ベトナム在住の日本人の数. 沢田 教一(さわだ きょういち、戸籍上の表記は澤田 教一[1]、1936年2月22日 - 1970年10月28日)は、日本の報道写真家。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞を受賞した。, 日本光学工業(現ニコン)は「1971年度(原文ママ)のピューリッツァー賞も、ニコンによる作品に授与された。ベトナム戦線において取材にあたったUPI通信社の沢田カメラマンの『安全への逃避』という力作である」[23]と主張していたが、実際には日本製カメラをどんなに勧められても「日本のカメラは写りが悪い」「日本のカメラを使うと壊れちゃうんだよ」といって日本製のカメラを使いたがらなかったという[24]。妻のサタは、沢田本人が書いた『安全への逃避』の写真データとして「ライカM3、135ミリレンズ、トライX、1/250秒、F11」としている[25]。, 沢田がニコンを1台提げている写真が残っているが、ジャングルで取材中に故障し写真が撮れなかったことがあった。この際彼はニコンを地面に叩きつけながら「こいつのおかげで、今のショットを撮り逃がしたんだ!」と憤慨し、以来ライカ信奉は確たるものになったという。1967年にはライカだけでボディ6台(M3を3台、M2を2台、M4を1台)所有、レンズはスーパーアンギュロン21mmF3.4、エルマリート28mmF2.8・135mmF2.8、ズミルックス35mmF1.4、ズミクロン35mmF2・50mmF2・90mmF2、エルマー50mmF2.8などを揃え[24]、これを黒塗りにした50×30cmほどのゼロハリバートンのアタッシェケースに収めて運んでいた[26]。沢田は受賞した表彰式で取材陣から「どんなカメラを使っているのか」という質問に対し常に「ライカ」と答えていたため有名になり、エルンスト・ライツ社(現ライカ)からプロトタイプの実写テストを頼まれるまでになっていた[27]。, ハーグ世界報道写真展で1位を取って以後はニコンFを使用することもあったが、105mmや200mmといった望遠レンズのみであり、主力は引き続きライカを使用した[28]。, 写っている避難民のうち、当時8歳の少女だったグエン・ティ・キム・リエンは2017年時点も存命で、農業を営んでいる。当時、朝食の準備をしていると自宅近くでナパーム弾の爆撃が始まり、家族や近所の人々とともに川に飛び込んだところ、撮影していた沢田に助けられた。周辺にいた米兵の一部は銃を向けていたが、発砲はされなかった。沢田はその後も村を何度か訪れて子供たちにケーキを配り、死亡の知らせが伝わると村中が悲しんだという[29]。また生き残った一家にピュリツァー賞の賞金36万円のうち6万円と、「幸せに」と書いた「安全への逃避」の写真を贈ったという[30]。, 『サワダ 遺された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア』p.278。, 『サワダ 遺された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア』p.286。, 『サワダ 遺された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア』p.274。, NHK特集 カメラマン・サワダの戦争〜5万カットのネガは何を語るか〜 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス, http://www.nikkei.com/article/DGKKZO15014250W7A400C1M11000/, https://mainichi.jp/articles/20170820/ddm/001/070/174000c, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=沢田教一&oldid=80348045, 『サワダ 遺された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア』くれせんと. 