第036回(1957年) ハクチカラ 第29回(1984年) シンボリルドルフ 第04回(1963年) リユウフオーレル 第026回(1952年) トラツクオー 第14回(1973年) ハマノパレード 第07回(1962年) オンスロート 第048回(1963年) リユウフオーレル 第45回(2000年) テイエムオペラオー, 第46回(2001年) マンハッタンカフェ var blogroll_channel_id = 307516; 第28回(2008年) スクリーンヒーロー 第072回(1975年) フジノパーシア 第10回(1990年) ベタールースンアップ 第014回(1944年) ヒロサクラ 第007回(1940年) ロツキーモアー 第35回(1990年) オグリキャップ 第37回(2017年) シュヴァルグラン 第110回(1994年) ネーハイシーザー, 第112回(1995年) サクラチトセオー 実は一緒に公開している 第159回(2019年) フィエールマン 第39回(1998年) サイレンススズカ 第55回(2010年) ヴィクトワールピサ テイエムオペラオー(英語表記: TM Opera O、香港表記: 好歌劇、1996年3月13日[† 1] - 2018年5月17日)は日本の競走馬・種牡馬。, 1999年JRA賞最優秀4歳牡馬、2000年年度代表馬およびJRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名はいずれも当時)。シンボリルドルフに続いての中央競馬GI7勝、2000年の年間無敗記録を達成した。長らく獲得賞金の世界記録を保持していたが、2017年のドバイワールドカップでアロゲートが優勝したことにより、その記録を同馬に譲った。2004年に日本中央競馬会の顕彰馬に選出。, 当馬の血統は姉にCBC賞2着のチャンネルフォーがおり、その他の兄弟の勝ちあがり率も高かったものの父・オペラハウスが当時日本でまだ良績を残していなかったサドラーズウェルズ系種牡馬ということもあり、それほど良血と呼べる血統ではなかった。また、馬体もバランスは取れていたもののこれといった特徴があるものではなかったために、牧場にいるときの同馬の評価はそれほど高いものではなかった。しかし、後にオーナーとなる竹園は牧場で同馬を見たときに「光り輝いて見えた」というほど惚れ込み、購入する事を決めた。, 当時、日本軽種馬協会の種牡馬であるオペラハウスの産駒の牡馬はセリ市に出す義務があったので、竹園は1997年の10月に静内で行われたセリ市で同馬を購入した。後にGIレースを7勝して18億円余りの賞金を稼ぐ事になる同馬だが、このセリ市では竹園に競りかけてくるものは誰も出ず、竹園はスタート価格の1000万円で購入することができた。後に最大のライバルとなるメイショウドトウの購入価格は500万円で9億円以上の賞金を稼ぎ、両馬は共に購入価格の約184倍ほどもの多額の賞金を稼いだことになる。, 竹園は、この馬に冠名である「テイエム」、父から名の一部をとって「オペラ」、そしてサラブレッドの王になれという思いを込めて「オー」という組み合わせで「テイエムオペラオー」と名付けた。, 1998年8月15日に京都競馬場で行われた3歳新馬戦(芝1600m)でデビュー、1番人気に推されたが6馬身差の2着に敗れ、骨折により休養に入った。休養明けとなる2走目の4歳未勝利戦 (ダート1400m)は4着に敗れたものの、通算3走目となる2月6日の市場取引馬・抽せん馬限定の4歳未勝利戦(ダート1800m)を5馬身差で圧勝し、未勝利を脱した。, その後は芝に戻って500万下条件のゆきやなぎ賞に勝利し、GIIIの毎日杯では4馬身差の圧勝を演じ、3連勝で初重賞制覇を果たした。その後はクラシックへの第一次登録がなかったため、追加登録料200万円を支払って皐月賞に出走登録することとなった。, 皐月賞では、良血馬アドマイヤベガや重賞2連勝中のナリタトップロードなどが出走、本馬は単勝11.1倍の5番人気であった。レースでは中団後方待機から最後の直線で追い込みを見せ勝利し、初めて追加登録料を支払ってクラシックに出走し勝利を収めた馬となった。また、鞍上の和田竜二騎手や生産者の杵臼牧場にとっても、初のGI制覇となった。, 皐月賞馬となったテイエムオペラオーは、2冠を目指して東京優駿(日本ダービー)へ出走した。東京優駿ではナリタトップロードとアドマイヤベガに僅差で続く3番人気に推され、3強の一角とされた。当時21歳であった鞍上の和田には史上最年少でのダービー制覇の記録もかかっていた。レースでは早めに抜け出したところをナリタトップロードに競り負け、さらに後方から追い込んできた武豊騎乗のアドマイヤベガにも差されて3着に敗れた。, 秋初戦は古馬が相手となるGIIの京都大賞典であったが、後方待機のまま凡走した1番人気のスペシャルウィークを警戒しすぎたことが災いしてツルマルツヨシの3着に終わった。続く菊花賞では2番人気に推された。レースは直線で後方から追い込むもナリタトップロードを交わしきれずに2着に敗れた。その後はステイヤーズステークスへ駒を進め、単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持されたが、クビ差の2着に敗れた。, この後、疲労のため一旦は回避を表明した有馬記念にも出走。この年の有馬記念にはグランプリ3連覇を目指すグラスワンダーとGI2連勝中のスペシャルウィークが出走しており、5番人気という皐月賞以来の低評価を受けた。レースでは最後の直線で一旦は先頭に盛り返し、グラスワンダーとスペシャルウィークのタイム差なしの3着に入線した。, 翌2000年は、前年の有馬記念で本格化の兆しを見せていたテイエムオペラオーにとって飛躍の年となる。, 年明け初戦の京都記念で久々の勝利を得ると、続けて阪神大賞典と天皇賞(春)と重賞を連勝した。阪神大賞典ではテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロード、ホットシークレット、トシザブイらテイエムオペラオーと同期の馬たちが1着から5着を独占し、とくに人気の集中したテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロードの複勝馬券および3頭の組み合わせからなる拡大馬連馬券(ワイド)は全てが1.0倍の元返しとなった。また、天皇賞(春)も阪神大賞典と同様に2着にラスカルスズカ、3着にナリタトップロードが入り、杉本清からは「やっぱり3頭の争いになった!」と実況された。, 天皇賞馬となったテイエムオペラオーは、さらに引き続き宝塚記念へも駒を進めた。宝塚記念では前年の優勝馬グラスワンダーとの二強対決が注目された。テイエムオペラオーは勝負所で仕掛けが遅れる展開となったが、最内枠発走から大外を捲り切るレースぶりでメイショウドトウらを差し切って優勝した。メイショウドトウは当時はまだ金鯱賞を制したばかりの伏兵であったが、このレースでテイエムオペラオーのクビ差の2着に健闘した。なお二強の片翼とされたグラスワンダーはレース中に左前脚を骨折、競走中止とはならなかったものの6着と惨敗。結局このレースを最後に引退となった。, 秋は京都大賞典から復帰。59kgを背負い、極端なスローペースで最後は上がり勝負のレースになるも、テイエムオペラオーは鞭を打たれることなく3F33.3の末脚を繰り出し勝利、天皇賞(秋)へ駒を進めた。, 迎えた天皇賞(秋)には1988年以降1番人気が12連敗中ということによるという「1番人気は勝てない」というジンクスがあり、「何が起こるかわからないのが秋の天皇賞」という雰囲気が漂っていた[1][† 2]。さらに当時の和田が東京競馬場での勝利経験が無い上に、外枠という不安材料も存在したため春以降2倍を切っていた単勝オッズが2.4倍となった。