今回のイラク戦争ではNBCテレビなどの 撤退してフリーだけが現場に残るという状況。 それも戦争報道の一つの側面として、ジャーナリズムが心がけなければならないことだと思っている。 杉浦友紀(文・新聞学科2年) シラバス一覧に戻る 佐高信 "F$H:R��!z��F�Qd?r9�\A&�G���rQ��h������E��]�a�4z�Bg�����E#H �*B=��0H�I��p�p�0MxJ$�D1��D, V���ĭ����KĻ�Y�dE�"E��I2���E�B�G��t�4MzN�����r!YK� ���?%_&�#���(��0J:EAi��Q�(�()ӔWT6U@���P+���!�~��m���D�e�Դ�!��h�Ӧh/��']B/����ҏӿ�?a0n�hF!��X���8����܌k�c&5S�����6�l��Ia�2c�K�M�A�!�E�#��ƒ�d�V��(�k��e���l ����}�}�C�q�9 の報道にとても敏感で、正確なニュースを望 っかりしました。本を読めば書いてあるよう を使用したと書いて辞職した。誤報とされた 2009 All Rights Reserved. の集いというのに行ってみました。でももう 反戦の集会に自らは参加することもなく、 〈ワーテルローでナポレオンを倒したウェリ ントンがこう言っている。 た。本誌に連載中の った時の話通り、日本の大手マスコミは全社 ったんですが‥‥」 N'��)�].�u�J�r� �ꇆ��n���Q�t�}MA�0�al������S�x ��k�&�^���>�0|>_�'��,�G! h�b```"Wcaf`f`�s|Pd��{@�C���A�� w�cxöۥ@U,��J��9��h�NqRݤ(t�F�wCGC� �X��@Z���"��v�,aOj��X�`���x��܁��|�Ś]����D�1�%�\+����H3qK0�}��0 �/� %%EOF 戦争報道で問われる真のジャーナリズム ー賞を取ったベテラン記者で湾岸戦争の際に 『創』編集長の篠田博之は五月号の後記に \eI��O��Y�r�/Z�~Q����W��WJ�.��^>}���]V��{����__������5�H˽\�r�q�ۢ�~���������r���p�K�vM0�L,/:�:-��e��$��@e������6����r���}�2�}��@�w�î6�8��{���Z���Z�2��_I��J��wMv�dJH��d���l �e�Ɵ�(e����8�gpj�A�7*�e�؂�>���r�T� _�i�2��o/1�Wk�½#ܓs-i��E{ �B��[�^��_ �3qM�qT�� Z�FR$�%C�g������q ��[%���)�s����f���>:�?������G^�I���܌ͷ#6 スや米軍を発信源にしており、これでは戦争 彼女のインタビューも『創』に載っている :J>bTo��H��%=�m5kmrp�A�D�Dܼs��(����h�� �j�~P��sF���U����Fy��1�D�C�i�`�2�yR����-Z�P{�:8p� ���`X ����� �����f�eF�a�|�#q�$J��b '��b��KN0�������H����qҍ���iQ��B�V��m� LJsv��x�*�"��b:�X �'�B� 6Gܔ�g�j)d#�p���u���r��E_�,�\��M��w���˛r]�ݸ���`���#�����@ N�{zp�Ϟ.���p�mٳm[z7���B�:���d�'����e �J�6������A���!���������ϨdR��Z�;��I5�n/. 録されています。ぜひ、 難しいからだ」 「私を解雇したことが目論見はずれだったと とだと思う。アメリカ政府はバグダッドから 「メディア批評」も収 さらに、戦争報道はジャーナリズム産業を発展させるきっかけにもなった。戦争はニュ ースの速報に拍車をかけることになったといえる。1894年には日清戦争が起きたが、人び との間に、戦地のニュースを求める欲求が高まった。 一日付けの同紙にこう書いた。 この本を手がかりに、戦争と新聞、そしてジャーナリズムと報道のありかたなどについて、新聞記者を長く勤められ、『兵は凶器なり一戦争と新聞1926-1935』『言論死して国ついに亡ぶ一戦争と新聞-1936-1945』(ともに社会思想社)の御著書もある前坂さんにお話しいただきたいと思います。 Copyright© フリーと大手企業のメディア界の二重構造を 8 1.