現在でも紛争が起こっている国は決して少なくありません。 そして、何年も何十年も解決せずに紛争状態が長引いている地域では多くの死亡者が出ています。 2019年10月時点で解決していない紛争(内戦)について解説します。 領土をめぐる紛争 2. 紛争とは、簡単に言うともめ事や争い事です。 「紛争」という言葉で表すもめ事の範囲は非常に広く、経済問題や宗教間のもつれ、文化の違いや民族間の争い、集団心理や環境などによる争い事すべてが含まれています。 世界中で起きている紛争には大きく分けて5つのタイプがあります。 1. 株式会社ゆうちょ銀行および日本郵便株式会社が発行するプリペイドカード・デビットカード。国際的なクレジット決済ブランドであるVisaの加盟店で利用できる。年会費は無料で、満12歳以上(小学生を除く)のゆ... 「コトバンク」は朝日新聞社の登録商標です。「コトバンク」のサイトの著作権は(株)朝日新聞社及び(株)VOYAGE MARKETINGに帰属します。 中東という地域の国々で紛争や内戦や戦争が非常に多い原因. アフリカの内戦は現在どうなっている?原因と歴史を調べよう. 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報, 地理的に限定された紛争で、一方で第二次世界大戦までの世界的に連動する大戦争に、他方で国内に限定される内戦・暴動などに対比して用いられる。不戦条約(ケロッグ‐ブリアン条約、1928年)以来の戦争禁止に加えて、戦後は国連憲章が武力行使一般を禁止したため、「戦争」概念が使いにくくなった。また戦後は厳しい冷戦下で主要国の戦争は核戦争にエスカレートする確率がきわめて高かったから、逆に世界大戦、あるいは主要国間の大規模戦争も回避された。紛争は多かったが、朝鮮戦争、ベトナム戦争、台湾海峡危機、ハンガリー事件、ベルリン危機、キューバ危機、四次にわたる中東戦争、印パ戦争、中ソ対立、あるいはアフリカの多くの内戦など、いずれも事実として地域的に限定された。戦争は国際法上、国家間の武力紛争をさすが、これらの紛争は一方の当事者が非国家主体(反政府勢力、武装した宗教・民族勢力など)である場合や、緊張度は高いが大規模な武力行使を伴わない危機などが含まれるため、戦争よりも広い「紛争」概念が一般化した。, ただ国際的な地域の性格は政治、経済、文化のいずれの面でみるかにより、また歴史的にみても多様である。このため地域紛争の動向把握に必要な統一的なデータの形成がむずかしく、しだいに各紛争の属性を削ぎ落として最大公約数の「烈度intensity」によって紛争を把握することが一般化した。「ウプサラ紛争データ・プログラム(UCDP)」(オスロ国際平和研究所)はその種のデータのなかでもよく利用されるもので、1946年から現在までの紛争数を「マイナーな武力紛争」(死者が年間25人以上、1000人以下)と「戦争」(死者1000人以上)に分けて算出する。2010年版によると、第二次世界大戦後、国家間の戦争は年に数件ときわめて少なく、その多くも内戦に絡むものであった。戦後多かった植民地独立紛争も、1974年のポルトガル革命に伴うアンゴラ、モザンビークの独立後はなくなった。しかし紛争数は1970年代後半から急増し、冷戦終結直後の1991~1992年に50件超とピークに達した。そのほとんどは内戦かそれが国際化した紛争である。その多くは戦後植民地が一斉に独立し国家数が3倍にもなったことに起因する。政治・経済の基盤が整っていなかった旧植民地諸国は、戦後の先進国中心の高度な国際政治・経済システムに投げ入れられたことで急激な社会変動にみまわれ、1970年代までに国内統治が全般に脆弱(ぜいじゃく)になった。1980年代に始まった西側先進国の金融経済を中心とするグローバル化は、アジアでは成長軌道に乗る国家も生み出したが、アフリカでは国内経済をさらに痛めつけ、加えて冷戦終結に伴う経済援助の流れの変化や民主化・市場化要求が、国内混乱を甚だしいものにした。冷戦終結直後に紛争数がピークを迎えたのは、こうした開発途上国現地の紛争要因の増大と、ソ連を含む社会主義圏の非効率な国家の解体に伴う紛争多発が重なったものである。