しかし、レースではスタート後の1コーナーで内に切れ込み加害馬となりながらも直線で抜け出し勝利を収めた。これにより、13年ぶりの秋の天皇賞1番人気馬の勝利であり、史上初の中央の主要4競馬場GI制覇を達成した(中山:皐月賞、東京:天皇賞(秋)、京都:天皇賞(春)、阪神:宝塚記念)。, 次走ジャパンカップでは1つ下の世代を代表する4頭(二冠馬エアシャカール、日本ダービー馬アグネスフライト、NHKマイルカップ馬イーグルカフェ、オークス馬シルクプリマドンナ)[† 3]との対決も注目されたが、引き続き1番人気に推され、単勝オッズは当時の支持率レコードとなる1.5倍となった。レースはスローペースで進み周囲を塞がれる展開となるも、最後にはファンタスティックライトを寄せ付けず、メイショウドトウの猛追も退けて勝利した。レース後には、ファンタスティックライト鞍上のランフランコ・デットーリが和田にハイタッチを求めて歩み寄るという珍しいシーンも見られた。同競走におけるテイエムオペラオーのパフォーマンスは国際的にも高く評価され、レーシング・ポスト・レイティングでは当時の国内最高値[† 4][† 5]となる126の評価が与えられた[2]。この勝利によりテイエムオペラオーはメジロラモーヌ、オグリキャップ、タマモクロス、ヒシアマゾン、タイキシャトルが記録していた、JRAにおける重賞最多連勝記録(6連勝)を更新した[† 6]。この競走中にテイエムオペラオーは他馬に蹴られて右後脚を負傷していたが、レントゲン検査の結果、骨には影響がないことが判明し、次走は古馬中長距離GI競走完全制覇を掛けて有馬記念へ出走することとなった。, 有馬記念当日の朝、他馬が暴れているのを見て興奮したテイエムオペラオーは、壁に顔面を強打して鼻血[† 7]を出す怪我を負った[3]。岩元は出走についての判断を迫られたが、顔面が腫れ殆ど片目が塞がった状態での出走が決断された。レースがスタートすると、逃げてレースを引っ張ると予想されていたホットシークレットが出遅れてスローペースの密集した展開となり、他馬のマークが集中したテイエムオペラオーは進路を塞がれ,直線に入っても後方11番手に置かれたままであったが、坂を上り終えた辺りで馬群がばらけると、馬群の中団後方からそれを割くように末脚を繰り出し、ゴール前でメイショウドトウをハナ差捉えて勝利を辛くも収めた。なお、この苦戦を間近で観戦していた竹園オーナーは「馬も騎手も、涙が出るくらい可哀想でした」とコメントしている。, これによりテイエムオペラオーは重賞8連勝、GI5連勝を達成し、年間無敗で2000年を終えた。, 天皇賞が同競走優勝馬でも再度出走できる制度に変わって(天皇賞の勝ち抜け制度の廃止)以降、当時の古馬中長距離路線のGI競走5戦(天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)[† 8]を完全制覇したのはテイエムオペラオーのみである。また、この年からスタートした秋季GI3競走(天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を同一年で完全制覇した馬への特別報奨金1億円(当時。現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円)も獲得し、JRA賞ではメイヂヒカリ、テンポイント、シンボリルドルフ以来4頭目となる満票で年度代表馬及び最優秀4歳以上牡馬に選ばれた。, 通例なら十分種牡馬入りできる好成績だったが、翌2001年も現役で走ることになった。, 2001年は主戦の和田竜二騎手が1月に落馬して鎖骨を骨折したため、産経大阪杯からの始動となった。産経大阪杯でのテイエムオペラオーは、調整のために訪れた先が大雪に見舞われて外に出ることができなかったために大幅に調整が遅れており、レース前の追い切りになっても良化の兆しは見られていなかったが、競馬ファンの多くは「それでも勝てる」とテイエムオペラオーを単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持した。しかし結果は、後藤浩輝騎手騎乗のアドマイヤボスの執拗なマークに遭い、直線では伸びを欠きトーホウドリームの4着に敗れた。, 次走の天皇賞(春)では4コーナーから鞭が入りながらも勝利を収め、メジロマックイーン以来となる春の天皇賞連覇を達成した。勝ち抜け制度撤廃後、天皇賞を3勝したのはテイエムオペラオーとキタサンブラックのみである[4][† 9]。この勝利によってシンボリルドルフ以来となるGI7勝を達成し、次走ではそれを超えるGI8勝にも期待がかかることとなった。, 各方面からは、「国内には敵う馬がいなくなったのだから、テイエムオペラオーの海外遠征を見てみたい」という声も多かったので、オーナーである竹園は「宝塚記念の結果次第で海外遠征も視野に入れる」と表明した。, GI8勝の新記録が懸かった宝塚記念では、単勝支持率1.5倍と圧倒的な人気を集めた。続く2番人気はメイショウドトウであった。レースでは、今まで僅差で惜敗してきたメイショウドトウが思い切って早めに先頭に立ち押し切る作戦をとる。一方のテイエムオペラオーは4コーナーで馬群に包まれ一瞬立ち上がってしまうという不利があり、直線で外からメイショウドトウを猛追するも2着に敗れた。ついにGI競走でも敗退、GI競走連勝記録は6でストップした。一方のメイショウドトウは悲願であったGI制覇を成し遂げた。このレースの敗北で海外遠征は白紙撤回され、秋シーズンも国内で走ることになった。, 秋シーズン初戦の京都大賞典は3歳時より鎬を削ったナリタトップロードとの対決に観衆は沸いた。レースでは後藤浩輝騎乗のステイゴールドが最後の直線走路で内から外に斜行してテイエムオペラオーに馬体をぶつけ、これに挟まれる形となったナリタトップロード鞍上の渡辺薫彦が落馬・競走中止となった。審議の結果1位入着していたステイゴールドは失格となり、繰り上げでテイエムオペラオーが1着となった[† 10]。レース後、和田は「今までならば完勝していたであろうメンバーに手こずったことについて、年齢のせいか反応がズブくなっているようだ」と語った。, 天皇賞4連覇の偉業に挑んだ天皇賞(秋)では前走の経験を活かして早めにメイショウドトウを捉えたものの、大外から伸びてきた1つ年下の伏兵アグネスデジタル[† 11]に直線で差し切られて2着。また本レースにて1年半にも及ぶテイエムオペラオー世代による中距離〜長距離GIの上位独占にも終止符が打たれた。, 前走2着に敗れながらも続くジャパンカップでも断然の1番人気に支持された。レースでは、直線入口で逃げ粘るウイズアンティシペイションに馬なりのまま並びかけると最後の200mでは早めに抜け出したが、ゴール直前でジャングルポケットに差し切られて2着に敗れた。前走同様に早く抜け出し過ぎたために目標にされ交わされるという内容で、上位2頭が叩き合いの末に後続馬を突き放してはいたものの、これまで僅差で勝ち続けてきたテイエムオペラオーの競馬としては例外的な負け方であった。このレースでは常に着順が一つ違いであったメイショウドトウは5着に敗れている。, 引退レースとなった有馬記念でも1番人気に支持されたが、レースでは過去最低着順となる5着に惨敗し、4着に終わったメイショウドトウにも及ばなかった。このレースを最後に競走生活を終えた。シーズン開始当初、すでにGI8勝に王手をかけておりシンボリルドルフ超えも確実視されていた同馬だったが、その快挙が成し遂げられることはなかった。, 2002年1月13日に、京都競馬場でライバル・メイショウドトウと合同の引退式が行なわれ、種牡馬となる。その後、2004年4月26日、JRA顕彰馬に選出され、殿堂入りが決まり、また、同年6月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「テイエムオペラオーメモリアル」が宝塚記念施行日の阪神競馬場の準メイン競走として施行された。