研究の目的 2003年3月20日に始まったイラク戦争では, テレビによる戦争報道のあり方が一変した。 おびただしい情報と映像が伝えられた。 イラク国営テレビのインタビューに応じて、 「戦争報道」 ――放送メディアを中心に―― 喜久山 顕悟 序章 第1 章 ベトナム戦争 第1 節 報道体制と報道規制 第2 節 ウォルター・クロンカイトの発言 第3 節 ペンタゴンペパー 第2 章 湾岸戦争 第1 節 報道体制 ―プール取材― いたアメリカとの利害関係の衝突が本来的な原因といえる戦争でした。, この戦争にあたって、開戦に向けたアメリカ世論の形成に大きな役割を果たしたものが「イエロージャーナリズム」と呼ばれた当時の新聞報道でした。, 当時のアメリカではニューヨーク・ジャーナル紙とニューヨーク・ワールド紙の2つの新聞が発行部数の拡張にしのぎを削る状態にありました。, こうした状況下、読者の関心を引こうとセンセーショナルな話題や内容の掲載競争が行われるようになり、次第に捏造された記事が紙面を飾るようになったとされています。, 現在から見ると、ゴシップ系の週刊誌などに近いメディアだったと言えるかもしれません。, こうした内容を競った結果、当初の発行部数はワールド紙が15,000部、ジャーナル紙が1,500部にすぎなかったものが、米西戦争のマニラ湾での戦いが発生した時点では、何と160万部にまで部数が伸びたと伝えられています。, イエロージャーナリズムという名称の語源は、当初ワールド紙に掲載されていた人気漫画の主人公の「イエローキッド」から取られたもので、ジャーナル紙がその漫画の作者を引き抜いて自紙への漫画掲載を行わせ �x������- �����[��� 0����}��y)7ta�����>j���T�7���@���tܛ�`q�2��ʀ��&���6�Z�L�Ą?�_��yxg)˔z���çL�U���*�u�Sk�Se�O4?׸�c����.� � �� R� ߁��-��2�5������ ��S�>ӣV����d�`r��n~��Y�&�+`��;�A4�� ���A9� =�-�t��l�`;��~p���� �Gp| ��[`L��`� "A�YA�+��Cb(��R�,� *�T�2B-� そんな話をしている場合じゃないでしょうと 「三月一五日にはジャーナリストたちの反戦 思わせるようなベストな仕事をしたい」 「戦争は負けた者が悲惨だ。勝った者もまた endstream endobj 34 0 obj <> endobj 35 0 obj <>/MediaBox[0 0 595.32 841.92]/Parent 31 0 R/Resources<>/Font<>/ProcSet[/PDF/Text/ImageB/ImageC/ImageI]/XObject<>>>/Rotate 0/Tabs/S/Type/Page>> endobj 36 0 obj <>stream イライラしました。ジャーナリストというの 綿井がチームを組んでいるアジアプレス・ 野中が恐れていたことは、ピーター・アー ネットのNBCテレビ解雇となって表れた。 った時期なのに、危機感のない人が多くてが Yv��]~�ƵR��c�~�'�z�3�o���$�94��4�> �ר������� 9z&ց�qD���;��?htW�){�3.�rFa���� r��0^}�O!�[��I� �K��T��= m� 8�{�[Z��|@@E��ZV����p �h��y 4s0�$b������Tg��o���3���lA���K���(=y$gP%��Cۛ���I���W�x�Uk� 9�t�i�y{؇�e�4���j���#������!�E2v��0��E���'��a�8fem��L Y�uLm��{�H�Q9�hw~u�!����:��rn���4 もある。 こんにちは! 旅での歴史は出会い、歴旅中のまえてぃーです。 濃く甘みのある香ばしいコーヒー。 お肉たっぷり野菜たっぷり栄養満点のフォー。 朝6時から公園には体操にダンスにバドミントンに明け暮れる人たち。 バイク。そしてバイク。 早起き以外はまえてぃーにバッチリ☆ 日本から直行便で約6時間。南北に約1650キロととても細長いこの国は、最近ではリゾート地としても人気が高くなっている国。 そこはズバリ、ベトナ … 33 0 obj <> endobj て反戦を訴えている。 アメリカの戦争計画は失敗していると語って、 戦争報道で問われる真のジャーナリズム 取材力の低下が助長する米国の情報操作 佐高信さんの新刊『許 されざる者』(毎日新 聞社)が出版されまし た。 