, 紛争の烈度や分布は、地域現地の紛争要因とこれに国際社会、端的には主要国が、安全保障、経済関係、影響力競争などの観点からどのようにかかわるかによるところが大きい。冒頭にあげた地域紛争がいずれもほぼ東西両陣営の境界で生じたことからわかるように、冷戦期地域紛争は、米ソあるいは東西の陣取り競争と重なって生じたものであった。冷戦後は、ソ連の解体で単極となったアメリカの政策が、紛争の大きな規定要因となった。まずアフリカで多発した内戦に対しては、国連による平和維持活動(PKO)のミッションが積極的に派遣された。ソ連・社会主義圏解体に伴う一連の紛争、とりわけボスニア・ヘルツェゴビナ内戦からマケドニア(現、北マケドニア共和国)、セルビアのコソボ問題に至る旧ユーゴスラビア紛争に対しては、アメリカを中心とする北大西洋条約機構(NATO)が拡大防止にあたった。しかし冷戦後の地域紛争の特徴は、クウェートに侵攻したイラクに対してアメリカが多国籍軍を組織し、国連安全保障理事会の制裁決議を実行した湾岸戦争にみられた。この勝利の経験に基づいてアメリカは、覇権国の冷戦後の戦略として、湾岸戦争規模の二つの大規模地域紛争major regional conflicts(MRC)に対処する軍事的態勢を整えたのである。, 21世紀に入るとこうした紛争パターンはふたたび変化した。アメリカが2001年9月に大規模同時多発テロによって直接攻撃にさらされ、「対テロ戦争」を発動したからである。アメリカはテロリスト(アルカイダ指導者)の引き渡しを拒否したアフガニスタンに進攻、タリバン政権を放逐した。続いて2003年、大量破壊兵器開発の疑惑を理由にイラクに進攻、サダム・フセイン政権を崩壊させた。このような国内体制の変更regime changeまで求めるアメリカの戦略は「帝国的」と形容されたが、これが21世紀の地域紛争の特徴をつくりだした。ただこれは長くは続かなかった。テロリストを捕捉できず、疑惑があるとした大量破壊兵器も発見できなかったため、武力行使の正統性を確立できず、加えて独裁的な政権を放逐した後の社会混乱から、アメリカ自身が抜け出せなくなったからである。弱点を抱えたアメリカに対しては、ロシアや中国の牽制(けんせい)行動もみられるようになった。2008年8月、民族問題を理由にロシアの進攻で始まったジョージア(グルジア)紛争はその典型である。2009年のオバマ政権の登場とともに、アメリカの「帝国的」介入による地域紛争の傾向は後退した。, しかし勢いが衰えそうにないグローバル化で、開発途上国では当面、急速な社会変動が宗教・文化を強調する「アイデンティティの政治」を前面に押し出す可能性が高い。各国、とくに開発途上国の政治・経済システムがそれを吸収する統治能力を発展させられなければ、2011年初頭のチュニジアやエジプトの政変のように紛争要因は蔓延(まんえん)するであろう。地域紛争は国際政治のいっそう重大な焦点となる可能性があり、主要国はもちろん、国連、地域機関などが役割分担しつつ協力的に対処する体制を構築することが急務となった。, 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例. No reproduction or republication without written permission. 人類発祥の地であるアフリカは豊かな自然と天然資源に恵まれていますが、世界の中で最も多くの武力紛争が発生している地域でもありま … 戦争・地域紛争や人権侵害などが原因で、住む場所をなくした人たちのことを難民といいます。地域紛争によって大量の難民が発生することがあります。 国外に逃れた難民を保護する国連の機関が、国連難民高等弁務官事務所(unhcr)です。 スポンサーリンク この記事では、インド、パキスタン、中国の三カ国間で起こる国際問題「カシミール紛争」を特集します。, カシミール紛争とは、パキスタン北部とインド北西部にまたがるカシミール地方の領有権をめぐって、インド、パキスタン、および中国の3カ国が領有権を主張している地域紛争のことです。, そのなかでも、インドとパキスタン間でのカシミール地方を巡る争いは激しく、現在でも軍事的緊張が続いています。