, JRAの研究施設である競走馬総合研究所ではテイエムオペラオーを対象とした研究結果が発表された[5]。この研究で、テイエムオペラオーを平均的なサラブレッドや3歳GIホースと比較した結果、非常に心拍数が低く、大きく強い心臓を持っていたことが判明した。研究所ではこのデータを基に「テイエムオペラオーは傑出した持久力を持った競走馬であることが科学的に証明された」とコメントしている。, 豊富なスタミナと長く使える脚、パワーによって実現される競り合った時の勝負強さ・道悪に対する強さを身上としていたが、一流馬としての高い瞬発力やスピードも兼ね備えていた。また、先行・差しの戦法を用いるなど比較的幅の広い位置取りを選択してレースをしていた為、テイエムオペラオーの脚質を自在と判断する者も多く、器用な馬でもあった。, 野平祐二は、テイエムオペラオーの特徴は故障を心配するほどに「いつも真面目に走っている」点にあるとし、「あれだけレースに行ってしっかり走るという馬はほとんど出てこない」、「リボーやミルリーフと比較しても負けない」と評した[6]。, 河村清明はテイエムオペラオーが2000年に8戦8勝の成績を挙げた際、『本来であれば、『どこまで勝ち続けるのか』といった期待がファンに醸成されるはずなのに、そういった気配は感じられ(なかった)」「テイエムオペラオーには人気がなかった」と評している[7]。吉田均も、テイエムオペラオーが勝ったレースの2着馬が「つねにメイショウドトウ、ほかでもナリタトップロードとラスカルスズカ」とバリエーションに乏しいことで、テイエムオペラオーが地味なスター性のない馬になってしまっていると述べている[8]。野平祐二はテイエムオペラオーがスターホースの割に地味で派手さがないのは毛色のせいだと述べている[9]。, 種牡馬となる際に、シンジケートを組んで社台スタリオンステーション入りする交渉が行われたが、不調に終わり「生産者に公平に血を提供したい」という竹園の希望により竹園が個人所有する形で種牡馬入りした。2002年はメイショウドトウと同じくイーストスタッドに繋養され、翌年からは日高軽種馬農業協同組合の門別種馬場に繋養される。2010年いっぱいで門別種馬場が閉鎖されるのにともない、同年6月にテイエム牧場の日高支場に移動。同年11月にレックススタッドへ移動した。2012年にはさらに白馬牧場(新冠町)に移動し、オーナーの意向[10]によって所在地を非公開とした上で種牡馬としての活動を行っていたが、2018年5月17日に心臓麻痺のため急死した。22歳没。当年も5頭の繁殖牝馬に種付け予定で、そのうち2頭への種付けを終えた矢先の出来事であった。, 愛馬を種牡馬として成功させようという竹園の熱い情熱で、テイエムオーシャンの交配相手を2008年まですべて当馬としていたなど、竹園が所有する繁殖牝馬には積極的に交配されていた。しかし、日本では成功例が少ないサドラーズウェルズ系の種牡馬ということもあり、竹園所有の繁殖牝馬以外の交配相手となると質・頭数共にあまり恵まれなかった。, 産駒は2005年からデビューしたが、デビュー直後からしばらくは勝率や勝ち上がり率が非常に悪く、フレッシュマンサイアーランキング(日本総合)では14位と苦戦を強いられた。古馬になる産駒が増えてからは成績が上向き、2007年にメイショウトッパー(半兄にメイショウボーラー)が準オープンの北九州短距離ステークスを制して初の中央競馬古馬オープン馬となった。一方で、父のオペラハウスと同様に障害戦で活躍馬を出しており、竹園の自家生産馬であるテイエムトッパズレが京都ジャンプステークスを制して中央競馬での初重賞制覇を達成、テイエムエースも東京ハイジャンプを勝った。平地では2013年2月現在中央競馬の重賞を制した馬はいないものの、オープンクラスのレースは2008年にダイナミックグロウが阿蘇ステークスで初勝利を挙げた。地方競馬でも、バグパイプウィンドが金盃を制するなど、活躍をみせている。なお、これまでのリーディングサイアーランキング(日本総合)では、2008年の37位が最高である(2012年終了現在)。, 産駒の特徴としては仕上がりに時間がかかり、4歳以降に本格化する傾向が挙げられる。また、テイエムオペラオー自身は芝の中長距離で活躍した馬であるが、産駒は、短距離、ダート、障害といった父とは違う条件を得意とする馬も多い。特に障害戦ではテイエムエースやテイエムトッパズレなど本馬の父オペラハウス同様活躍馬を送り出している。, なお、オーナーである竹園が鹿児島県垂水市で牧場(テイエム牧場)を経営していることから産駒には九州産馬も多く(種付けは北海道で行っている)、初めて中央競馬の重賞を制したテイエムトッパズレも九州産馬であった。また、テイエムトッパズレが勝利した九州産馬限定新馬戦では、2着と3着にもテイエムオペラオー産駒が入線し、話題となった。, 近年の高速馬場化やレース体系の短距離化の進む日本競馬界においてはあまり例のない欧州型の血統である。, 父オペラハウスはキングジョージの勝ち馬、母父はブラッシンググルーム(自身は短距離馬であるものの、凱旋門賞を繰り上がり勝ちするレインボウクエストなどクラシックディスタンスに対応する産駒も輩出)と、一見欧州のクラシックディスタンスに向いた血統に見える。, しかし、母方の近親にはコジーン(BCマイル勝ち)及びドバイミレニアム(ダービーは距離が長く敗れている)がいる上、ナスルーラのインブリードを持つ母ワンスウェドの産駒には距離適性の幅が狭い短距離型が多く、姉のチャンネルフォー(1992年CBC賞2着他)は4勝全てを1400m以下で挙げている。, そのような背景を持つワンスウェドにオペラハウスを交配する事により、スタミナ補強を図った血統である。, 第2回 ウアルドマイン / 第3回 セントライト / 第4回 アルバイト / 第5回 ダイヱレク / 第6回 クリヤマト / 第7回 トキツカゼ / 第8回 ヒデヒカリ / 第9回 トサミドリ, 第10回 クモノハナ / 第11回 トキノミノル / 第12回 クリノハナ / 第13回 ボストニアン / 第14回 ダイナナホウシユウ / 第15回 ケゴン / 第16回 ヘキラク / 第17回 カズヨシ / 第18回 タイセイホープ / 第19回 ウイルデイール, 第20回 コダマ / 第21回 シンツバメ / 第22回 ヤマノオー / 第23回 メイズイ / 第24回 シンザン / 第25回 チトセオー / 第26回 ニホンピローエース / 第27回 リュウズキ / 第28回 マーチス / 第29回 ワイルドモア, 第30回 タニノムーティエ / 第31回 ヒカルイマイ / 第32回 ランドプリンス / 第33回 ハイセイコー / 第34回 キタノカチドキ / 第35回 カブラヤオー / 第36回 トウショウボーイ / 第37回 ハードバージ / 第38回 ファンタスト / 第39回 ビンゴガルー, 第40回 ハワイアンイメージ / 第41回 カツトップエース / 第42回 アズマハンター / 第43回 ミスターシービー / 第44回 シンボリルドルフ / 第45回 ミホシンザン / 第46回 ダイナコスモス / 第47回 サクラスターオー / 第48回 ヤエノムテキ / 第49回 ドクタースパート, 第50回 ハクタイセイ / 第51回 トウカイテイオー / 第52回 ミホノブルボン / 第53回 ナリタタイシン / 第54回 ナリタブライアン / 第55回 ジェニュイン / 第56回 イシノサンデー / 第57回 サニーブライアン / 第58回 セイウンスカイ / 第59回 テイエムオペラオー, 第60回 エアシャカール / 第61回 アグネスタキオン / 第62回 ノーリーズン / 第63回 ネオユニヴァース / 第64回 ダイワメジャー / 第65回 ディープインパクト / 第66回 メイショウサムソン / 第67回 ヴィクトリー / 第68回 キャプテントゥーレ / 第69回 アンライバルド, 第70回 ヴィクトワールピサ / 第71回 オルフェーヴル / 第72回 ゴールドシップ / 第73回 ロゴタイプ / 第74回 イスラボニータ / 第75回 ドゥラメンテ / 第76回 ディーマジェスティ / 第77回 アルアイン / 第78回 エポカドーロ / 第79回 サートゥルナーリア, 国際競走指定前: 的確でありながら高配当を見込めます。 