本誌に連載中の 「メディア批評」も収 録されています。 ぜひ、 ご一読ください。 logi-biz編集部 一日の反戦集会で、私は城山三郎の次の発言 『創』の五月号に一部を収録されたが、三月 この戦争にあたって、開戦に向けたアメリカ世論の形成に大きな役割を果たしたものが「 イエロージャーナリズム 」と呼ばれた当時の新聞報道でした。 新聞が引き起こした戦争とも言われる米西戦争について調べて見ました。 新聞の拡張競争 「それにしても昨年十一月号で綿井(健陽)さ n�3ܣ�k�Gݯz=��[=��=�B�0FX'�+������t���G�,�}���/���Hh8�m�W�2p[����AiA��N�#8$X�?�A�KHI�{!7�. されざる者』(毎日新 「殺される側」からの報道を求めた。 2y�.-;!���K�Z� ���^�i�"L��0���-�� @8(��r�;q��7�L��y��&�Q��q�4�j���|�9�� それに、過去十数年間のバブル崩壊以降の「失われた十年」、本当は「失った十年」の経済、不況報道も、依然として六〇年前と同じ報道パターンがくり返されていますね。, 「百歳学入門(106)超高齢社会日本の手本・『中江兆民(53歳)の死に方の美学』(遺言)「戒名は無用、葬式も無用、灰は海に投棄して魚のエサにせよ」, 日本の最先端技術『見える化』チャンネル―『IFPEX2017(9/13-15)-NACHI(不二越)と「CKD」のパワフルアームのプレゼン』, 池田龍夫のマスコミ時評(124)「新国立競技場建設に2520億円とは・」(7/10), 日本リーダーパワー史(598)『安倍・歴史外交への教訓(5)』「大東亜戦争中の沢本頼雄海軍次官の」を読む―鳩山元首相の「従軍慰安婦」発言、国益、国民益無視、党利党略、 各省益のみ、市民、個人無視の思考、行動パターンは変わらず, トラン大統領は全く知らない/『世界の人になぜ日中韓/北朝鮮は150年前から戦争、対立の歴史を繰り返しているかがよくわかる連載⑶』ー(まとめ記事再録)日中韓異文化理解の歴史学(3)日中韓異文化理解の歴史学(3) 『日中韓150年戦争史の原因を読み解く』 (連載70回中、37-50回まで), リクエスト再掲載/日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信設備の兵站戦略こそ日清戦争必勝のカギ 「坂の上の雲」の真の主人公「日本を救った男」, 世界/日本リーダーパワー史(891)ー金正恩委員長からの会談を要請に飛びついたトランプ大統領、「蚊帳の外」に置かれた安倍首相、大喜びする文在寅韓国大統領のキツネとタヌキの四つ巴のだまし合い外交が始まる①, 『リモートワーク/巣ごもり動画(1時間)で日本史最大の英雄/西郷隆盛の終焉の地を訪ねる旅』★『西郷精神「敬天愛人」をたずねて「城山終焉の地」「最後の司令本部洞窟」★『「終焉の地」で「晋どん、もうここらでよか」と果てた』★『南洲墓地にお参りする』★『 日本最大の国内内乱/西南戦争の最激戦地「田原坂」を訪ねる』★『前坂俊之×西郷隆盛の記事 =検索結果 243 件』, 『リーダーシップの日本近現代史』(258)/ 「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実㉖ 「日本は朝鮮を吸収との言」ーハルバート氏,すべて良好とのラッド教授の意見に反論』★『償いなき略奪。日本が条約に違反し製品を無開税で輸入している証拠を握る, 日本敗戦史(42)「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』の内幕<ガラパゴス日本『死に至る病』①, 日本リーダーパワー史(853)ー『来年(2018年)には米朝開戦か、北朝鮮を核保有国と認めて 「核シェアリング」で核抑止するかーギリギリの選択を迫られる 』(上), 『リーダーシップの日本近現代史』(40)記事再録/『150年かわらぬ日本の弱力内閣制度の矛盾』(日本議会政治の父・尾崎咢堂の警告)』★『日本政治の老害を打破し、青年政治家よ立て』★『 新しい時代には新人が権力を握るものである。明治初年は日本新時代で青壮年が非常に活躍した。 当時、参議や各省長官は三十代で、西郷隆盛や大久保利通でも四十歳前後、六十代の者がなかった。 青年の意気は天を衝くばかり。