私はショーの前日にホテルのロビーで入場件を買いました。 私は火曜日と土曜日のショーを観ました。ショーの内容は違います。火曜日のショーの方が派手やかでした。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのDVDに出ていた、歌手や演奏者の何人かは既に亡くなっているのは知っていましたが、あのオマール女性歌手(Omara Portuondo)を見、素晴らしい声を聞くことができて感動しました。音楽に合わせプロのダンサーが踊るサルサも素晴らしかった。ショーが終わると客席の人がフロアーに出て踊ってました。, ハバナの歴史ある高級ホテルです。歴史ある建物・装飾・展示がいたるところから伝わる良い雰囲気です。空港からでもどこでもタクシーでホテル名を言うだけで100%理解してくれます。古い建物なのでやはり客室は狭いです。地下1F朝食会場は広く食べ物の種類も多く満足です。旧市街中心まで徒歩約30分、暑さもありタクシーが良い距離ですが、歩くと海沿いの道で景色がキレイと一本中に入れば世界遺産のスペイン統治時代の街並みで生活する人の様子が見れるのでそれも良いかと。タクシーはいつでもホテル前に待機してます。ホテルの中庭は海も見れて雰囲気も良く最高です。, 地下の食堂は朝食時に団体客でかなり混み合い、開店前から列ができている。欧米では珍しくハンドシャワーだったので快適だった。, 新市街のアメリカ大使館の近くに位置しています。要人も利用されているようで、別館には黒塗りの車とガードマンのような方が立ちはだかっています。レセプションの奥のレストランが開いている時はどうやら要人がいらっしゃる時のようです。中庭のバーはアルカポネが経営されていたという話。モヒートのアルコール抜きを注文して、のんびり過ごしました。孔雀も遊びに来ます。セレブがかつて利用した部屋にはプレートが貼ってあるのでご覧ください。私の部屋は残念ながらどなたも宿泊されていませんでした。地下のレストランに向かう階段にもセレブの写真が飾ってあります。, 旧市街は、とても良かったです。又、バラデロの海でスノーケリングを楽しむことが出来ました。透き通った美しい青い海は、結講塩気が多いけども泳ぐにはもってこいの海水温度でした。B&Bのホテルもフレンドリーでat homeで良かったです。足を伸ばして、老人と海の舞台になった所に行ってきました。中学の時に老人と海を読んでずっと行きたかった場所でもありました。キューバで画家で有名なサルバドルさんに直々にオリジナルの素敵なペインチングを描いてもらいました❗️何度でも行きたくなるほどフレンドリーで素敵なキューバでした❗️, こちらのテラスでお酒を飲んでショーを見ました。テラスは海に臨んでいて心地の良い雰囲気です。宿泊客以外にも。あとショーを見ました。トロピカーナほどではないと思いますが、私から見れば素晴らしいショーです、一見の価値あり!, 弊社サイトの現バージョンは、日本の日本語の利用者を対象としています。 別の国や地域にお住まいの場合は、ドロップダウンメニューから、国または地域別のサイトを選択してください。 詳細, 料金は提携サイトから提示されたもので、1泊あたりの宿泊料金を反映しています。また、提携サイトが了承している税金やサービス料を含みます。 詳細については、提携サイトを参照してください。, 口コミは投稿者の個人的見解に基づきます。TripAdvisor LLCの見解ではありません。, 今回は確認になかったのでが、2015年には公演をしていました。ホテルのサイトには2017年1月現在も私がショーを観た時と同じ内容があります。念のために旅行会社または現地ガイドさんに確認して下さい。本場キューバの音楽はこのホテルで公演されるブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(西: Buena Vista Social Club)バンドのディナーショーをお勧めします。ホテルに滞在している必要はありません。. 「BVSC(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)」とは1932〜1962年、キューバの首都ハバナに実在した会員制音楽クラブ。集まってくるメンバーの日常は、木工や靴磨き、葉巻作りや、わずかな賃金で生活している人々。 キューバ音楽の伝説の一人、コンパイ・セグンド, そのギター弾きは、ずっと風景の中に生きてきた。 デビュー以来、彼は一貫して商業主義に惑わされることのない不屈の音楽を録音…, ブルーズの壮大な歴史を振り返ろうとする時、その幕開けである20世紀初頭のカントリー・ブルーズを担った男たちの中には、視力…, 深く愛を失った男がいる。仕事や金、家族や友人すべてを捨て去って、男は独り旅に出る。情報も時間も関係のない場所へ。傷だらけ…, ★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第35回 「さすらい」から連…, 今から数年前のこと。