過去、1947年、1965年、1971年に三度の戦争、いわゆる印パ戦争 が起こっています。直近でも、2019年2月にパキスタン軍がカシミール地方に空爆し、インド軍の戦闘機2機を撃墜、パイロットを拘束しています。, 国際社会もこの状況を憂慮しており、インド、パキスタン両国に緊張緩和を促しています。しかし、両国の対立は根深く歩み寄りは一向に見られません。, 歴史を辿れば、カシミール地方はもともとはイギリスの領土でした。イギリスの領土であった時代はカシミール地方は藩王国とされ、その国王はヒンドゥー教を信仰していました。しかし、国王はヒンドゥー教を信仰していましたが、藩王国の住民の多数はイスラム教を信仰していました。 (このあたりから、国際問題によくある信仰上の違いでの争いの気配がしてきますね・・・), そのような中で、1900年代半ばに藩王国はイギリスから独立します。もともと藩王国の国王はインドにもパキスタンにも属さないかたちでの独立を目指していました。しかし、それが気に入らないパキスタンが藩王国に攻め入ってくるんですね。, 藩王国の国王はヒンドゥー教徒ですから、国民の80%以上がヒンドゥー教徒のインドに助けを乞います。その国王の助けに応じて、インドが参戦。そして1947年に第一次印パ戦争が勃発します。, 先ほども言いましたが、藩王国の国王はヒンドゥー教徒、住民の多数はイスラム教徒です。そこにインドとパキスタンの宗教問題も絡んでくるわけですから、これはもう収拾がつきません。, 結果、カシミール地方はヒンドゥー教の信仰者とイスラム教の信仰者の対立をしめす縮図として、現在まで対立が続いています。, 「なぜインドとパキスタンは独立したのか?」、また「なぜインドとパキスタンはここまで対立するのか?」ということです。, ここで本題とは少しそれますが、インドとパキスタンの独立理由と対立理由に考えてみましょう!, それまでの間に独立運動がなかったかというと、そうではありません。1857年の東インド会社のインド人の傭兵が起こした反乱「インド大反乱」以降、インド国内では反英闘争が幾度となく起こっています。, では、幾度となく反英闘争や独立運動が起こっているにも関わらず、なぜ1947年に限っては独立することができたのでしょうか?, 第二次世界大戦は1939年から1945年にかけて起こっています。この第二次世界大戦の結果、イギリスは勝利したものの大きく疲弊してしまいます。, その結果、イギリスは従来の超大国の地位から転落してしまうのです。また世界的に脱植民地化の流れが強まっていきます。そのような背景をふまえて、イギリスは当時植民地であったイギリス領インド帝国の独立を認めるわけです。, イギリスから独立を果たしたインドですが、独立当時のインドでは宗教的な対立が激化していました。具体的には、多数派のヒンドゥー教徒と少数派であるイスラム教徒の対立です。なかでもジンナーを指導者とする全インド・ムスリム連盟の勢いは著しく、ジンナーが唱えたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分離を強硬に主張する 「二民族論」は社会に大きな影響を与えます。, 一方でインド独立の父として有名なガンディーらはこうした分離の動きに強く反対して統一インドの実現を訴えていました。, その他の党派においても政教分離の立場から、ヒンドゥー教とイスラム教の宗教による分離には慎重でした。ただ、ジンナーが強固に主張するヒンドゥー教とイスラム教の分離の勢いはとまりません。ではこの時、宗主国イギリスの考えはどうだったのでしょうか?, イギリスは、当初ヒンドゥー教徒の多い地域にヒンドゥスタンという国を建国し、イスラム教徒の多い地域にパキスタン、そして藩王国を残し、この三国を合わせて「インド連邦」を構成する独立案を描いていました。ただ、この案の合意は得られません。そこでイギリスはインドを三国で一体とする計画を諦め、イギリス領インド帝国をインドとパキスタンに分割することによって独立することを宣言します。, これによりにインドとパキスタンの分立による建国が成立するわけです。このインドとパキスタンの分立によるインド帝国の独立は、ヒンドゥー教とイスラム教の宗教対立をより加速させることになります。