四十を過ぎた先輩は何事にも遠慮がちであった』, ★『地球の未来/明日の世界どうなる』< 東アジア・メルトダウン(1076)> ★『第2次朝鮮核戦争の危機は回避できるのか⁉⑥』★『石油輸出に上限=北朝鮮制裁決議を採択―米譲歩、中ロ容認・国連安保理』●『アングル:高まる非核三原則見直し論、米軍の核持ち込みで抑止維持』★『 日本で広がる核武装論…「安倍第1次内閣で米国と議論」』★『「日本、10年以内に核武装の可能性」』, 終戦70年・日本敗戦史(131) 日本を滅ぼしたキーワード「満蒙はわが国の生命線」関東軍の下剋上、 謀略によって再び満州事変を起こした, 日本奇人ビックリ百選(1)泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症、ばい菌、犬、カミナリ恐怖症‥, 『東京裁判のその後』ー裁かれなかったA級戦犯 釈放後、再び日本の指導者に復活した!, 日本一の「徳川時代の日本史」授業ー福沢諭吉が語る「中津藩で体験した封建日本の差別構造の実態」(旧藩情)を読み解く①, 『オンライン現代史講座/1930年代の2・26事件の研究』★『太平洋戦争(1941年)へのターニングポイントになった2・26事件<1936年(昭和11>当時のマスコミの言論萎縮と「世直し明神・阿部定事件』★『 二・二六事件でトドメを刺された新聞』★『愛する男の命を絶っまでに愛を燃焼し尽くした純愛の女として同情を集め、一躍〝サダイズム″なる新語まで生まれた』, 『オンライン現代史講座/2・26事件の原因の1つは東北凶作による女性の身売りが激増』④『売られた娘たち ~東北凶作の中で!』★『東北の農村などでは人身売買の悪徳周旋屋が暗躍した」( 玉の井私娼解放運動に取組んだ南喜一の証言), 『オンライン現代史講座/2・26事件の原因の1つは東北凶作による女性の身売りが激増』③『アメリカ発の世界恐慌(1929年)→昭和恐慌→農業恐慌→東北凶作ー欠食児童、女性の身売り問題→国家改造/超国家主義/昭和維新→5・15事件(1932)→2・26事件(1936)、日中戦争、太平洋戦争への道へと転落した』, 『オンライン/GoTo トラベルで岡山に行こう』★『日本一の名園「岡山後楽園」日本庭園の傑作を見るにはここにに行けばよい』★『日本庭園・清流旭川・名城岡山城が三位一体の面的美観エリアを形成している』, 『オンラインGoTo トラベルで熊本県に行こう』★『阿蘇山周辺をドライブして、コロナ撲滅を天に祈り、世界中のコロナ鬱を噴煙とともに吹き飛ばそうよ、スカッとするぜ!』(202/10/18). �P �rr=��W�(�Tr��K7�r���N�n)א は専門家なのだから、何かこんなことをしよ �H#�I�������G7�k�Obv�y�3SR�Pwkf���TK%�w4Y�� �j�A��"�m��9��c�3�E�x���89�;���L��ZJ${�wv�W2AN�ߺH��NY��dH\I��I�8)��z���R+J�}t���5I���vC��'�U;(&�OSz�y�D?��Ũ ��f�����+GC��� j2E�m�dH��ղDLʆ3 L��{3��pz��t�$;?�+Y!��BN�ר����%��.Y�m�3H�@d'�*��b�͡�G-X2q#ѐc��n!�R����״f�V�M�59?Y��;)#o�`Db�E��ܛn�C��)v���E���Iq{p�W�1���$�- endstream endobj startxref を多角的に報道するジャーナリストの取材力 悲惨だ。本当の勝者は戦争をしない者だ」〉 二十二日付けの『朝日新聞』で、次のように その後、デーリー・ミラー紙に移り、四月 先ずアメリカは陸から攻めて要所サンファン高地を陥落させました。これを受けてスペイン艦隊は湾外へと逃れようとしましたが、アメリカ大西洋艦隊の攻撃を受けて壊滅し、アメリカが制海権を掌握しました。, 残されたスペイン軍は陸のサンチャゴ要塞に籠り防衛線を試みましたが、同年7月17日に降伏しスペインは継戦能力を失って同年8月に戦闘は終結し、続く12月に和平条約を締結しました。, これによりアメリカはスペインからフィリピン、グアム、プエルトリコを獲得すると同時に、キューバを保護下に置き、実質的な植民地とすることに成功しました。, 学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。 h�bbd```b``�"�A$��� "�H&0� L^ �K��>�ޭ`rX�DZ�I��9 ��3�| "��߉L@{7�md`� �����G� Z�C あの時はCNNテレビの看板記者だったが、 たため、ワールド紙は別の人物を起用して同じ「イエローキッド」を書かせて掲載することになり、この両新聞の争いを評して名付けられたと伝えられています。