渋谷のタワーレコードがまだリニューアルする前で、7階フロアには膨大な数の書籍や洋書が売られていた。あ…, 1968年の主演作『ブリット』で、体制側である刑事役を演じたにも関わらず、“瞬間の演技”ともいうべき孤独感を貫き、やはり…, もし「一番好きな映画スターは?」と訊かれたら、あなたは誰をベスト3に挙げるだろう。きっと多くの映画ファンがこの名を口にす…, 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の後、一通の奇妙な手紙がジム・ジャームッシュの手元に届いた。そこには「あなたの映画が…, かつてデトロイトは、フォードやゼネラル・モーターズやクライスラーといった自動車産業の本拠地が置かれて栄華を極めていたが、…, 1980年代後半、日本でもちょっとした話題になったアメリカ発の新しい文学の動きがあった。それは「ニュー・ロスト・ジェネレ…, 名作映画の“あの場面”で流れる“あの曲”を発掘する『TAP the SCENE』のバックナンバーはこちらから, ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ〜キューバの老ミュージシャンたちを蘇らせた二人の男の旅路 - TAP the POP. ショーだけはモヒート(Mojito)一杯付で25CUC(3,000円). キューバはだんだん日の入りの時間が遅くなってきて、マレコン通りの夕日をインターンが終わった後もゆっくり楽しめるようになってきました, 毎日違った景色を観ることができるので、是非皆さんもキューバに来たらマレコン通りの海沿いでゆっくりしてみてください♪, ハバナでは、ジャズバンドのライブやキャバレー、バレエなど様々なショーがあちらこちらで毎晩開催されています, 今回は、その中でも特に人気のHOTEL NATIONAL DE CUBA(ホテル ナショナル デ キューバ)で開催されるCabaret Parisien(キャバレー パリジャン)とブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのコンサートを紹介します, HOTEL NATIONAL DE CUBAは、キューバを代表する5つ星ホテルで建物全体が国の記念建造物に指定されている歴史あるホテルです, 数々の著名人が宿泊したことでも知られているので、キューバで歴史情緒あふれるホテルに滞在したい方はおすすめですよ♪, そこで開催されるCabaret Parisienとブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのコンサートは、HOTEL NATIONAL DE CUBAの名物ステージなんです!, 入り口は少しわかりづらいですが、ロビーには入らずに左のパリジャンのステージに直結する入り口があります(案内のホテルマンが立っています)。, このパリジャンのショーはディナー付きか1杯のモヒート付きかのコースを選ぶことができます, 私はモヒート付きのコースにしましたが、21時頃に行ったところスムーズに入ることができました!, ショーが始まるのは22時からですが、それまでの1時間はミニライブが開催されており、ディナーコースの人もショーが始まるまで楽しむことができます, 私が来た時間はまだ早かったようで、最前列に座ることができました(席を移動している人もいたので、もうちょっと後ろで見たいよって人は移動もできると思います!)。, ハバナではトロピカーナという有名なキャバレーもありますが、パリジャンのショーも予想以上に迫力があり大満足でした♪, ショー自体は23時半に終わりますが、その後観客も参加できるダンスレッスンが行われるので、夜をもっと楽しみたいという方は参加してみてはいかがでしょうか??, 場所:salon1930(この日だけはsalon1930で行事が行われているため、プールサイドの屋外ライブでした‍♀️), そもそもブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブとはなんぞや、ということなのですが、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブはアメリカのギタリストとキューバのミュージシャンで結成されたバンドのこと。