第083回(1981年) カツラノハイセイコ 第157回(2018年) レインボーライン 第24回(1983年) ハギノカムイオー 第029回(1954年) ハクリヨウ 第51回(2006年) ディープインパクト 第19回(1978年) エリモジョージ 第42回(2001年) メイショウドトウ 第019回(1949年) ミハルオー var blogroll_channel_id = 307306; 第069回(1974年) タケホープ 見ておくべき頼りになる無料情報! 第26回(1981年) アンバーシャダイ 第03回(1962年) コダマ 第140回(2009年) カンパニー 第132回(2005年) ヘヴンリーロマンス 第136回(2007年) メイショウサムソン 第114回(1996年) バブルガムフェロー 第044回(1961年) タカマガハラ 第141回(2010年) ジャガーメイル 第32回(2012年) ジェンティルドンナ 天皇賞春は10人気で回収率1300%超え。 第124回(2001年) アグネスデジタル 第07回(1987年) ルグロリュー 第60回(2015年) ゴールドアクター 第146回(2012年) エイシンフラッシュ 第120回(1999年) スペシャルウィーク 第49回(2004年) ゼンノロブロイ 第119回(1999年) スペシャルウィーク 第18回(1977年) トウショウボーイ 第62回(2017年) キタサンブラック 第16回(1971年) トウメイ 第041回(1960年) クリペロ 第100回(1989年) スーパークリーク 第106回(1992年) レッツゴーターキン 第086回(1982年) メジロティターン 第13回(1972年) ショウフウミドリ 第34回(1989年) イナリワン 第41回(1996年) サクラローレル 第084回(1981年) ホウヨウボーイ 第017回(1948年) シーマー 第12回(1967年) カブトシロー テイエムオペラオー(英語表記: TM Opera O、香港表記: 好歌劇、1996年3月13日 - 2018年5月17日)は日本の競走馬・種牡馬。 国際競走指定後: 第59回(2018年) ミッキーロケット 第22回(1977年) テンポイント, 第23回(1978年) カネミノブ 第18回(1998年) エルコンドルパサー 第36回(2016年) キタサンブラック 第002回(1938年) ハセパーク 第06回(1961年) ホマレボシ 春G1は8戦6勝 第090回(1984年) ミスターシービー 第034回(1956年) ミツドフアーム 第075回(1977年) テンポイント 春のG1連勝街道の無料情報。 第160回(2019年) アーモンドアイ 第104回(1991年) プレクラスニー 第108回(1993年) ヤマニンゼファー 1: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2017/12/12 12:32:59.92 ID:keVB6JM20.net ジェンティルドンナをG... 2: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2019/07/05(金)09:37:1 ID:Zeg6C3ZO0 この秋天はカンパニーが取りこぼした... 1: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2018/02/07(水) 18:57:5 ID:h4O5Zfpy0 社台スタリオンパレードで言ってた... 1 : 2020/05/17(日)15:44:54 ID:JwE4i0Fq0 安田から宝塚でよかったろ... 1 : 2020/05/26(火)14:55:59 ID:LgXNMIdg0 南井←わかる 池添←ま、まあ… 小西栗田←流石に時代が違いすぎ... 1 : 2020/01/21(火)21:28:24 ID:a6ngTE1Z0 (´;ω;`)うぅ…... JRA「The Glory of Queens 華麗なる女王たちの記憶」投票結果発表!. 第03回(1983年) スタネーラ 第128回(2003年) シンボリクリスエス 第144回(2011年) トーセンジョーダン , ストロングリターン程度で地味に頑張ってるの見るとエピファネイアからライン繋がる気がする, クリスエスはスピードある馬だったのに、子供は鈍足ばっかりになったから種牡馬ってのはよくわからない, [競馬] 三大なぜ失敗したか分からない種牡馬 テイエムオペラオー、シンボリクリスエス、, 競馬ニワカ「よく分かんないけど丹内と柴田大買っとけばいいんでしょ」競馬玄人「ローカルならこの理論は通用する」, 【乃木坂46】絢音ちゃん嬉しそうwww 鈴木絢音と卒業生 斉藤優里が夢の共演!!!写真が続々公開キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!, 【競馬】エリザベス女王杯の予想オッズ見るとラッキーライラックが抜けた1番人気になりそう, 【乃木坂46】早川聖来がまさかの道着姿に!!??テコンドーにチャレンジ!!!キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!, 本当にこんな世界があったのかよ…『保険のおばちゃんに契約と引換えに咥えさせた』スマホ動画がこちら, ‹無・個撮›制服女子K生コスプレした色白スレンダーお姉さんが中年男に跨がり騎乗位中出しセッ●スwww, 学術会議の任命拒否、政府が本当の理由をついに発表へ!!!! 追求してた野党の立場なしwwwwww, 鬼滅映画「もののけ姫(193億)超えた」←うおおお! 「ハウルの動く城(196億)超えたで!」←お、おう…, [競馬] アーモンドアイ「球節が腫れてるぅ!」 サリオス「疝痛がぁ!死んじゃうよー」, 北村友一(34)「騎手人生はこれからも続くが、今後クロノジェネシスほどの馬に乗れる機会はまず無い」. お前が騎乗したワグネリアンと菜七子が騎乗したヘヴィータンクがレースしたら、ヘヴィータンクが10馬身差でワグネリアンをぶっちぎる。, 【悲報】日本競馬、50年前よりレベルダウンしていた(スピードシンボリ→シュヴァルグラン), あの当時から日本にゴドルフィンがいた場合、ゴドルフィンに売ってたらどうなったんだろうかとは思う, 産駒デビューの時、夏の小倉の九州産新馬戦で産駒がワンツーフィニッシュしていて、切なかったのを覚えている。