, こうした部数拡張競争の中において、キューバにおけるスペイン人の非人道的な行為を誇張・捏造して報道することにより、アメリカの世論はキューバへの軍事介入を支持する勢力が多数を占めるようになりました。, この世論の後押しを受けてアメリカ政府・軍も戦争への傾斜を強め、1898年2月、ハバナ湾にあったアメリカ海軍の戦艦メイン号が謎の爆発を起こした事件を、スペインの謀略と見做して同年4月には戦争へと突入しました。, アメリカはスペインの植民地であったフィリピンに太平洋艦隊を差し向け、1898年5月にマニラ湾海戦でこれを破りました。, フィリピンにはスペイン陸軍も駐留していましたが、フィリピンの独立運動家と結んだアメリカが共同でスペイン軍を攻撃し降伏させると、自らがスペインにとって代わりフィリピンを植民地として統治しました。, またスペイン領であったグアム島に対しても、1898年6月20日に軍艦からの艦砲射撃を行いこれを占領しました。, 戦いの舞台となったのはキューバのサンチャゴ湾周辺で、湾内にはスペインの艦隊と陸軍の守備兵が配置されていました。 LOGI-BIZ編集部. 取材力の低下が助長する米国の情報操作 バグダッドから生中継を続けて脚光を浴びた。 んでいない。なぜなら、事実の報道は多大な ���D�Vx)T�Fx%T�^x�oºZ�$��h|��F�{��_:B�G�z��CqqS|^m^�E1 Uܽ����[�qڔMu~����Z6v��_��z��m1.ן�z���%Y\V-ۙJ��^��-�/�W���b�-�)�B{Bi�I�7��E��������*F�˫�_�P��y���֔���4�~-�J�������RŴ�^~��6$�6��Ym�? 況は危うい。なぜなら今回の対イラク戦争も、 「解雇されたのはショックだし、恐ろしいこ そうしなければ、政府は戦争を続けることが 考えてしまいます」と書いている。 は落ちているように思えてならない。この状 第8 回 戦争報道を例にした情報の読み解き方 ― 民主主義を支えるジャーナリズムの視点から ― 講師 早稲田大学 教授 野中 章弘 (のなか あきひろ)氏 受講日 平成30年11月3日 戦争は必ず、メディアの統制をもたらす。 と有事法制に反対する演劇人の会」をつくっ 経済評論家 るのが「専門家」なのか。 アーネットはベトナム戦争報道でピュリツァ ‚é‚«‚Á‚©‚¯Eìí‚ðì‚Á‚½B‚¢‚ë‚ñ‚È‚±‚Æ‚ª‚ ‚邪AƒƒfƒBƒA‚̐푈‚É‚¨‚¯‚éŠë‚¤‚¢—˜—p‚Ì‚³‚ê•û‚Í‚Æ‚Ä‚àŽc”O‚Å‚ ‚éB, @ÅŒã‚ɁAí‘ˆ•ñ“¹‚ňê”Ô‹C‚ð‚‚¯‚È‚­‚Ä‚Í‚È‚ç‚È‚¢‚ÆŽv‚Á‚Ä‚¢‚é‚Ì‚ªA‚»‚ÌŽžX‚̐틵‚Æ‚©í‘ˆ‚̈ʒu‚¯‚ð‚µ‚Á‚©‚肵‚È‚­‚Ä‚Í‚È‚ç‚È‚¢‚Æ‚¢‚¤‚±‚Æ‚¾B‹qŠÏ“I‚ɑΉžA•ªÍ‚µ‚È‚­‚Ä‚Í‚È‚ç‚È‚¢B‚»‚ê‚©‚çA‚»‚ÌŽžX‚Ì•ú‘—‚à‘厖‚¾‚ªA‚»‚êˆÈã‚ÉŽ–Œã‚ÌŒŸØ‚ª‘厖‚¾B‚Ç‚¤‚µ‚Ä‚àŽžŠÔ‚É’Ç‚í‚ê‚é’†‚ŌX‚̃jƒ…[ƒX‚𐂂ꗬ‚µ‚´‚é‚ð‚¦‚È‚¢B‚¨‚©‚µ‚¢‚ÆŽv‚Á‚½‚牰‚¹‚¸A•ñ“¹‚̐¥”ñ‚ðŒŸØ‚µ‚È‚­‚Ä‚Í‚È‚ç‚È‚¢B, 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�r�:�8�q�:��˜�O:ϸ8������u��Jq���nv=���M����m����R 4 � 戦後報道とジャーナリズム =昭和20年、敗戦後の新聞報道= 静岡県立大学国際関係教授 前坂 俊之 1845年(昭和20)8月15日、第2次世界大戦は日本の敗北によって、ついに終結し た。太平洋戦争では約300万人の国民が死傷し、アジア全域では500万人以上の �V��d>ɹ9ԩ�f�z�3R����rLGE<6o�p$�!� Ŧe�n�H�Oք����q{�ԊO��}AgiB�*�� Lb\�(� ��N���A�+��ɧ�I`�X&�^Ej���T�ј��~�7����[ԨF��4�7T�Shج���@��-Ë27��6�Uk'���mqf�n}��^����7̭W�i��ʁ}�>��G�܄p0b��1�%���%�={t��t�ZN2o:�s�v������90Ii�j΃��$��Ru �y���O:��ڪ��AX�t���UNC�c��U����\�P��R5t���'/$ϣ� ��l=%��1֕T����(bA�j�y�*�Piީ7n9���}���[�k�v�b�b� �yn������J]��aP�i�l�K�c.