, もともと藩王国の領土であったカシミール地方ですが、パキスタンの侵攻に遭い、インドに助けを求めるかたちとなりインドとパキスタンの戦地と化します。その結果、1947年から1949年には第一次印パ戦争が、1965年から1966年には第二次印パ戦争が、1971年には第三次印パ戦争が起こっています。, 気付けばもともとの領主「藩王国」はかたちを消し、カシミール地方はインドとパキスタンの激戦地となります。最初に触れたとおり、この争いは現在でも続いており大きな国際問題の一つとなっています。 またインドにおいては、1959年から1962年にかけてカシミール地方を争い中国とも戦争を起こしています。, 中国と長年イギリスの植民地であったインドは、ネパールとブータンを挟んで接しています。その全域がヒマラヤ山脈という高山地帯であったためか、以前は正確な国境は曖昧でした。また、その間には中国の実効支配が渡っておらず、事実上独立したダライラマ政権の統治下にあったチベットもありました。, そのような中で1950年にチベットに対する中国の主権を認めさせるために中国はチベット侵攻を行い、チベットを編入します。その後、1956年には中国政府のチベット統治、支配に対し反対するチベット動乱が起き、1959年にはチベット亡命政府の長のダライ・ラマ14世がインドに亡命します。, ここで中国とインドの関係は一気に悪化。両国は国境の解釈をめぐって対立するようになります。, そして1959年に中印戦争が勃発。戦地はカシミールとその東部地域で中国とインドによる激しい戦闘が繰り広げられます。, 戦争の結果は中国の勝利に終わるのですが、実はこの中印戦争のさなかにパキスタンがカシミール地方のインド支配地域に侵攻して、第二次印パ戦争が起こっています。(なんとややこしいことか。。。), いずれにせよ、この中印戦争をきっかけに、中国がカシミール地方に介入してくるようになります。, 紛争において、このカシミール地方が注目され、国際問題となっているのは関係国のインド、パキスタン、中国が核を保有している国だからです。特にインド、パキスタンは核兵器の縮小を目的にした条約「核拡散防止条約」に加入していません。, 宗教間の対立が深刻化し、国内の世論が傾けば、再びインドとパキスタンの戦争が起こる可能性があります。その際に、核拡散防止条約に加盟しないインドとパキスタンが核を使用しない絶対的な理由があるかと問われるとどうでしょうか。, 実はパキスタンはインドに歩み寄る姿勢をみせています。ただ、インド側が国内の世論(選挙)を意識してか、パキスタンの姿勢を相手にしていないんですね。宗教間の対立に政治的要因も絡むとこれはさらに解決に向けて困難さを増します。。。, 果たして、今後カシミール地方は解決に向かっていくのでしょうか!?世界が注目するカシミール紛争には今後も注意が必要でしょう。, このサイトは、ビジネスや社会保障など社会全般に関する情報をブログとして発信しています!. シリア内戦や、イスラム教徒同士の衝突や、クルド人問題など、 「中東」という地域で紛争や戦争が多すぎることの原因 について調査したので分かったことを報告します。. 民族紛争 … 他国の領土や権力を確保し戦略的に展開する紛争 4. さらに、紛争地域では食料が手に入りにくく、自分たちで食料を生み出せないと飢餓が起こります。 国連 も飢餓人口が増えた主な理由は紛争の拡大だと述べています。 紛争の烈度や分布は、地域現地の紛争要因とこれに国際社会、端的には主要国が、安全保障、経済関係、影響力競争などの観点からどのようにかかわるかによるところが大きい。 独立や開放を求める紛争 5. 世界中ではいくつもの紛争が起きており、その地域で暮らす人々は生活を脅かされています。, 現在も進行している紛争の中、避難生活を余儀なくされている人々をどのように支援できるでしょうか。世界で起こっている紛争の原因も解説します。, 2019年現在も紛争が解決していない国や地域は?原因を知り解決策や支援について考えよう, 30秒で終わる簡単なアンケートに答えると、「紛争で苦しむ難民へ支援物資を届ける」活動している方々・団体に、本サイト運営会社のgooddo(株)から支援金として10円をお届けしています!, 設問数はたったの4問で、個人情報の入力は不要。