日本の外務省領事局政策課が発表した海外在留邦人実態調査(平成30年要約版)の結果によると、2017年10月1日時点でベトナム在住の日本人人口は1万7266人でした。 しかし、「雇われ日本人、ベトナム戦争で犠牲に」との報道に驚かされた。 毎日新聞がスッパ抜く。 毎日新聞が8月4日付朝刊で始めた連載企画「平和のとなりで」第1回に、「米軍に雇われた日本人1000人超がベトナム戦地へ」を掲載したのだ。 Copyright © JellyfishHR All rights reserved. ―米大統領選挙後、予断不能の新世界の到来か―. 沢田 教一(さわだ きょういち、戸籍上の表記は澤田 教一 、1936年 2月22日 - 1970年 10月28日)は、日本の報道写真家。 ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞を受賞した。 近年日系企業のベトナム進出が続いており、ベトナム在住の日本人の数は増え続けています。具体的には、毎年どのぐらいずつ増えていて、今ベトナム在住の日本人は何名いるのでしょうか?, また、ベトナム在住の日本人と一括りに言っても、ベトナムで働く駐在員や現地採用者だけでなく、駐在員の家族、留学生など、様々な分類の日本人がいます。ベトナムにはどのような分類の日本人が住んでいるのか、そして日本人はホーチミン、ハノイなどの主要都市ではどのエリアに住んでいるのかについて解説します。, 最後に、ベトナムはどうして日本人に人気なのか。日本人がベトナムで生活しやすい理由を解説します!, 日本の外務省領事局政策課が発表した海外在留邦人実態調査(平成30年要約版)の結果によると、2017年10月1日時点でベトナム在住の日本人人口は1万7266人でした。, ベトナム在住の日本人は年々増えてきており、同調査で2011年のベトナム在住の日本人が9313人だったことを考えると、非常に急激なペースで日本人の数が増えていることがわかります。, ベトナム在住の日本人の1万7266人という数字は、日本国総領事館に在留届を出した人数をカウントしたものです。, 1万7266人のうち、ホーチミンの日本国総領事館に届け出をした日本人が9464人、ハノイの日本国大使館に届け出をした日本人が7802人でした。, ベトナム在住の日本人の中にはハーチミン・ハノイ以外に住んでいる人もいますが少数です。そのため、ベトナムではホーチミンに住む日本人がもっとも多いことが分かります。, 前述したとおり2017年10月時点でベトナム在住の日本人の数は、1万7266人となりました。ベトナム在留邦人数の過去5年間の推移を見ると、下記の通りとなっており、いかに急激にベトナム在住の日本人が増えてきたかがわかります。, ベトナム在住の日本人には様々なパターンがありますが、ここでは大きく4つに分類をしました。, ベトナムは東南アジア最後の鎖国状態にある国であると言われていましたが、近年の規制緩和により、外国企業のベトナム進出が進んでいます。もともと外国資本を敬遠していたベトナムへの外国資本の進出が進んだ結果、日本人をはじめ多くの国の駐在員が急増しています。, 日系企業からベトナムに駐在員が派遣される際、その家族も共にベトナムに移り住むケースもあります。男性が駐在員としてベトナムに派遣をされる場合、単身で来る場合と家族帯同で来る場合があります。, 後述しますが、ベトナムの都市部では日本人学校や日系の幼稚園なども含めて、日本人が生活する上で不自由がなく、比較的充実をしています。, 大手企業の場合だと、日本本社からの駐在員が現地法人の社長となるケースがほとんです。, ただ、近年ベトナム経済がとても好調で、今後ベトナムの内需市場が拡大することが間違いない状況であることから、チャンスを掴もうとベトナムで起業をする日本人が増えています。, ベトナム在住の日本人の中には、現地採用者もいます。