�X���x��6#֐���7R��o1ϡ���K�(�Tj?Ҋ��諛̡�(OV�n�%���$t�T;u��{W��)D!$M�mIu�q:O�/2�A��t���0w��Q���U%�O%��tN*9�`f~�#����� �4�� マスメディアの情報はほとんどホワイトハウ 米西戦争(べいせいせんそう)は、アメリカとスペインとの間で行われた1898年に発生した戦争です。, アメリカ海軍の軍艦メイン号がハバナ湾で謎の爆発を起こしたことがきっかけとなって始まった戦争でしたが、元々キューバを植民地としていたスペインと、そのキューバに対し砂糖製造などで莫大な投資を行って �V��)g�B�0�i�W��8#�8wթ��8_�٥ʨQ����Q�j@�&�A)/��g�>'K�� �t�;\�� ӥ$պF�ZUn����(4T�%)뫔�0C&�����Z��i���8��bx��E���B�;�����P���ӓ̹�A�om?�W= とアーネットは語っている。 59 MAY 2003 いつ爆撃が始まるかわからないという差し迫 日本は参加者が少ないなどと?客観的に〞語 ご一読ください。 一九九九年に、ベトナム戦争で米軍がサリン 解雇されたのである。 者と、属していないフリーの人間に分かれる。そして、危険を冒してでも事実に迫ろうとす 社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。 な国際情勢の話をえんえんとする人もいて、 を仕掛けた米国の情報操作から逃れることは が、次の指摘は痛烈なジャーナリズム批判で 劇作家で女優の渡辺えりこも「イラク攻撃 問題を引き起こすからだ」 を紹介した。 特約記者としてバグダッド入りしていたが、 前坂俊之オフィシャルウェブサイト , 聞社)が出版されまし �*��q�(d��ܶ��Pe������ŭ���n %PDF-1.7 %���� るのは、後者に多いのである。 できなくなるからである。 野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。, 越後の鬼人 本庄繁長本庄繁長(ほんじょうしげなが)は、戦国期から江戸時初期において大名・…, 偉大な父を持つ 織田信忠世界中で有名な戦国武将、織田信長には後継と呼ぶに相応しい息子がいた。…, 兵庫県相生市相生のIHI相生事業所敷地内の山林で、前方後円墳が見つかった。国土地理院(茨…, 肉親の情よりも大義をとるべし!人質をとられても脅しに屈しなかった「三国志」の忠臣・程畿のエピソード, 【正論】内村航平さん、国民に訴え「五輪できないじゃなくて、どうやったらできるかを皆さんで考えて!」, 福岡の恋の神様「恋木神社」から誕生♡恋する女子必見の“恋愛成就マスク”が気になる!, 韓国系女性初の米下院議員誕生に「100%韓国人じゃなくて残念」、韓国人元議員の発言が物議. :����Y��?�9�ᅩJa�����n_-�V�z9/���h����u��6��rӧh�#� ��ײ�p���\#��dž��ۼV�c��R�@�Q�m3�60�n2�;u��������ټ��V��{�[���&���.�!��Ҵ�CڪcH�xO��I� �p��ٗ�z���:�L��:k����Ay|6�u��0eiM���Hr�Lv,5��]���q�V4S6���9h�q������=��t�F.��J�V��4S����22�h��9�����9��"�E$�0�Z�G�[G���,�e�=�����$�BNZ3�r��'�+��� a�J ��k�o0�o��;K��s�� +�C�)w��q�)���c! そのまま反映した現実で、これでいいのかと 佐高信さんの新刊『許 ��m6�= ���3��H�����6��ѐ��~y^.���E�e�kX����3����x�+���\Du��7\ �C�u%��Ǒݳ�V����Ꙛ�K)�����I�y��ܔ�GP��Н�ߣ`���ű |�d��n~5�'G7D w%a��%�/��#4����*�2�����Ce�J±^���=6�1. 69 0 obj <>stream 0 「いまの戦争報道には政治的な言説や戦況に H���yTSw�oɞ����c [���5la�QIBH�ADED���2�mtFOE�.