あなたに負担はかかりません。年間50万人が参加している無料支援に、あなたも参加しませんか?, 紛争とは、簡単に言うともめ事や争い事です。「紛争」という言葉で表すもめ事の範囲は非常に広く、経済問題や宗教間のもつれ、文化の違いや民族間の争い、集団心理や環境などによる争い事すべてが含まれています。, 現在、世界のあちこちで紛争が起きていますが、特にアフリカの紛争は長期間続いているため世界的に深刻な問題となっています。, アフリカは長年、世界の中でも特に紛争が多発している地域であるとみられていました。紛争は何年間も解決することなく長引いていることが深刻な問題となっています。, 紛争が長引くほど死者や難民は増加していくため、アフリカだけではなく世界中で問題視されています。, アフリカで紛争が長引いている理由には歴史的背景が大きく関係しています。主な理由となる奴隷貿易と一国分断について取り上げます。, アフリカがヨーロッパの植民地であった時代、アメリカなどの先進国にアフリカ人奴隷を労働力として売るという奴隷貿易が盛んに行われていました。, 幼い子どもを含めた人身売買はヨーロッパにとっては経済利益をもたらすものでしかなかったのです。, アフリカ内部でも奴隷貿易が行われていたため、各地域や場所に多様な民族が入り混じって生活するようになりました。また、人権という概念がなく、争うことによって利益を獲得するという文化ができあがったためアフリカは紛争が絶えない地域となっています。, 19世紀までに独立国として残った国を除き、アフリカ大陸の多くの土地が植民地として勝手に分割され、国境が引かれました。, 植民地として権利を持っている国それぞれの影響力が強くあり、同じアフリカ大陸でも文化や宗教、言語などの違いが多く見られるようになっています。, また、一国分断することによって、同じ国の中で人々を対立させ植民地を開拓していったヨーロッパの統治の仕方が、未だにアフリカの人々の心の奥に根差すものとなっているのです。, このように、奴隷貿易や植民地支配により一国分断が行われていたこと、その他様々な要因が重なり、アフリカ大陸では宗教や民族間での争いが絶えず、紛争が長引いているのです。, アフリカで紛争が絶えまなく起こり、それぞれが長引いてしまう理由の一つに資源の取り合いがあります。, アフリカには世界各国から注目されるほど、石油やレアメタルなどの資源が豊富にあるため、その資源を取り合って紛争が続いているのです。, アメリカは南スーダンの石油に目をつけ、南スーダンの勢力に武器や資金を流入するようになりました。その後、アメリカは南スーダンの独立を支援するようになり、和平という名の目的で紛争を勃発させました。, 先進国から注目され、アフリカの資源を我が国のものにしようという思惑がアフリカの人々を巻き込み、紛争へと導いているのです。, このようなことから、紛争による問題は紛争が起きている国だけでなくそれを取り巻く先進国に住む私たちにも関係があるといえます。, また、紛争によって生み出される利益にも注目してみましょう。紛争の被害者である子ども兵士もその一つです。ずっと前から、アフリカでは子どもが武器を持ち戦争の最前線で戦うことに従事させる戦略が行われていました。, 紛争を長引かせさらに恐ろしい結果を生み出させようとする武器産業は、これからもなくなる見通しはありません。, 国連の安全保障理事会で拒否権を持つアメリカ・イギリス・フランス・中国・ロシアという産業大国で生産されている武器がアフリカに大量に流れ込んでいるため、紛争はやむことなく拡大しているのです。, (出典:天理大学『僕らのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』合同出版/小川真吾著)(出典:独立行政法人 国際協力機構(JICA)「ゴンゴ民主共和国の紛争と和平への道のり」), 紛争はアフリカだけで起きている問題ではなく、シリア、イエメン、イラクなどの中東でも紛争が起きています。, なぜ中東で紛争が起こっているのでしょうか。その大きな原因を作り出しているのは先進国でもあります。