市を破壊し、人類が自らを破壊するすべを手に入れたことを実証した。, ・いつか証言する被爆者たちの声は聞けなくなる。それでも1945年8月6日の朝の記憶を風化させてはならない。その記憶はわれわれが安心感に浸ることを許さない。われわれの道義的な想像力の糧となり、われわれに変化をもたらしてくれる。. ネットで「オバマ氏が原爆投下映像に拍手していた」という話しが拡散しています。私は「それは日本的な報道であり日本的な見方ではないか」と疑問を述べました。 いまだに「オバマ原爆拍手説」が圧倒的ですが、私の分析にも多数の方が興味をもってくださっています。 朝日新聞デジタルに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。 All rights reserved. (C) The Chugoku Shimbun, All Rights Reserved.