, 大きな組織に置かれ外様扱いされずに良い牝馬につけられる種牡馬の中でうまくいくケースなんてほんの僅か, 現役時代はラッキーで実績重ねてて、実績ほど強くないっみんなわかってたから、あぁやっぱりなっていう感じ, オペよりやや弱いドトウもオペ以上に悲惨だしトップロードも失敗だから失敗種牡馬同士でやってただけ, エピファネイアが同じく初年度産駒で牝馬三冠を出したカナロアみたいな扱いにならない理由って何?, キングカメハメハ産駒は短距離戦全然強くないのに、なんでロードカナロアが誕生してるの?. テイエムオペラオーもナリタブライアンもオグリキャップも後継種牡馬を残せたと俺は思うんだ 150 名無しさん@実況で競馬板アウト 2020/10/15(木) 14:26:09.83 ID:kvj6Zhhe0 第035回(1957年) キタノオー 第131回(2005年) スズカマンボ 第19回(1974年) タニノチカラ 第109回(1994年) ビワハヤヒデ, 第111回(1995年) ライスシャワー 第16回(1996年) シングスピール 第30回(1989年) イナリワン 第022回(1950年) ヤシマドオター 第12回(1992年) トウカイテイオー 第11回(1970年) スピードシンボリ 第60回(2019年) リスグラシュー 第04回(1984年) カツラギエース 第081回(1980年) ニチドウタロー 第047回(1963年) コレヒサ 第073回(1976年) エリモジョージ 第025回(1952年) ミツハタ 第015回(1947年) オーライト 第57回(2016年) マリアライト 第15回(1995年) ランド 第33回(1988年) オグリキャップ 第070回(1974年) カミノテシオ 国際競走指定後: 第20回(1979年) サクラショウリ 第066回(1972年) ヤマニンウエーブ 第061回(1970年) リキエイカン 第56回(2015年) ラブリーデイ 第020回(1949年) ニユーフオード 第13回(1993年) レガシーワールド, 第14回(1994年) マーベラスクラウン 第057回(1968年) ヒカルタカイ 第038回(1958年) セルローズ 現在、テイエムオペラオーはhba日高軽種馬農協の門別種馬場で種牡馬生活を送っている。「いまでも多くのファンが会いに来てくれます。女性ファンが多いですね」とスタッフ。普段は借りてきた猫のようにおとなしいという。 第137回(2008年) アドマイヤジュピタ 第012回(1943年) グランドライト 第088回(1983年) キョウエイプロミス 第094回(1986年) サクラユタカオー 第103回(1991年) メジロマックイーン // -->, 史上最強の2歳馬と言われた早熟性 京王杯とかで見せていた異次元のキレ味 宝塚に見せたような史上最強級の能力, 次いでナリタブライアン 現代成功種牡馬のブライアンズタイムにパシフィカス 今で言うとルーラーシップみたいな血統なのに, 引用元: ・三大なぜ種牡馬失敗したか分からない馬 テイエムオペラオー、シンボリクリスエス, エリザベス女王杯前に 第27回(1986年) パーシャンボーイ 第130回(2004年) ゼンノロブロイ 第060回(1969年) メジロタイヨウ 第24回(2004年) ゼンノロブロイ 第10回(1969年) ダテホーライ 第24回(1979年) グリーングラス 第008回(1941年) マルタケ ワイド情報もかなり激アツなんです! 第021回(1950年) オーエンス 第02回(1961年) シーザー 第26回(2006年) ディープインパクト, 第27回(2007年) アドマイヤムーン 第049回(1964年) ヒカルポーラ 第06回(1965年) シンザン 第043回(1961年) ヤマニンモアー 第138回(2008年) ウオッカ 第045回(1962年) オンスロート 第44回(1999年) グラスワンダー 第25回(1980年) ホウヨウボーイ 第123回(2001年) テイエムオペラオー 第018回(1948年) カツフジ 第030回(1954年) オパールオーキツト 種牡馬能力低すぎるからどこにいても大失敗は確定してる 寧ろ社台なら歴史的大失敗で今もバカにされてただろうから行かなくてよかったな 50 : 2020/01/05(日)04:58:56 ID:w/TeI9ca0 第34回(1993年) メジロマックイーン 第039回(1959年) トサオー 第29回(2009年) ウオッカ 秋は菊花賞&天皇賞的中とギアMAXです! 第63回(2018年) ブラストワンピース 第091回(1985年) シンボリルドルフ 第06回(1986年) ジュピターアイランド 第64回(2019年) リスグラシュー, クモハタ - セントライト - クリフジ - トキツカゼ - トサミドリ - トキノミノル - メイヂヒカリ - ハクチカラ - セイユウ - コダマ - シンザン - スピードシンボリ - タケシバオー - グランドマーチス - ハイセイコー - トウショウボーイ - テンポイント - マルゼンスキー - ミスターシービー - シンボリルドルフ - メジロラモーヌ - オグリキャップ - メジロマックイーン - トウカイテイオー - ナリタブライアン - タイキシャトル - エルコンドルパサー - テイエムオペラオー - ディープインパクト - ウオッカ - オルフェーヴル - ジェンティルドンナ - ロードカナロア - キタサンブラック, イーグルカフェのみ前走の天皇賞にて競走している。それ以外の3頭とは初競走。なおこの4頭は同競走で13 - 16着に大敗し、最弱クラシック世代と酷評されたことがある。, メジロマックイーンも3競走で1位入線を果たしているが、秋の天皇賞は降着となっている。, 後藤は前述の産経大阪杯でアドマイヤボスに騎乗していたこともあり、結果的に2度もテイエムオペラオーに妨害を行ったことから竹園の逆鱗に触れたとされている。, アグネスデジタルは外国産馬であり、当時2頭に限られた天皇賞の外国産馬出走枠によりこのレースに出走(もう1頭はメイショウドトウ)したことにより、3歳の人気馬, 交流重賞を含めると、2010年12月29日の東京大賞典競走でスマートファルコンが記録を更新。, https://www.racingpost.com/results/315/tokyo/2000-11-26/294328, https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2018/05/20/kiji/20180520s00004000188000c.html, 【宝塚記念】ミッキーロケットがV!和田騎手はオペラオー以来17年ぶりのJRA・G1制覇, JRA50周年記念サイト 平成12年年度代表馬、顕彰馬テイエムオペラオー 飛び切りの安定感, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=テイエムオペラオー&oldid=80336340, 古馬の芝中長距離路線(天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・ジャパンカップ・有馬記念)を年間無敗で完全制覇した。敗戦の有無や年度を跨いでの制覇に関わらず、芝中長距離路線で古馬の混合G1競走すべてに勝利しているのはテイエムオペラオーのみである。, 2回先着を許したのは、同期のライバルであるナリタトップロードとメイショウドトウのみである。なお、3回以上先着した馬は存在しない。, 3代母River Guideの子孫には、同馬を同じく3代母として持つGaviola(, 4代母Blue Canoeから広がる一族には、Blue Canoeを3代母として持つCozzene(, 週刊Gallopコーナー「名馬は一日にして成らず(1) -テイエムオペラオー列伝-」. 第20回(1975年) イシノアラシ 第162回(2020年) アーモンドアイ, 第01回(1981年) メアジードーツ 第145回(2012年) ビートブラック 第148回(2013年) ジャスタウェイ 第151回(2015年) ゴールドシップ 第013回(1943年) クリヒカリ 第113回(1996年) サクラローレル 第099回(1989年) イナリワン 第107回(1993年) ライスシャワー 第17回(1972年) イシノヒカル 第05回(1985年) シンボリルドルフ 第152回(2015年) ラブリーデイ 第085回(1982年) モンテプリンス 第21回(1976年) トウショウボーイ 【ワイド的中一覧】 日本軽種馬協会が運営する国内最大級の競馬情報サイトjbisサーチの、テイエムオペラオーの種牡馬情報:種牡馬成績に関するページです。