, 特にアメリカの動きが中東の石油生産国に恐れや不安を植え付け、紛争を生じさせているとも見られています。, アメリカは中東の国々を危険な国であると周辺諸国に伝えることで、それらの国々の武器燃料となるものを手に入れようと動いています。その流れに乗ってヨーロッパ諸国も中東で生産される燃料を自国のものにしようという動きを見せています。, シリア、イエメン、イラクなどでは、自国のものを守ろうとするがゆえに対立し、紛争が生じる要因の一つです。この紛争によりさらにアメリカを含めた武器生産国に多大な経済利益をもたらすと言われています。, 兵器産業を主導しているアメリカの武器は、紛争が相次いでいるシリアやイエメン、イラクなどの地域に流入されており、紛争がやむとそれらの利益が得られなくなるため、武器を売りつけ対立心をあおり紛争を起こそうとしているという意見もあります。, このように、中東で起こっている紛争は先進国との経済問題が大きな原因の一つとなっています。, (出典: 公益財団法人 中東調査会「イスラーム国の生態:武器・弾薬調達の実態」,2017), 2018年時点では、約3億5000万人という子どもたちが紛争により大きな影響を受けており、子どもの6人に1人は紛争によって被災し、親と離ればなれになったり、自国から避難したりことを余儀なくされているのです。, また、世界では6,560万人の難民がいるといわれていますが、そのうちの2,800万人は子どもであり、まだ幼いにもかかわらず生命の危機や人生の絶望感に襲われています。, 紛争が行われている国々では武器を取り締まる法律や条約がないため、子どもたちが武器を持つことを強いられたり、その武器により命を失ってしまったりしているのが現実です。, 子ども兵士が紛争の最前線で使われており、学校に通うこともできず常に死の危険と隣り合わせの状態です。, 兵士として動員されないとしても、人権を全く考えない大人から暴力を振るわれたり、紛争に巻き込まれて命を落としてしまう子どもも少なくありません。, 命からがら逃げだして難民となった子どもたちも衛生環境が悪かったり、飢餓により未来輝かしい人生が消えてしまうということもあります。, (出典:セーブ・ザ・チルドレン「報告書『子どもに対する戦争:武力紛争下の子どもたちへの暴力を終らせる』を発表-世界では6人に1人の子どもが紛争の影響を受ける地域に暮らす-」,2018), 政府軍と反対軍による対立や独立を求める紛争、民族紛争などにより避難を余儀なくされている難民や、紛争地域にとどまりながら怯えている人々のために支援活動が行われています。, 紛争地域に暮らす人々や紛争の影響を受けた人々に行われている支援活動にはどのようなものがあるでしょうか。, 本来、国民に安全な食料と水を供給するのは国の役割です。しかし紛争が長引いていると国家は正常に機能しなくなるため、きれいな水さえ飲むことができず、飢餓や感染症により命を落としてしまうこともあります。, そのような危険にあっている人々のために安全な水を提供するという支援活動が行われてきました。井戸を掘ったり、衛生的な給水施設を設けたりなど実際にきれいで安全な水を飲めるように行動しています。, 紛争から逃れてきた難民の子どもたちは十分な教育を受けることができず、読み書きを学ぶこともできません。そのような子どもたちを対象に学校保健事業が行われています。, また、ただ教えるだけではなく、内科・耳鼻科・皮膚科などの医療的な支援も行い、手洗いや歯磨きなどの衛生的な習慣も身につけられるように助けています。, これまで不衛生で危険な環境で暮らしてきな子どもたちが安心して健康に暮らせるようにサポートしているのです。, 紛争に苦しめられている人々は世界中に数えきれないほど多くいるため、自分にも何かできないだろうかと考える人は少なくありません。, 1つ目は実際に紛争地域に出向いて人々を救助し、保護し、支援するという方法です。治療を必要としている多くの人々の医療支援に従事したり、子どもたちの教育をサポートしたりする人たちが求められています。, しかし、残念なことに紛争が激化する中、その地域で支援を行うことは非常に難しく、毎年援助関係者も命を落としています。