例年になく長い梅雨が漸く明けて、列島は今、真夏の太陽がギラギラ照りつける猛暑が続く。戦後75年を刻む広島・長崎の《原爆悲劇》と夥しい《戦争惨禍》の、永遠に消えることのない日本人の記憶が、強く鮮明に甦る季節の只中にある。一方、75年という長い歳月の変遷と世代の交代によって、戦争体験者の高齢化問題は避けられず、愈々以って戦争を後世に語り継ぐ条件の先細りが心配される。戦争記念館や資料館が閉館に追い込まれる例も全国的に広がりつつある。加えてこの夏は全世界的なコロナウイルスの出口なき感染拡大によって、国と国の分断、敵対感さえ浮上して新たな緊張感を生み出している。, 鬼才・塚本晋也監督の『野火』 (2014年作品)は、5年前の初公開で堅実なヒットを記録して以来、2016年、17年、18年、19年の真夏にアンコール上映を続けてきた。毎回大きな反響を呼び「映画による反戦の夏」を喚起し続けている。監督による興味津々のトークもあり評判上々、今回が6度目の上映となる。デビュー当時から熱心なファンを持つ監督の作品ゆえに、リピーター観客が多いのも喜ばしい限り。今夏の成果を大いに期待する。, 第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。敗色濃い日本軍にあって、一等兵・田村(塚本晋也)は、肺結核を病んでいる身ゆえ役立たず、穀つぶしとして部隊を追われ野戦病院に赴くが、負傷兵だらけで食糧も底をついていた。追い返され窮した田村一等兵は、再び部隊に戻るものの冷たく拒まれて途方に暮れる。, 田村は、自分同様に行き場を失っていた負傷兵・安田(リリー・フランキー)とその手下のような兵卒・永松(森優作)らと出会い同行することに。だが、芋一本で醜く争うこの飢えた一団の浅ましい行為に嫌悪を覚えるのだった。それもつかの間、眼前の野戦病院が敵機の空爆に遭い炎上、日本兵たちはテンデンばらばら、蜘蛛の子を散らすように原野の闇の中へ逃走して行く。, 痩せ衰え弱り切った身で、再び一人ジャングルを転々とする田村一等兵。今や彼に許されているのは《死ぬこと》のみだった。田村の彷徨はいつ果てるとも知れず続く。兵士たちの目に次々と映る異国レイテ島の幻想的な光景は、現実と対極的な楽園とも錯覚しかねない奇妙なイリュージョン。空恐ろしいほどの飢餓。湧き上がる望郷の念。二つが激しく入れ替わり、田村を狂気に追い込んでゆく。, 何処を彷徨っているのか自分でも分からない。かつての上官、伍長(中村達也)が率いる敗走の一団と遭遇し追随する田村。日本兵は皆、パロンポンに向かうようにとの軍令が出ているという。撤退!帰国!?一縷の希望?, この道なき道の果てに、飢餓と絶望の果てに想像を絶する《狂気の世界》が、田村一等兵を待ち受けていた。かつてニューギニア戦線では、飢えの為に死者の人肉を食らったこともあると嘯(うそぶく)く伍長の苦笑。安田、永松との偶然の再会とジャングル行は続く。その先で田村が目撃することは、口にするのも、文字に記すのも恐ろしい光景だった…。, 塚本監督が大岡昇平の小説「野火」に出会ったのは、高校生の頃だったという。以来、長年に亘って映画化を熱望してきたのではないか。私がこの小説を読んだのは1959年。名匠・市川崑監督がかつて大映(東京)で映画化した際のこと。今回、再読の機会を得て、あらためて驚嘆する衝撃と感銘を受けた。一口に戦争文学の金字塔などという言葉で済ませられる作品ではない。, 日本の一兵士のレイテ戦地に於ける「地獄」の彷徨は、極めて過酷でむごたらしいまでに残酷だ。異国の戦場の原色の土と樹木の圧倒的イメージは、どこか混沌を超えた清冽さを読むものに感じさせる文体になっている。泥と血と銃弾と飢えと人間性喪失の狂気と危機が躍る混濁が、翻訳文的で知的な整理が施された文体から、かくも清冽に描き出されるとは!