, 1999年にはドキュメンタリー映画が上映され、世界中にキューバの音楽として知られることになりました, ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのライブは様々なところで行われておりますが、一番の人気はHOTEL NATIONAL DE CUBAのショーなのです, 毎週火曜と土曜だけなので短期滞在で曜日が合わないという観光客には難しいですが、逆にその日にハバナにいる場合は是非観に行ってみてください♪, ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのコンサートもディナー付きかカクテル付きかを選ぶことができます!, 最後の方はステージで踊っている観客も多く、1時間半たっぷりとキューバの音楽を味わうことができました♪, もっとブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの音楽の予習を日本でしておけばよかったと後悔しているので、日本に帰国したらもう一回CDで聴いてみようかと思います笑, 音楽は正直あまりよくわからない&ゆっくりとショーを楽しみたい(ブエナビスタは観客参加型の曲が多い為)…パリジャン, もちろんどちらもとてもおすすめなので、両方行くことができる人は両方とも行ってみましょう, HISではどちらのショーのツアーもやっているため、気になる方は以下のURLをクリックしてみてくださいね♪, https://activities.his-j.com/TourLeaf/HAV0065/, https://activities.his-j.com/TourLeaf/HAV0012/. 今回は確認になかったのでが、2015年には公演をしていました。ホテルのサイトには2017年1月現在も私がショーを観た時と同じ内容があります。念のために旅行会社または現地ガイドさんに確認して下さい。本場キューバの音楽はこのホテルで公演されるブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(西: Buena Vista Social Club)バンドのディナーショーをお勧めします。ホテルに滞在している必要はありません。 ショーは火曜日と土曜日の夜9:30-11:30、8:30開演です。ディナー付で50CUC(6,000円). 海岸や植物、カラフルな建物や乗り物、笑顔の人々や子供たちの姿など、風と光を身体に浴びながらハバナの街並をバイクに乗って巡るライ・クーダーと息子のヨアキム。キューバの巨人たちの足跡が染みついた国営レコード公社スタジオでのセッション。そして『BUENA VISTA SOCIAL CLUB』で共演した老ミュージシャンたち各々の音楽や人生がフィルムに収められていく。 90歳を過ぎながらも帽子と葉巻の洒落男、ギタリストのコンパイ・セグンド(1907年生まれ)は“生涯現役”を貫き通す。家にピアノがなかった“キューバ音楽史上3本の指に入るほど偉大なピアニスト”、ルベーン・ゴンサレス(1919年生まれ)。歌いながら涙する女性シンガーのオマーラ・ポルトゥオンド(1930年生まれ)など、奇跡のような面々が同じ音楽に向き合っている。 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」とは、1932〜1962年までキューバの首都ハバナに実在した会員制音楽クラブの名前。社交場と言っても、集まってくるのは普段は僅かな賃金の仕事に就きながら貧しい生活を余儀なくされている人々。 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(キューバの伝説的なバンドのドキュメンタリー映画)そのものの光景が広がるハバナは最高に心地よく、旅人を独特の雰囲気に酔わせる街だ。 映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(BUENA VISTA SOCIAL CLUB/1999)は、映画作家ヴィム・ヴェンダースが1998年、友人のライ・クーダーと共に撮影クルーを伴ってキューバを訪れて制作した音楽ドキュメンタリー映画だ。いざ現地に入ると、アイデアや撮影技術は消えてしまい、ロケハンも含めてその日その日でこなすことになった。 ライは常にハバナのことを考えているようだった。懐かしそうな表情で目を輝かせている時、彼の心はハバナにあるのだと感じた。彼はルベーンやコンパイ、イブライムの素晴らしいエピソードを聞かせてくれたり、キューバに関する本や写真を持って来てくれたりした。そしてライに言った。「今度キューバに行く時は必ず知らせて欲しい。私も一緒に行きたいから」, ライ・クーダーがレコーディングを終えてキューバから戻ってくると、ヴィム・ヴェンダースはミックステープをもらい、その音楽に取り憑かれた。それからの数ヶ月は毎日そのテープを聴き続けたという。ライ・クーダーがキューバ国外にはほとんど知られることもなく、今では完全に忘れられた存在だった老ミュージシャンやシンガーたちと共に作り上げたそのアルバムは、1997年に『BUENA VISTA SOCIAL CLUB』としてリリースされる。この作品はライのキャリア史上最高のセールスを記録し、グラミー賞も受賞した。 この映画が公開されて20年。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」はレジェンドになった。アメリカのギタリストであり、歌手であり、作曲家のライ・クーダーがキューバから持ち帰ったミックス・テープを聴いてヴィム・ヴェンダースはキューバ音楽にとりつかれ本作を監督した。