競馬に関する膨大なデータを手軽に検索・入手できます。 第024回(1951年) ハタカゼ 第19回(1999年) スペシャルウィーク 第005回(1939年) テツモン 第43回(1998年) グラスワンダー 第21回(2001年) ジャングルポケット テイエムオペラオー(英語表記: TM Opera O、香港表記: 好歌劇、1996年3月13日[† 1] - 2018年5月17日)は日本の競走馬・種牡馬。, 1999年JRA賞最優秀4歳牡馬、2000年年度代表馬およびJRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名はいずれも当時)。シンボリルドルフに続いての中央競馬GI7勝、2000年の年間無敗記録を達成した。長らく獲得賞金の世界記録を保持していたが、2017年のドバイワールドカップでアロゲートが優勝したことにより、その記録を同馬に譲った。2004年に日本中央競馬会の顕彰馬に選出。, 当馬の血統は姉にCBC賞2着のチャンネルフォーがおり、その他の兄弟の勝ちあがり率も高かったものの父・オペラハウスが当時日本でまだ良績を残していなかったサドラーズウェルズ系種牡馬ということもあり、それほど良血と呼べる血統ではなかった。また、馬体もバランスは取れていたもののこれといった特徴があるものではなかったために、牧場にいるときの同馬の評価はそれほど高いものではなかった。しかし、後にオーナーとなる竹園は牧場で同馬を見たときに「光り輝いて見えた」というほど惚れ込み、購入する事を決めた。, 当時、日本軽種馬協会の種牡馬であるオペラハウスの産駒の牡馬はセリ市に出す義務があったので、竹園は1997年の10月に静内で行われたセリ市で同馬を購入した。後にGIレースを7勝して18億円余りの賞金を稼ぐ事になる同馬だが、このセリ市では竹園に競りかけてくるものは誰も出ず、竹園はスタート価格の1000万円で購入することができた。後に最大のライバルとなるメイショウドトウの購入価格は500万円で9億円以上の賞金を稼ぎ、両馬は共に購入価格の約184倍ほどもの多額の賞金を稼いだことになる。, 竹園は、この馬に冠名である「テイエム」、父から名の一部をとって「オペラ」、そしてサラブレッドの王になれという思いを込めて「オー」という組み合わせで「テイエムオペラオー」と名付けた。, 1998年8月15日に京都競馬場で行われた3歳新馬戦(芝1600m)でデビュー、1番人気に推されたが6馬身差の2着に敗れ、骨折により休養に入った。休養明けとなる2走目の4歳未勝利戦 (ダート1400m)は4着に敗れたものの、通算3走目となる2月6日の市場取引馬・抽せん馬限定の4歳未勝利戦(ダート1800m)を5馬身差で圧勝し、未勝利を脱した。, その後は芝に戻って500万下条件のゆきやなぎ賞に勝利し、GIIIの毎日杯では4馬身差の圧勝を演じ、3連勝で初重賞制覇を果たした。その後はクラシックへの第一次登録がなかったため、追加登録料200万円を支払って皐月賞に出走登録することとなった。, 皐月賞では、良血馬アドマイヤベガや重賞2連勝中のナリタトップロードなどが出走、本馬は単勝11.1倍の5番人気であった。レースでは中団後方待機から最後の直線で追い込みを見せ勝利し、初めて追加登録料を支払ってクラシックに出走し勝利を収めた馬となった。また、鞍上の和田竜二騎手や生産者の杵臼牧場にとっても、初のGI制覇となった。, 皐月賞馬となったテイエムオペラオーは、2冠を目指して東京優駿(日本ダービー)へ出走した。東京優駿ではナリタトップロードとアドマイヤベガに僅差で続く3番人気に推され、3強の一角とされた。当時21歳であった鞍上の和田には史上最年少でのダービー制覇の記録もかかっていた。レースでは早めに抜け出したところをナリタトップロードに競り負け、さらに後方から追い込んできた武豊騎乗のアドマイヤベガにも差されて3着に敗れた。, 秋初戦は古馬が相手となるGIIの京都大賞典であったが、後方待機のまま凡走した1番人気のスペシャルウィークを警戒しすぎたことが災いしてツルマルツヨシの3着に終わった。続く菊花賞では2番人気に推された。レースは直線で後方から追い込むもナリタトップロードを交わしきれずに2着に敗れた。その後はステイヤーズステークスへ駒を進め、単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持されたが、クビ差の2着に敗れた。, この後、疲労のため一旦は回避を表明した有馬記念にも出走。この年の有馬記念にはグランプリ3連覇を目指すグラスワンダーとGI2連勝中のスペシャルウィークが出走しており、5番人気という皐月賞以来の低評価を受けた。レースでは最後の直線で一旦は先頭に盛り返し、グラスワンダーとスペシャルウィークのタイム差なしの3着に入線した。, 翌2000年は、前年の有馬記念で本格化の兆しを見せていたテイエムオペラオーにとって飛躍の年となる。, 年明け初戦の京都記念で久々の勝利を得ると、続けて阪神大賞典と天皇賞(春)と重賞を連勝した。阪神大賞典ではテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロード、ホットシークレット、トシザブイらテイエムオペラオーと同期の馬たちが1着から5着を独占し、とくに人気の集中したテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロードの複勝馬券および3頭の組み合わせからなる拡大馬連馬券(ワイド)は全てが1.0倍の元返しとなった。また、天皇賞(春)も阪神大賞典と同様に2着にラスカルスズカ、3着にナリタトップロードが入り、杉本清からは「やっぱり3頭の争いになった!」と実況された。, 天皇賞馬となったテイエムオペラオーは、さらに引き続き宝塚記念へも駒を進めた。宝塚記念では前年の優勝馬グラスワンダーとの二強対決が注目された。テイエムオペラオーは勝負所で仕掛けが遅れる展開となったが、最内枠発走から大外を捲り切るレースぶりでメイショウドトウらを差し切って優勝した。メイショウドトウは当時はまだ金鯱賞を制したばかりの伏兵であったが、このレースでテイエムオペラオーのクビ差の2着に健闘した。なお二強の片翼とされたグラスワンダーはレース中に左前脚を骨折、競走中止とはならなかったものの6着と惨敗。結局このレースを最後に引退となった。, 秋は京都大賞典から復帰。59kgを背負い、極端なスローペースで最後は上がり勝負のレースになるも、テイエムオペラオーは鞭を打たれることなく3F33.3の末脚を繰り出し勝利、天皇賞(秋)へ駒を進めた。, 迎えた天皇賞(秋)には1988年以降1番人気が12連敗中ということによるという「1番人気は勝てない」というジンクスがあり、「何が起こるかわからないのが秋の天皇賞」という雰囲気が漂っていた[1][† 2]。さらに当時の和田が東京競馬場での勝利経験が無い上に、外枠という不安材料も存在したため春以降2倍を切っていた単勝オッズが2.4倍となった。しかし、レースではスタート後の1コーナーで内に切れ込み加害馬となりながらも直線で抜け出し勝利を収めた。これにより、13年ぶりの秋の天皇賞1番人気馬の勝利であり、史上初の中央の主要4競馬場GI制覇を達成した(中山:皐月賞、東京:天皇賞(秋)、京都:天皇賞(春)、阪神:宝塚記念)。