現地採用者とは、日本本社から現地の法人に派遣をされるのではなく、ベトナムで就職・転職した方で、現地法人に直接採用をされる方のことを言います。日本人の場合、「現地採用の日本人」と言われています。, 企業側からすると、駐在員と比較をして現地採用の日本人はコスト安であるメリットがあり、個人側からしても若くして海外で働けるなどのメリットがあり、現地採用として働く日本人は増えています。, ベトナム在住の日本人が多い都市はホーチミンとハノイです。それぞれどのエリアに日本人が多く生活をしているか解説をします。, ホーチミンは、1区、2区、3区などと市内が区に分かれています。東京都と同じような行政区分だとご理解ください。それでは、ホーチミンの日本人が多いエリアをご紹介します。, ホーチミン市の中心であり、官公庁や多くの企業が集まる1区はホーチミンの中心地です。, レタントンは、一般に「日本人街」と呼ばれるほど、ホーチミン在住の日本人が多く集まる区域です。, 日本食レストランやコンビニなどが多く、日本人にとっても非常に生活しやすい環境です。ここには、サービスアパートメントや個人用のアパートメントなどが多くあり、レタントン通りに住む日本人も多くいます。, ホーチミン観光の中心地です。近年では、隠れ家風のカフェやレストランも多く立ち並んでいます。雑貨屋も多く、お土産を求めた日本人観光客が多く訪れるエリアです。ドンコイ通りを歩いていると、必ずと言っていいほど日本人観光客を見かけます。, ホーチミン2区にはインターナショナルスクールが数多くあり、欧米人も多く住むエリアです。高級コンドミニアム、特に大型のコンドミニアムが開発されています。ベトナム在住の欧米系や日本人の家族が多く住んでおり、単身用の住居は少なくなっています。, 直近で2区に住む日本人が増えてきたこともあり、2区にも日本食料理屋が増え始めてきました。, 2区のタオディエンは、「外国人街」「西洋の街」「欧米人の街」「富裕層の街」などと呼ばれることもあり、比較的裕福なベトナム人やベトナム在住の外国人駐在員が多いエリアとして知られています。, ここの高級住居は、賃貸であっても10万円、20万円以上が普通であり、平均年収が二十数万円のベトナムではかなりの富裕エリアであることが伺えます。, 2区のアンフー地区は、高級ヴィラの周りの区域です。ここは大きなインターナショナルスクールもあり、また多数のレストランやショップが立ち並んでいます。, ホーチミン3区は、1区に隣接する商業地区です。住居は高級サービスアパートメントからローカルアパート、コンドミニアムまで揃っています。オフィスビルも多く立ち並び、オフィスと住居が混在していることから、通勤にも便利な地区です。, 1区の中心街に比べると値段も少し安くなるので、事務所や住居を構える場として3区を選ぶ人も増えてきています。, ホーチミン中心地の1区から車で30分ほどの場所にあるため、緑も多く、家族でも住みやすいエリアです。日本人学校他、インターナショナルスクールや韓国人学校や台湾人学校などがあり、ファミリー層が多く住んでいます。近年は大型商業施設や多くのお店、スーパーマーケットができ、数年前に比べ生活するにもかなり便利になりました。, ここにはサービスアパートメントよりコンドミニアムが多く存在します。個人用の住宅は比較的少ないですが、家賃が1区より安いため、ファミリー向け物件をシェアして住んでいる人もいます。, ここは、台湾人が開発した新興住宅地です。ベトナム人の富裕層、韓国人、日本人などの外国人が多く住み、またコンドミニアムの他に一軒家も多く立ち並びます。, ビンタン区は、ホーチミンの1区と2区の間に位置する地区です。中心地の1区、インターナショナルスクールが多い2区両方に隣接し、また工業地帯へのアクセスも良いため、最近ベトナム在住の日本人に人気が上昇してきているエリアです。, 近年多くの大型コンドミニアムが建設され、ファミリー層が居住しています。しかし、通勤に便利なことから、単身者も多く住んでいます。, ここはハイクラスのサービスアパートメントが多く集まり、ハノイ在住の日本人だけでなく欧米系の外国人も多く住む地区です。