キューバ以外にはほとんど知られることがなく、忘れられた存在だった老ミュージシャンたちと共に作り上げたアルバムは、1997年にリリースされ、グラミー賞を受賞した。「BVSC(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)」とは1932〜1962年、キューバの首都ハバナに実在した会員制音楽クラブ。集まってくるメンバーの日常は、木工や靴磨き、葉巻作りや、わずかな賃金で生活している人々。彼らは夜になるとクラブでラム酒と葉巻、音楽とダンス、楽しいおしゃべりをして過ごした▼登場するミュージシャンたちは90歳の現役ギタリスト、キューバのナット・キング・コールと呼ばれる歌手、認知症と言われながらピアノの前に座れば完璧に演奏するピアニスト、父と母のデュエットを聞きながら育ち、今もその歌を歌う歌姫ら。彼らの顔がいい、語りがいい。謙虚で素朴で誇り高く、品格に溢れる。キューバのナット・キング・コールことイブライムは「キューバ人は感謝を忘れない。もし物欲の道をたどればキューバはとっくに滅びた。キューバは小国だが強い国だ。抵抗ということを知っている。いい意味でも悪い意味でも」。老ピアニスト、ルベーンがピアノを弾く横顔は穏やかな哲学者のようだ。マヌエルはトランペットを吹いて47年。18歳で始めた。「みな忘れられた者たちだ。でもこの共演でルベーンもイブライムも記憶されるだろう。90歳のコンパイのトレスの腕は未だ衰えを見せていない」。彼らは純粋で良質のエネルギーを放ち、繊細で地味な存在なのにパワーに満ちている。ヴェンダースは「あれほど美しい演奏にも曲の数々にも初めて出会った。老演奏家たちは健在で、心を開き喜んで演奏してくれた。ロスへの帰路、みなでコンサートできたらと考えた。その頃すでにアルバムが売れて彼らは多忙で、全員が揃うのは難しかったが、98年7月1日カーネギーホールでの公演が決まった。みな熱狂した。これがBVSCの最後の公演になった」▼当時アメリカとの政治事情から、国際社会から孤立していたキューバに脚光が当たった。公演の合間、ニューヨークの街を散歩する彼らの会話。「見ろよ、大きなビルだ」「道も綺麗だ。いい街だ」「有名人の人形だ。何人知っている?」「盲目のミュージシャンだ。名前は忘れた」映画に映されたキューバの街は古く、壁は崩れ落ち、洗濯物のひしめくベランダ、裸足の子供たち。トロピカルな野菜を積んだ荷車の周りに集まる主婦は、濃い笑顔を道行く人に投げかける。波涛をあげてストリートにかぶさる沿岸。我らが祖国。コンサートは爆発的な喝采だった。ステージの彼らに、客席から駆け寄った若いファンが贈ったのはキューバの国旗だ。高々と頭上に翻した国旗に胸が熱くなる。美しいものにも、それに感動する心にも、年齢も国境もないのだ。「Pina/踊り続けるいのち」もそうでしたが、ヴィム・ヴェンダースのアーティストに対するリスペクトと愛が素直に伝わってきました。, お米にわく虫の対処法 ノシメマダラメイガなど虫のわいたお米、食べられる? 駆除方法は? 予防策は?. 心を豊かにしてくれる。優しくしてくれる。生きる歓びを思い出させてくれる。逆境は必ず乗り越えられるということ。愛する人と真っ直ぐに向き合うということ。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は間違いなくそんな体験をさせてくれる。 それにしても彼らの存在感と言葉の重みに胸を打たれる。例えば“キューバのナット・キング・コール”とも称されるイブライム・フェレール(1927年生まれ)は、レコーディング前は靴磨き職人をやっていた。不遇の時代には「もう歌はやめようと幻滅した。生きていく中で耐えることが多すぎて、歌はたくさんだ。何も得られない」と思ったことがあったと言う。彼はいつも母親の形見であるステッキを手放さない。 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(西: Buena Vista Social Club)バンド ショー - ナショナル デ キューバ(スゥダッド・デ・ハバナ州)に行くならトリップアドバイザーで口コミを事前にチェック!旅行者からの口コミ(7,242件)、写真(7,576枚)とスゥダッド・デ・ハバナ州のお得な情報をご紹介しています。 ヴェンダースは、老ミュージシャンたちの素晴らしさをありのまま映してその音楽をダイレクトに伝えること、それだけを心掛けた。技術やアプローチの仕方は重要ではなく、大切なのはカメラの背後に立つ人々の対象への姿勢や想いであり、彼らの謙虚さや寛大さを損なうことなく伝えていくことが美学だった。 ブエナ・ビスタ現象再び。あれから18年—。‘さよなら’世界ツアーの幕が上がる。|映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』公式サイト カストロやチェ・ゲバラといった革命者がいた町。ヘミングウェイが愛した町。