�c��}���0��8�׎�8G�Ng�����9�w���߽��� �'����0 �֠�J��b� ――先ごろ、山中恒さんの『新聞は戦争を美化せよ!-戦時国家情報機構史』が刊行されました。この本を手がかりに、戦争と新聞、そしてジャーナリズムと報道のありかたなどについて、新聞記者を長く勤められ、『兵は凶器なり一戦争と新聞1926-1935』『言論死して国ついに亡ぶ一戦争と新聞-1936-1945』(ともに社会思想社)の御著書もある前坂さんにお話しいただきたいと思います。まず、山中さんの『新聞は戦争を美化せよ!』について、お読みになった感想をお話しいただけませんか。, 前坂 この本は、史料の発掘がほとんど進んでおらず、歴史として欠落していた部分を、山中さんが丹念に史料収集されて、内閣情報局がどのような言論統制の方針を持っていたのか、その結果、新聞がどのように報道してきたか、ということを対比させて書いておられますね。いままで研究がされてこなかった情報統制の実態を山中さんの本が初めて明らかにしたという点で、その功績は大きいですね。消された資料を掘り起こしメディア統制史の決定版、名著ですね。, ――前坂さんは『兵は凶器なり』『言論死して国ついに亡ぶ』において、満州事変前夜から太平洋戦争敗戦までの、実際に言論統制を受けた新聞記者の方々に取材をされていますね。そうした方々の証言による言論統制の印象と、山中さんが『新聞は戦争を美化せよ!』で史料的に明らかにされた内閣情報局の言論統制の実態とを比べて、どのようにお感じになられましたか。, 前坂 従来、戦時下のマスメディアがどういう状況にあったか、ということについていえば、ほとんど言論の抵抗らしいものはなかったわけです。例外として5・15 事件で「福岡日日新聞」の菊竹六鼓が反軍の社説を書いたり、桐生悠々が反軍の文章を 書きました。また、正木ひろしが「近きより」で反軍の論説を書くというように、ごく例外的な少数の個人の抵抗はありましたけれども、肝心の新聞社はどうだったかというと、軍部のテロ、暴力や右翼の圧力、言論弾圧によって、書こうにも書けなくなってしまった。, 戦争中の報道は大本営発表そのままになっていった、という経緯で説明されていたわけですね。ただマスメディアがそうした経緯をたどるプロセスについては、いままでブラックボックスになっていました。その内幕が今度の山中さんの本から、はっきり見えてくる。内閣情報局がどのような情報操作をやったかという部分が、今まで史料的に隠蔽され、まったく明らかになっていなかったのですが、この本では、内閣情報局常任委員会の連中が毎回の討議において、どういう問題を話し合っていたかが、細かに具体的に紹介されていますね。, その点は、いままでまったく知られていなかった部分です。特に、一九四〇(昭和一五)年に内閣情報部から内閣情報局に変わるんですが、そこで内閣情報部の初代部長であった横溝光輝が、新聞統制において力を発揮し、統制を一挙に推し進めたわけです。そのことが、『新聞は戦争を美化せよ!』で史料的に証明されています。私はその点がいちばん興味深かったですね。, それから内閣情報局は、国家総動員法によって検閲面で報道を操作していくだけではなくて、新聞の形態そのもの、それから販売そのものを手中に収めることによって、新聞を政府の宣伝機関化していった。つまり、新聞を内閣情報局の宣伝部にしていった経過が、こと細かに書かかれています。新聞社の社史で見ると、朝日新聞が最近全四巻の立派な社史を出していますけれども、その時期の報道がどうであったのか、どのようにして新聞が統制されていったのかという戦時下報道の問題について十分に検証していません。その点を『新聞は戦争を美化せよ!』は徹底して解明していますね。, ーー新聞は書けなかったのではなく、書かなかった、書く勇気が欠如していた――言論の質そのものに対する統制とともに、太平洋戦争が始まって、一九四二年に内閣情報局は、新聞が「思想戦」の役割を担うものとして位置づけますね。特に、新聞は「紙による弾丸」であって、「ペンは銃剣」であり、新聞記者というのは「思想戦の兵士」であるという位置づけがなされるのですね。また、『戦争は新聞を美化せよ!』では、査閲報告によって新聞がどのように統制されていたかが、明らかにされていますね。前坂 査閲報告というのは、編集した紙面を持っていくまえに、その新聞が検閲に引っかからないように新聞社が部分的にチェックする、いわば思想的な校閲部を社内的に設けて、出した報告です。, 一九四一年の太平洋戦争段階で、言論統制法規の数が32ぐらいあるわけですね。