このエリアは、, ・タイ湖の畔に位置し、空気が比較的綺麗 ・高級感がある ・インターナショナルプレスクールが多く存在する, ハノイの中心地であるホアンキエム地区とハイバーチュン地区を総称し、一般的に旧市街地と呼ばれています。ここは日本食レストランやスーパーマーケット、百貨店などがあり、生活する上での利便性も高いと言えるでしょう。, 商業地区、交通量が多いと言った理由から、ファミリー層より単身者の方が好んで選ぶエリアです。, キンマーは、ハノイ旧市街から車で20分ほどのところにある場所です。旧市街地ほどではありませんが、ここにも日本食レストランやオフィスなどが多く立ち並ぶエリアです。リーズナブルなコンドミニアムから高級サービスアパートメントまで揃っています。, このエリアは旧市街地エリアに比べリーズナブルかつ広いアパートがあります。工業団地、空港、ハノイ日本人学校が近いことから、ベトナム在住の日本人にとっても生活しやすいエリアでしょう。サービスアパートメントよりもコンドミニアムの方が多く存在するエリアです。, ベトナム在住の日本人は、ベトナムでの生活に満足している人がとても多いです。その理由はどうしてなのでしょうか?ベトナム在住の日本人が良く言っているベトナム生活の魅力についてまとめてみました。, ベトナムには、日本食屋が数多く存在します。これは母国を離れて暮らすベトナム在住の日本人にとっては嬉しいことでしょう。, ベトナム在住の日本人の数の増加が影響し、ベトナム国内の日本食レストランの数は急増しています。ベトナムにある日本食レストランは現在1,000店舗にも及び、特にホーチミンでは3年前の倍以上にあたる600店舗以上が営業をしていると言われています。, 個人のレストランや居酒屋の他に、ベトナムには多くの日本食チェーン店も進出しています。, ベトナムで成功している日系の飲食店チェーンの一つが丸亀製麺でしょう。丸亀製麺は現在ベトナム国内に8店舗展開しており、どの店舗も人気店となっています。セルフサービスでトッピングを選べるシステムと低価格であることが、ベトナム人にも受け入れられているようです。, すき屋は、2016年7月にホーチミンに第一号店をオープンし、それ以降店舗数を増やしています。こちらも、低価格であることがベトナム人にうけているようです。日本でもおなじみのお手軽な料理である牛丼をベトナムでも食べられることは、日本人にとってもありがたいですね。, 大戸屋は、ホーチミンに一店舗進出しています。サイゴン大聖堂や中央郵便局と言った観光地の近くに位置し、アクセスもしやすいと言えるでしょう。, 現在ベトナムには1000店舗以上の日本食屋がありますが、果たしてどのエリアで日本食屋を多く見つけられるのでしょうか。日本食屋が多いエリアを知っていたら、日本食が恋しくなったときに便利ですね。, ホーチミンでは、日本人街と言われるレタントン通りに日本食屋が集中しています。しかし、日本食屋の急増により、それ以外の地域でも日本食屋を見かけるようになりました。, 最近ではビンタン区のファンビッチャン通りにも多くの日本食屋が見受けられます。ファンビッチャン通りは第二の日本人街とも呼ばれています。, ハノイには、ブイティスアン通り、チュウベトブン通り、マイハクデ通りの三つの通り周辺に日本食屋が多くあります。ここにはラーメンや居酒屋、焼き肉屋が密集しており、昼には昼食を食べるため日本人が多く集まります。, 日本人にとって非常になじみの深いコンビニやデパート。特にコンビニは日々の生活でも欠かせない便利な存在ですね。近年日系のコンビニやデパートがベトナムに進出したことで、ベトナムは更に日本人にとっても住みやすい国へとなりました。, ベトナムには多くの日系コンビニが進出しています。ここでは、ベトナムに進出している日系コンビニをご紹介します。, ファミリーマートは、2009年に日本発祥のコンビニとして初めてベトナムに出店をしました。, 現在はホーチミンを中心に100店舗以上を展開しています。