キューバという国の過去と現在が綴られる中、アムステルダムのコンサートや歴史的ステージとなったNYのカーネギー・ホール公演の模様を捉える。 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」とは、1932〜1962年までキューバの首都ハバナに実在した会員制音楽クラブの名前。社交場と言っても、集まってくるのは普段は僅かな賃金の仕事に就きながら貧しい生活を余儀なくされている人々。彼らは夜になるとそこで、お洒落とラム酒と葉巻、そして音楽やダンスやお喋りを楽しんだ。彼らは品格や希望を決して忘れなかった。 風景や移動に拘ってきたライ・クーダーとヴィム・ヴェンダースの旅路から生まれたこの音源や映像のプロジェクトをきっかけに、キューバ音楽や文化に多大な貢献をしたにも関わらず忘却の彼方にいた老ミュージシャンやシンガーたちが蘇り、世界中にその魅力が広まった。 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのライブは様々なところで行われておりますが、一番の人気はhotel national de cubaのショーなのです 毎週火曜と土曜だけなので短期滞在で曜日が合わないという観光客には難しいですが、逆にその日にハバナにいる場合は是非観に行ってみてください♪ 川島幸夫『ハバナ・シガー、紫煙の誘惑』Studio Winds、2004年3月、ISBN 4809682544。 後藤繁雄(写真・大森克己)『インハバナ ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・ストーリー』アーティストハウス、2000年2月、ISBN 490114233X。 外部リンク ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(西: Buena Vista Social Club)バンド ショー - ナショナル デ キューバ(スゥダッド・デ・ハバナ州)に行くならトリップアドバイザーで口コミを事前にチェック!旅行者からの口コミ(7,242件)、写真(7,576枚)とスゥダッド・デ・ハバナ州のお得な情報をご紹介して … ハバナ(スペイン語: La Habana[1] [la aˈβana] ( 音声ファイル)、英語: Havana /həˈvænə/[2])は、キューバの首都。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海地域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。キューバの公用語であるスペイン語での発音は「ラ・アバーナ」に近いが、日本語では英語音に近い「ハバナ」の名称が広く用いられている。, 歴史的な名称はサン・クリストーバル・デ・ラ・アバーナ[注 1](スペイン語: San Cristóbal de La Habana)。「クリストーバル」はクリストフォロスのスペイン語読みであり、ハバナの守護聖人である。, ハバナの始まりは征服者であるディエゴ・ベラスケスが、1514年にキューバ島の南岸(バタバノ湾側)にある現在のスルヒエドロ・デ・バタバノの近くに居住地を築いた時点まで遡る。現在地(メキシコ湾側)に都市が移されたのは1519年のことである。, 1553年にはそれまでのサンティアゴ・デ・クーバに代わってキューバ総督領の首府となった。1519年以降、港を中心に都市を築かれていったハバナはスペインの新大陸における植民地経営の中心地として、及びに貿易の主要な中継地として発展した。そのためにキューバはフランス、イギリス、オランダの海賊の攻撃を受けるようになった。1537年にはフランス海賊によって最初の襲撃を受け、焼き討ちにあい、1553年と1555年にも略奪を受けるなどの被害を受けた。このため、ハバナにはフエルサ要塞、プンタ要塞、モーロ要塞などの多数の要塞が築かれ、軍事都市としての趣が整えられた。1713年のユトレヒト条約によってイギリスのイスパノアメリカ貿易の参入が限定的ながらも承認されると、以降海賊に代わって密貿易が盛んとなった。, 18世紀はキューバ経済の拡大により、1728年にはハバナ大学が建設され、1738年には郵便制度が確立した。この時期に造船所が建造されるなど産業の発達も著しく、1740年には城壁が完成したが、七年戦争下の1762年にハバナはイギリス軍によって攻囲された。スペイン軍が降伏してイギリス支配の下に自由貿易港になると、多数のアフリカ人奴隷がイギリス人商人によってアフリカからハバナへ連行された。1763年にスペインとイギリスの間の協定により、イギリスはキューバとマニラ(フィリピン)を返還してフロリダを受け取った。スペインはこれに懲りてハバナの更なる要塞化を進め、アメリカの全域でももっとも強固な要塞都市とした。一方、一年間のイギリス軍の占領の最中に自由貿易を実現したハバナは経済的に繁栄し、ハバナのクリオージョ支配層は自由貿易の実現を望むようになった。