, 次走ジャパンカップでは1つ下の世代を代表する4頭(二冠馬エアシャカール、日本ダービー馬アグネスフライト、NHKマイルカップ馬イーグルカフェ、オークス馬シルクプリマドンナ)[† 3]との対決も注目されたが、引き続き1番人気に推され、単勝オッズは当時の支持率レコードとなる1.5倍となった。レースはスローペースで進み周囲を塞がれる展開となるも、最後にはファンタスティックライトを寄せ付けず、メイショウドトウの猛追も退けて勝利した。レース後には、ファンタスティックライト鞍上のランフランコ・デットーリが和田にハイタッチを求めて歩み寄るという珍しいシーンも見られた。同競走におけるテイエムオペラオーのパフォーマンスは国際的にも高く評価され、レーシング・ポスト・レイティングでは当時の国内最高値[† 4][† 5]となる126の評価が与えられた[2]。この勝利によりテイエムオペラオーはメジロラモーヌ、オグリキャップ、タマモクロス、ヒシアマゾン、タイキシャトルが記録していた、JRAにおける重賞最多連勝記録(6連勝)を更新した[† 6]。この競走中にテイエムオペラオーは他馬に蹴られて右後脚を負傷していたが、レントゲン検査の結果、骨には影響がないことが判明し、次走は古馬中長距離GI競走完全制覇を掛けて有馬記念へ出走することとなった。, 有馬記念当日の朝、他馬が暴れているのを見て興奮したテイエムオペラオーは、壁に顔面を強打して鼻血[† 7]を出す怪我を負った[3]。岩元は出走についての判断を迫られたが、顔面が腫れ殆ど片目が塞がった状態での出走が決断された。レースがスタートすると、逃げてレースを引っ張ると予想されていたホットシークレットが出遅れてスローペースの密集した展開となり、他馬のマークが集中したテイエムオペラオーは進路を塞がれ,直線に入っても後方11番手に置かれたままであったが、坂を上り終えた辺りで馬群がばらけると、馬群の中団後方からそれを割くように末脚を繰り出し、ゴール前でメイショウドトウをハナ差捉えて勝利を辛くも収めた。なお、この苦戦を間近で観戦していた竹園オーナーは「馬も騎手も、涙が出るくらい可哀想でした」とコメントしている。, これによりテイエムオペラオーは重賞8連勝、GI5連勝を達成し、年間無敗で2000年を終えた。, 天皇賞が同競走優勝馬でも再度出走できる制度に変わって(天皇賞の勝ち抜け制度の廃止)以降、当時の古馬中長距離路線のGI競走5戦(天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)[† 8]を完全制覇したのはテイエムオペラオーのみである。また、この年からスタートした秋季GI3競走(天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を同一年で完全制覇した馬への特別報奨金1億円(当時。現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円)も獲得し、JRA賞ではメイヂヒカリ、テンポイント、シンボリルドルフ以来4頭目となる満票で年度代表馬及び最優秀4歳以上牡馬に選ばれた。, 通例なら十分種牡馬入りできる好成績だったが、翌2001年も現役で走ることになった。, 2001年は主戦の和田竜二騎手が1月に落馬して鎖骨を骨折したため、産経大阪杯からの始動となった。産経大阪杯でのテイエムオペラオーは、調整のために訪れた先が大雪に見舞われて外に出ることができなかったために大幅に調整が遅れており、レース前の追い切りになっても良化の兆しは見られていなかったが、競馬ファンの多くは「それでも勝てる」とテイエムオペラオーを単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持した。しかし結果は、後藤浩輝騎手騎乗のアドマイヤボスの執拗なマークに遭い、直線では伸びを欠きトーホウドリームの4着に敗れた。, 次走の天皇賞(春)では4コーナーから鞭が入りながらも勝利を収め、メジロマックイーン以来となる春の天皇賞連覇を達成した。勝ち抜け制度撤廃後、天皇賞を3勝したのはテイエムオペラオーとキタサンブラックのみである[4][† 9]。この勝利によってシンボリルドルフ以来となるGI7勝を達成し、次走ではそれを超えるGI8勝にも期待がかかることとなった。, 各方面からは、「国内には敵う馬がいなくなったのだから、テイエムオペラオーの海外遠征を見てみたい」という声も多かったので、オーナーである竹園は「宝塚記念の結果次第で海外遠征も視野に入れる」と表明した。, GI8勝の新記録が懸かった宝塚記念では、単勝支持率1.5倍と圧倒的な人気を集めた。続く2番人気はメイショウドトウであった。レースでは、今まで僅差で惜敗してきたメイショウドトウが思い切って早めに先頭に立ち押し切る作戦をとる。一方のテイエムオペラオーは4コーナーで馬群に包まれ一瞬立ち上がってしまうという不利があり、直線で外からメイショウドトウを猛追するも2着に敗れた。ついにGI競走でも敗退、GI競走連勝記録は6でストップした。一方のメイショウドトウは悲願であったGI制覇を成し遂げた。このレースの敗北で海外遠征は白紙撤回され、秋シーズンも国内で走ることになった。, 秋シーズン初戦の京都大賞典は3歳時より鎬を削ったナリタトップロードとの対決に観衆は沸いた。レースでは後藤浩輝騎乗のステイゴールドが最後の直線走路で内から外に斜行してテイエムオペラオーに馬体をぶつけ、これに挟まれる形となったナリタトップロード鞍上の渡辺薫彦が落馬・競走中止となった。審議の結果1位入着していたステイゴールドは失格となり、繰り上げでテイエムオペラオーが1着となった[† 10]。レース後、和田は「今までならば完勝していたであろうメンバーに手こずったことについて、年齢のせいか反応がズブくなっているようだ」と語った。, 天皇賞4連覇の偉業に挑んだ天皇賞(秋)では前走の経験を活かして早めにメイショウドトウを捉えたものの、大外から伸びてきた1つ年下の伏兵アグネスデジタル[† 11]に直線で差し切られて2着。また本レースにて1年半にも及ぶテイエムオペラオー世代による中距離〜長距離GIの上位独占にも終止符が打たれた。, 前走2着に敗れながらも続くジャパンカップでも断然の1番人気に支持された。レースでは、直線入口で逃げ粘るウイズアンティシペイションに馬なりのまま並びかけると最後の200mでは早めに抜け出したが、ゴール直前でジャングルポケットに差し切られて2着に敗れた。前走同様に早く抜け出し過ぎたために目標にされ交わされるという内容で、上位2頭が叩き合いの末に後続馬を突き放してはいたものの、これまで僅差で勝ち続けてきたテイエムオペラオーの競馬としては例外的な負け方であった。このレースでは常に着順が一つ違いであったメイショウドトウは5着に敗れている。, 引退レースとなった有馬記念でも1番人気に支持されたが、レースでは過去最低着順となる5着に惨敗し、4着に終わったメイショウドトウにも及ばなかった。このレースを最後に競走生活を終えた。シーズン開始当初、すでにGI8勝に王手をかけておりシンボリルドルフ超えも確実視されていた同馬だったが、その快挙が成し遂げられることはなかった。, 2002年1月13日に、京都競馬場でライバル・メイショウドトウと合同の引退式が行なわれ、種牡馬となる。その後、2004年4月26日、JRA顕彰馬に選出され、殿堂入りが決まり、また、同年6月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「テイエムオペラオーメモリアル」が宝塚記念施行日の阪神競馬場の準メイン競走として施行された。, JRAの研究施設である競走馬総合研究所ではテイエムオペラオーを対象とした研究結果が発表された[5]。この研究で、テイエムオペラオーを平均的なサラブレッドや3歳GIホースと比較した結果、非常に心拍数が低く、大きく強い心臓を持っていたことが判明した。