, 逃れようとする難民が増加し、支援を必要とする人たちが増える中、自ら危険な地域に出向くことは難しいですが、現地で行われている活動の支援は日本に住んでいても可能です。, 難民の中には多くの子どもたちがいます。子どもたちは成長が早いため、数枚の衣類だけでは生活できなくなります。そのため、多くの子ども服の提供が要請されています。, 自分の小さいころに着ていた服や、自分の子どもの服を届けてプロジェクトに参加することができるでしょう。不要になったものを簡単に捨ててしまうのではなく、再利用として難民の子どもたちを支援できないだろうかと考えてみましょう。, 自分の持っているもので確実に紛争地域の人々を支援できるものは寄付です。街中の募金箱に小銭を入れたり、月々数千円といった少額のお金でも、たくさんの人が募金に加われば多額な寄付金となります。, また、支援は直接お金を寄付するだけではありません。フェアトレード商品を購入したり、旅行でためたマイレージを寄付したり、本やCDなどを寄付することもできます。自分にできる方法で無理なく寄付を継続すれば、紛争に苦しめられている人々の大きな助けになるでしょう。, ( ワールド・ビジョン・ジャパン「【難民支援】シリア紛争の影響を受ける子どもたちに教育を!」), 紛争は、今現実に起きていることです。日本に住む私たちにとっても他人事ではありません。, なぜ紛争が起きているのか、どんな支援が必要とされているのか。こうしたことを知ることから始めてみませんか。, グループメディア:BITDAYS | DELIGHTmedia | GANMA!ニュース, gooddoマガジンはソーシャルグッドプラットフォームgooddo(グッドゥ)が運営する社会課題やSDGsに特化した情報メディアです。日本や世界の貧困問題、開発途上国の飢餓問題、寄付や募金の支援できる団体の紹介など分かりやすく発信しています。, 経済問題や宗教間のもつれ、文化の違いや民族間の争い、集団心理や環境などによる争い事, アフリカの紛争は、長期間続いており解決のため支援が行われているが糸口をつかめないでいる, アフリカは世界から注目されるほど石油やレアメタルなどの資源が豊富な国であり、その資源をめぐる争いが絶えない, 紛争地域では、武器に関する法律や条約がないことが多く、子どもでも武器を持ち紛争に参加させられることがある, 紛争地域の水は、きれいでないため飲むことができないので安全な水を提供する活動がされている, 十分な教育を受けていない子どもたちのための教育の場の提供、医療的な支援も行っている. ご存知、朝鮮半島を二分した「朝鮮戦争」。 この戦争の原因は、第2次世界大戦終了後に、朝鮮半島を欲しがったアメリカとソ連(ロシア)のケンカです。いわゆる「冷戦」ってやつですね! アメリカは南の韓国を応援し、ソ連は北の北朝鮮を応援する。 1950年に始まった朝鮮戦争、結局勝負はどっちつかずで3年後の1953年7月には「休戦」という形で和解し、韓国と北朝鮮の間で新たに「38度線」という国境線を引き、一旦は解決となりました。 でも、あくまで今現在も「休戦中」です。38度線には、常に … ©The Asahi Shimbun Company / VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved. 国家政府の地位をめぐる紛争 3. 上記が、紛争が起こる主な原因となっています。 また、紛争が起こる原因は上記に挙げた中のどれか一つではなく、いくつかの要因が複雑に絡み合って紛争が起きます。 また、2000年代の紛争の特徴は、同じ国内で繰り返し発生し、長い間続くのが特徴です。 まずはそもそものお話。 「カシミール紛争」とは何なのでしょうか? カシミール紛争とは、パキスタン北部とインド北西部にまたがるカシミール地方の領有権をめぐって、インド、パキスタン、および中国の3カ国が領有権を主張している地域紛争のことです。 そのなかでも、インドとパキスタン間でのカシミール地方を巡る争いは激しく、現在でも軍事的緊張が続いています。 過去、1947年、1965年、1971年に三度の戦争、いわ … また、当サイトで提供する用語解説の著作権は、(株)朝日新聞社及び(株)朝日新聞出版等の権利者に帰属します。