, 19世紀に入り、フランス領サン=ドマングの黒人反乱により、黒人国家ハイチが独立すると(ハイチ革命)、ハイチから亡命したフランス人農園主によってサトウキビ栽培の技術が導入された。18世紀後半に奴隷貿易が自由化されたことによって労働力の確保が容易になったこともあり、以降キューバの砂糖産業の拡大が始まり、ハバナはキューバの近代的糖業の中心地となった。1810年頃からシモン・ボリーバルやホセ・デ・サン=マルティンらによってラテンアメリカの独立運動が進むと、1818年にスペイン当局はキューバのクリオージョの不満を宥めるためにハバナを完全な自由貿易港とした。, 19世紀にスペイン植民地の立場から独立しなかったキューバには経済的期待から農業のために多くの移民や黒人奴隷が流入し、多民族社会が形成された。1837年にはハバナにラテンアメリカ初となる鉄道が導入された。ハバナの人口は1830年代に10万人を、1860年には20万人を越え、ハバナはラテンアメリカで最も繁栄を謳歌した都市となった。, 1898年にハバナ港でアメリカ海軍の戦艦メインが爆沈し、アメリカ・スペイン・キューバ戦争の発端となった。ハバナは、1902年のキューバ共和国の独立により、キューバの首都となった。独立以前からキューバへの投資の多くはアメリカ合衆国資本だったが、独立以降この動きがさらに進んだ。1920年代にアメリカ合衆国で禁酒法が施行されると、アメリカ人たちは享楽を求めてハバナを訪れるようになった。その結果、ハバナにはアメリカ人富豪の別荘が多く立ち並び、多くの観光客によって高級クラブやカジノがにぎわうリゾート歓楽都市として大発展した。ただし、こういった娯楽施設のほとんどは、1959年のキューバ革命に伴って閉鎖された。, 1959年のキューバ革命によるバティスタ政権崩壊と共産党革命政権樹立後も、キューバの首都としてのハバナの位置は引き続き変わらなかった。むしろ革命政府は、ハバナをキューバ社会主義建設の中心地たる生産都市へと変えるべく、「大ハバナ都市圏」として住宅地帯、新工業地帯、自然公園などの都市整備をはかる都市計画を実施した。その結果、1960年代に市内の商店とホテルが国営化され、大邸宅はことごとく学校や公共建物に流用された。また、バティスタ政権下ではコロンビア兵営だった施設は教育センターに、旧大統領宮殿は革命博物館に変えられた。, ハバナの平均気温は25°Cで、亜熱帯気候に属する。年間降水量は1189mmで、5月~11月は湿度が高い。キューバはハリケーンの通り道にあたるため、ハバナも被害を受けることが多い。近年では2005年7月にもハリケーンの直撃による被害を受けている。ケッペンの気候区分ではサバナ気候(Aw)と熱帯モンスーン気候(Am)の境にある。, ハバナ旧市街は全盛期のスペイン・コロニアル様式が完全に保存されており、1982年に旧市街などが世界遺産に登録された。スコットランドのグラスゴーとは姉妹都市関係を結んでいる。, 文豪アーネスト・ヘミングウェイがこよなく愛した街としてもよく知られる。ヘミングウェイは晩年をこの街で暮らし、名作『老人と海』をここで書き上げた。市南東部郊外には、ヘミングウェイの記念館がある。, ハバナ港はキューバ最大の貿易港で、キューバが輸入した品の約90%が同港からキューバ国内に持ち込まれる。また、主にハバナ周辺で栽培されるタバコやサトウキビが同港から輸出されている。, 最近では観光事業振興にも力を傾けており、主に旧ソ連、ヨーロッパ、カナダなどから観光客が集まってくる。17世紀~18世紀にかけて建設されたハバナ湾西部の半島部を占める旧市街地は、白い建物が多いスペイン風の美しい街並みで、今なおスペイン植民地時代以来の歴史的遺物が残っている。, 旧市街地の西方にある広大な新市街地は、第一次世界大戦後のアメリカ及びキューバの資本家や、バティスタ政権の政府要員の高級住宅地として開発された地で、広い道路と近代的な高層ビルが立ち並んでいる。旧市街地と新市街地の間には、革命広場がある。また、小規模ながら中華街が存在しており、中国系キューバ人が住んでおり、中華レストランがいくつかある。, 各列内は五十音順。| 1 カリブ海地域にも領土を有する。| 2 中央アメリカと南アメリカに跨っている。| 3 南アメリカにも分類され得る。, World Weather Information Service – Havana, Casa Blanca, Habana, Cuba: Climate, Global Warming, and Daylight Charts and Data, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ハバナ&oldid=80264227, 後藤繁雄(写真・大森克己)『インハバナ ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・ストーリー』アーティストハウス、2000年2月、.