研究所ではこのデータを基に「テイエムオペラオーは傑出した持久力を持った競走馬であることが科学的に証明された」とコメントしている。, 豊富なスタミナと長く使える脚、パワーによって実現される競り合った時の勝負強さ・道悪に対する強さを身上としていたが、一流馬としての高い瞬発力やスピードも兼ね備えていた。また、先行・差しの戦法を用いるなど比較的幅の広い位置取りを選択してレースをしていた為、テイエムオペラオーの脚質を自在と判断する者も多く、器用な馬でもあった。, 野平祐二は、テイエムオペラオーの特徴は故障を心配するほどに「いつも真面目に走っている」点にあるとし、「あれだけレースに行ってしっかり走るという馬はほとんど出てこない」、「リボーやミルリーフと比較しても負けない」と評した[6]。, 河村清明はテイエムオペラオーが2000年に8戦8勝の成績を挙げた際、『本来であれば、『どこまで勝ち続けるのか』といった期待がファンに醸成されるはずなのに、そういった気配は感じられ(なかった)」「テイエムオペラオーには人気がなかった」と評している[7]。吉田均も、テイエムオペラオーが勝ったレースの2着馬が「つねにメイショウドトウ、ほかでもナリタトップロードとラスカルスズカ」とバリエーションに乏しいことで、テイエムオペラオーが地味なスター性のない馬になってしまっていると述べている[8]。野平祐二はテイエムオペラオーがスターホースの割に地味で派手さがないのは毛色のせいだと述べている[9]。, 種牡馬となる際に、シンジケートを組んで社台スタリオンステーション入りする交渉が行われたが、不調に終わり「生産者に公平に血を提供したい」という竹園の希望により竹園が個人所有する形で種牡馬入りした。2002年はメイショウドトウと同じくイーストスタッドに繋養され、翌年からは日高軽種馬農業協同組合の門別種馬場に繋養される。2010年いっぱいで門別種馬場が閉鎖されるのにともない、同年6月にテイエム牧場の日高支場に移動。同年11月にレックススタッドへ移動した。2012年にはさらに白馬牧場(新冠町)に移動し、オーナーの意向[10]によって所在地を非公開とした上で種牡馬としての活動を行っていたが、2018年5月17日に心臓麻痺のため急死した。22歳没。当年も5頭の繁殖牝馬に種付け予定で、そのうち2頭への種付けを終えた矢先の出来事であった。, 愛馬を種牡馬として成功させようという竹園の熱い情熱で、テイエムオーシャンの交配相手を2008年まですべて当馬としていたなど、竹園が所有する繁殖牝馬には積極的に交配されていた。しかし、日本では成功例が少ないサドラーズウェルズ系の種牡馬ということもあり、竹園所有の繁殖牝馬以外の交配相手となると質・頭数共にあまり恵まれなかった。, 産駒は2005年からデビューしたが、デビュー直後からしばらくは勝率や勝ち上がり率が非常に悪く、フレッシュマンサイアーランキング(日本総合)では14位と苦戦を強いられた。古馬になる産駒が増えてからは成績が上向き、2007年にメイショウトッパー(半兄にメイショウボーラー)が準オープンの北九州短距離ステークスを制して初の中央競馬古馬オープン馬となった。一方で、父のオペラハウスと同様に障害戦で活躍馬を出しており、竹園の自家生産馬であるテイエムトッパズレが京都ジャンプステークスを制して中央競馬での初重賞制覇を達成、テイエムエースも東京ハイジャンプを勝った。平地では2013年2月現在中央競馬の重賞を制した馬はいないものの、オープンクラスのレースは2008年にダイナミックグロウが阿蘇ステークスで初勝利を挙げた。地方競馬でも、バグパイプウィンドが金盃を制するなど、活躍をみせている。なお、これまでのリーディングサイアーランキング(日本総合)では、2008年の37位が最高である(2012年終了現在)。, 産駒の特徴としては仕上がりに時間がかかり、4歳以降に本格化する傾向が挙げられる。また、テイエムオペラオー自身は芝の中長距離で活躍した馬であるが、産駒は、短距離、ダート、障害といった父とは違う条件を得意とする馬も多い。特に障害戦ではテイエムエースやテイエムトッパズレなど本馬の父オペラハウス同様活躍馬を送り出している。, なお、オーナーである竹園が鹿児島県垂水市で牧場(テイエム牧場)を経営していることから産駒には九州産馬も多く(種付けは北海道で行っている)、初めて中央競馬の重賞を制したテイエムトッパズレも九州産馬であった。また、テイエムトッパズレが勝利した九州産馬限定新馬戦では、2着と3着にもテイエムオペラオー産駒が入線し、話題となった。, 近年の高速馬場化やレース体系の短距離化の進む日本競馬界においてはあまり例のない欧州型の血統である。, 父オペラハウスはキングジョージの勝ち馬、母父はブラッシンググルーム(自身は短距離馬であるものの、凱旋門賞を繰り上がり勝ちするレインボウクエストなどクラシックディスタンスに対応する産駒も輩出)と、一見欧州のクラシックディスタンスに向いた血統に見える。, しかし、母方の近親にはコジーン(BCマイル勝ち)及びドバイミレニアム(ダービーは距離が長く敗れている)がいる上、ナスルーラのインブリードを持つ母ワンスウェドの産駒には距離適性の幅が狭い短距離型が多く、姉のチャンネルフォー(1992年CBC賞2着他)は4勝全てを1400m以下で挙げている。, そのような背景を持つワンスウェドにオペラハウスを交配する事により、スタミナ補強を図った血統である。, イーグルカフェのみ前走の天皇賞にて競走している。それ以外の3頭とは初競走。なおこの4頭は同競走で13 - 16着に大敗し、最弱クラシック世代と酷評されたことがある。, メジロマックイーンも3競走で1位入線を果たしているが、秋の天皇賞は降着となっている。, 後藤は前述の産経大阪杯でアドマイヤボスに騎乗していたこともあり、結果的に2度もテイエムオペラオーに妨害を行ったことから竹園の逆鱗に触れたとされている。, アグネスデジタルは外国産馬であり、当時2頭に限られた天皇賞の外国産馬出走枠によりこのレースに出走(もう1頭はメイショウドトウ)したことにより、3歳の人気馬, 交流重賞を含めると、2010年12月29日の東京大賞典競走でスマートファルコンが記録を更新。, https://www.racingpost.com/results/315/tokyo/2000-11-26/294328, https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2018/05/20/kiji/20180520s00004000188000c.html, 【宝塚記念】ミッキーロケットがV!和田騎手はオペラオー以来17年ぶりのJRA・G1制覇, JRA50周年記念サイト 平成12年年度代表馬、顕彰馬テイエムオペラオー 飛び切りの安定感, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=テイエムオペラオー&oldid=80336340, 古馬の芝中長距離路線(天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・ジャパンカップ・有馬記念)を年間無敗で完全制覇した。敗戦の有無や年度を跨いでの制覇に関わらず、芝中長距離路線で古馬の混合G1競走すべてに勝利しているのはテイエムオペラオーのみである。, 2回先着を許したのは、同期のライバルであるナリタトップロードとメイショウドトウのみである。なお、3回以上先着した馬は存在しない。, 3代母River Guideの子孫には、同馬を同じく3代母として持つGaviola(, 4代母Blue Canoeから広がる一族には、Blue Canoeを3代母として持つCozzene(, 週刊Gallopコーナー「名馬は一日にして成らず(1) -テイエムオペラオー列伝-」.