ファミリーマートがベトナム社会にも浸透したのは、日本人や外国人だけでなくローカルの人しか住んでいないような地域にも出店しており、ベトナムの人々の生活に密着した事業展開をしているからでしょう。, オフィスでも簡単に食べられるおにぎりやサンドイッチなど、日本人にもベトナム人にも嬉しい商品を見つけることができます。, また、ベトナムの伝統の習慣に日本のキャラクターをコラボさせることで、より広くファミリーマートが日本のコンビニであるというだけでなくうまくローカライズをしています。その結果ベトナム国内でも多くの店舗を構え、ベトナム在住の日本人にとっても欠かせない存在となっています。, ミニストップは、2011年にベトナム第一号店を開きました。ミニストップの強み、また日本人にとっても嬉しい特徴は、その品数の多さと言えるでしょう。ミニストップはイオンのグループ企業なのでイオンの独自ブランドのTOPVALUの商品を扱っており、またやダイソーの商品も店内で販売しています。, コンビニの最大の特徴である「便利さ」をベトナムでも体験できることは、日本人のベトナムでの生活の便利さもぐっとあげてくれるでしょう。, セブンイレブンは、2017年にベトナム第一号店となる店舗をホーチミンにオープンしました。セブンイレブンでは、おにぎりやサンドイッチの他、ベトナムのローカルな食べ物も見つけることができます。, セブンイレブンは第一号店の操業開始から3年以内に100店舗まで店舗を増やすことを目指しています。日本人にとってなじみのあるセブンイレブンがベトナムでも増えると事は日本人にとっても嬉しいことですね。, 2016年にホーチミンで操業を開始した高島屋は、ホーチミンの中心地に位置しています。高島屋は、日系のデパートとしては初めてベトナムに進出をしました。, デパート内では焼肉、寿司、お好み焼きなどの日本料理が楽しめるほか、イタリアンや韓国料理、タイ料理の店まで揃っています。, また、日本のデパートと同じく洋服や化粧品、家具など多くのお店がそろっています。お土産品も売られているので、観光や日本への一時帰国の際のお土産を買うにも便利ですね。, ベトナムに限らず海外在住の日本人にとって、日系の病院は非常に大切な存在です。言葉も文化も違う異国で、日本語が問題なく通じ日本の質の医療が受けられるからです。, ローカルの病院に比べると値段は少し高くなりますが、日本水準の衛生と設備、常駐の日本人医師など、言語やサービスの心配をせず病院に行きたい人は日系の病院に行くことをお勧めします。, ロータスクリニック(LOTUS CLINIC)は、ホーチミンの日系クリニックです。立地も日本人街のレタントンにあり、日本人にとっても便利な場所にあります。, ただ、入院設備や緊急対応はなく、簡単な怪我や風邪などの予防接種のために訪れる人が多いです。ベトナム在住の日本人にとってなくてはならない存在です。, 通常の診察以外にも内視鏡検査や映像診断など多くのサービスを提供しています。在ベトナム日本国大使館や日本の上場企業などと提携を結んでおり、ハノイ在住の日本人から信頼の厚いクリニックです。, ハノイの日本人街、ハイバーチュン地区やキンマー地区から10分ほどの所に位置し、アクセスしやすい場所にあります。日本人の医師とナースが常駐し、また子供用スペースも用意されているため、日本人の子連れの方も行きやすい病院です。, 小さな子供を預ける幼稚園や学校。外国だとより心配なことも増えるかと思います。ベトナムには日系の幼稚園や学校が数多く存在し、日本人のファミリー層の強い味方となっています。, ホーチミンの幼稚園で一番長く運営されている幼稚園です。日本的な教育をしているため、中心地からは少し離れているものの帰国後の事を考えた日本人に人気となっています。また、先生の評判も非常にいいです。, 2区のタオディエンにある幼稚園です。園庭が広々としており、また給食もベトナム中心地のダラットで採れたオーガニック野菜を使用しているなど、子どもたちにとって非常に良い環境がそろっていると言えます。, 2015年に開園した比較的新しい幼稚園です。