再読で新たな感銘を受けた。, 塚本監督作品『野火』を見たのは5年前の2015年6月だった。以来、再見の機会を逸してきたが、今回の執筆に当たって、DVDではあるものの大きな画面でしかと見た。全篇87分、少なからず緊張して画面に向き合い、初見の際の金縛りが甦った。20世紀は戦争の時代だった。時代が時代の子、田村一等兵をレイテ戦場に差し向けた。そこから時代の、人間の彷徨が始まった。, この映画には、「いきなり」という感覚が満ち満ちている。物語の状況設定なんて言う至極ノンビリしたものは一切ない。結核を病み、飢えに苦しみ、野戦病院を追い出されて部隊に戻れば、役立たずとして再び病院へと追い立てられる。, 監督は一切説明しない。行き場を失った一等兵は、一人ジャングルを彷徨う。戦場で予期せぬ様々な光景を見る。彷徨う同胞と出会う。突然の敵軍の銃撃に遭う。何が起きるか分からない。人喰いの狂気が突如頭をもたげる。戦争地獄を通過し、歩き、這い、死体となる。監督は丹念に撮り上げた恐ろしい断片を、容赦なく繋ぐ。その総体が戦地の全状況だ。不要なものを徹底排除した貫徹87分こそが映画『野火』だ。真のリアリズムに胸打たれた。・・・戦争の悲劇、惨たらしさを衝いた稀有の一作!, 『野火』上映にあたって『野火』の初めての公開は終戦70周年の夏。そして今から思えば2013年に東京オリンピック開催が決まった瞬間、今年の終戦75周年の存在はなくなったように思えます。ユーロスペースではこの5年間、片渕須直監督のアニメーション映画『この世界の片隅に』(2016年)と『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019年)、小林正樹監督の長篇ドキュメンタリー映画『東京裁判 4Kリマスター版』(2019年)とコレクションを集めるようにさまざまな表現の映画を上映してきましたが、原点は『野火』にあり、『野火』から学んだことが大きいと思います。初公開の年に「低予算だからリアルにこだわる」と塚本晋也監督はトークショウでおっしゃっていました。その時は低予算のリアルということばが映画つくりのエッセンスとして心に残ったのですが、今は、このこだわりがなければ私たちのような戦争体験のない世代があの戦争を説得力をもって描けるはずがないと確信します。初めて観たときのおどろきとつくり手の覚悟を今年も塚本晋也監督と一緒に感じたいと思います。ユーロスペース支配人 北條誠人. 【公開】 2015年(日本) 【監督・脚本・編集・撮影・製作】 塚本晋也 【キャスト】 塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作、中村優子、山本浩司、山内まも留 【作品概要】 高校生時の塚本晋也が、大岡昇平の問題作『野火』を読んだ感動を念願を叶えて完全実写化。戦後70周年を迎えるにあたり、日本社会の状況が右傾化していく危惧を感じ、「これはヤバイ」と単独で撮影で挑んだ渾身の一作。 また、1959年に、市 … 映画「野火 Fires on the Plain」公式サイト。塚本晋也監督作品 大岡昇平原作 なぜ大地を血で汚すのか 戦後70年を「野火」で問う。 製作・監督・撮影・編集・主演=塚本晋也が創る映画『野火』の感触。 塚本監督作品『野火』を見たのは5年前の2015年6月だった。� 『野火』(のび、Fires on the Plain )は、大岡昇平の小説。1951年に『展望』に発表、翌年に創元社から刊行された。作者のフィリピンでの戦争体験を基にする。死の直前における人間の極地を描いた、戦争文学の代表作。第3回(昭和26年度)読売文学賞・小説賞を受賞している 。