幼稚園としての運営以外にもベビーマッサージクラス、ベビーハンドクラス等様々な取り組みが行われています。治安の良いフーミーフン地区に位置し、ここでも給食にはオーガニック野菜を使用しています。, 静岡県で45年の歴史を誇る学校法人運営の幼稚園であり、挨拶や返事などの教育に重きを置いている幼稚園です。, 図画工作やクッキング、野菜栽培、音楽などに挑戦できる環境が整っており、日本的でしっかりとした教育を受けさせたい人にはお勧めの幼稚園です。, 2005年に設立されたこの幼稚園は、ハノイで最も歴史の古い日系の幼稚園です。体操教室や鍵盤ハーモニカの授業、月1回のクッキング教室、絵画制作、文字遊びなど多岐にわたる教育を行っています。, ホーチミン日本人学校は、ホーチミンの中心から車で約30分のところにあります。小学6年生の修学旅行ではハノイの日本人学校との交流が行われます。中学部ではフエ・ホイアン等を訪れ、日本との関わりやベトナム戦争の事を学びます。, ハノイ日本人学校は、1993年に日本国大使館内に「ハノイ補習授業校」として開校しました。そんなハノイ日本人学校では、日本のカリキュラムとほぼ同じの物を受けられます。, 日本人が海外に住むにあたって、その国の暮らしやすさは非常に重要です。ベトナムには、今回ご紹介したような日本人にも馴染みの深いお店や施設が多くあり、日本人が暮らすうえでの利便性をかなり上げていると言えるでしょう。, 初めて海外就職・転職を考える方にとっては、ベトナムで働くことは良い選択だと思います。日本人が暮らしやすいベトナムは、今後も日本人が増え続けていく可能性が高い国だと思います。, ****************************************************************************************, Jellyfish Agentではベトナム就職・転職サポートを無料で行なっております。 ベトナムの求人・仕事に興味をお持ちの方はお気軽にお申し込みください。. 日本敗戦の8月から69年の歳月が流れた。原爆の日の紙面に「日本は69年間戦死者を出していない」との見出しが躍ったが、平和憲法の支柱を日本人が守り抜いた成果を喜びたい。しかし、「雇われ日本人、ベトナム戦争で犠牲に」との報道に驚かされた。, 毎日新聞が8月4日付朝刊で始めた連載企画「平和のとなりで」第1回に、「米軍に雇われた日本人1000人超がベトナム戦地へ」を掲載したのだ。, 「当時の関係者を訪ね、資料を集めるうちに、(日本人の)戦地派遣が想像以上の規模だったことが分かってきた。佐世保(長崎)横須賀(神奈川)の米軍基地から米軍艦船に乗り組み、総数は1000人を超すとみられる。(中略)危険と隣合わせだった実態も分かってきた。68年9月、軍の下請けの米民間輸送船がメコン川で攻撃され、中国人船員が死亡し、沖縄の船員が負傷した。死亡した日本人もいた。『日本人船員射殺される/ 南ベトナム /米舟艇の乗組員』。当時の毎日新聞の見出しだ。中部の港町で64年1月、南ベトナム政府の治安部隊に撃たれたという。記事は、犠牲者を『サイトウ・ケンゾウ(年齢、出身地不明)』と報じた。(中略)ベトナムで亡くなった日本人を探して、千葉県館山市の漁師町にたどりついた。同市船形の斉藤賢三さん(死亡時28歳)。兄(82歳)の話によると、弟は日本の仲介業者と契約し、1961年ごろから米軍で働いていたという。別な情報によると、米軍横須賀基地では5000人の日本人が働き,うち2000人が艦船の修理に従事していたようだ」, 毎日記者執念の特ダネと称賛したい。米軍の下請け日本人がいたに違いないが、犠牲者までいたことに驚く。ベトナム戦争でこうなら、イラク戦争でも日本人が徴用されていたのではないか。政府はこの実態を知りながら、口を閉ざしていたのだろうか。外交文書を徹底的に調べ上げ、真実を公開してもらいたい。また毎日新聞だけでなく、他メディアも、隠されている外交案件を粘り強く追及してほしい。, (63) トランプ大統領からメールが来た !