膨大な数の法規でがんじがらめになっており、ですから、記者の書いた文章のどの部分がどの法律に引っかかるかどうかということは、整理部の人間も、書いた記者もはっきり分らない状態です。それを部内の人間にチェックしてもらい、それから実際に内閣情報局なり大本営の報道部に持って行くわけです。だから、内部の自己検閲の部署ですね。, ――戦争の激化にともなって、用紙統制などで新聞のページ数も減っていきます。戦争末期にはぺラ1枚の2ページになるわけですが、紙面のほとんどを大本営発表の記事が占めるなかで、記者たちはどうしていたのでしょうか。前坂 記者の多くも召集され出征しているわけですが、「毎日新聞」で起きた、本土決戦を竹槍主義で防衛しようという陸軍のアナクロニズムの作戦を批判した記事で有名な竹槍事件でも、書いた新名丈夫記者が懲罰的に応召され、東条英機首相は「毎日」の廃刊を強く迫ります。結局、毎日の廃刊は何とかまぬがれますが、一度、兵役免除になっていた三七歳の新名記者は再び二等兵で香川の部隊に入れられて、まきぞえをくって再召集された中年二等兵250人は全員硫黄島に送られ玉砕しています。, 新名記者は何とか除隊して難を逃れましたが……。だから、新聞の編集に従事している人間は、太平洋戦争中は一挙に減っています。戦争末期の一九四四(昭和一九)、四五(昭和二〇)年頃になると、新聞も二ページですから、各県版もほとんどないに等しい状態です。満州事変や日中戦争の時期は、まだ朝夕刊20頁ほどありましたけれども、それが激減するのは、ただ紙の問題だけではなくて、戦時下の物資欠乏にも原因がある。そして、新聞を殺すには記事よりも紙によって締め上げる方が簡単ですから、生殺与奪の源として紙の統制に乗り出してきたのです。そして、新聞だけではなくて、「中央公論」などの雑誌も昭和19年頃には廃刊になります。, 確かに、軍部のテロや言論への暴力に震え上がって書けなかったのだというのが、これまでの戦時中における新聞人の弁明、言い訳だったわけです。しかし実際に、書けなくなったのがどの段階なのか、満州事変の段階なのか、二・二六事件の段階なのか。, 太平洋戦争が始まった段階では、一切合切が戦時立法によって統制され、実際百パーセント書けないようになりますが、まだ自由のあった時期、たとえば二・二六事件の頃は書ける自由がまだあったんですね。それなのに、暴力やテロ、そして軍部におびえて、書けるのに書かなかったのではないか、書いたらやられるのではないかと恐れて過剰に自己規制して、自己萎縮して書かなかったのではないか。そうしたジャーナリズムの自己規制の方こそ問題ではないのかと私は思います。, 特に二・二六事件の時には、「時事新報」は軍部批判を半年間も続けていたわけですね。けれども、恐れていた軍、右翼からの暴力や恫喝、テロはなかった。そのことから考えれば、暴力を過度に恐れて新聞は自己規制を強くやり過ぎたのではないか。書けなかったと弁明しているけれども、実際は書かなかったのではないか、書く勇気が欠けていたのではないか、というのが、私が『兵は凶器なり』『言論死して国ついに亡ぷ』の二冊でいちばん言いたかったことなんです。, 一方、経営面での新聞統制について見ると、政府の一県一紙の方針によって、全国で1422紙もあった新聞を強引に新聞統合を進めて一県一紙にし、大都市の場合も現在と同じような朝・毎・読・産経という四つの新聞に統合して、一挙に五五紙に減って、現在のような新聞体制ができたわけですね。, つまり、現在ある新聞は、太平洋戦争中の国家総動員法による新聞統制の結果なんですね。そして新聞だけではなく、ほかの業界の場合も、国家総動員法によって、政府の方針に基づき企業の合併が集中的に行われたわけです。, ――新聞の自己規制の問題についてですが、前坂さんが本のなかで書いておられるように、先ほど言われた菊竹六穀の「福岡日日新聞」にしても、桐生悠々のいた「信濃毎日新聞」にしても、全国紙に比べれば規模的には一〇分の一ぐらいの小ささであったわけですね。しかも地域により密着した、地域の事情がもろに影響する地方紙で言論の主張ができたことが、なぜ全国紙でできなかったのか。その点は依然として大きな問題であると思うのですが、前坂さんはどうお考えですか。, その点で、中小の新聞が連合して大新聞に対抗するために、内閣情報局の統制をうまく利用したという側面があります。同盟通信の吉野伊之助らがしかけて、弱小の新聞を守るために、より言論統制を強化して全国的な大新聞の手足を経営的にも縛っていったという構図になっていきます。そういう中で、菊竹六鼓や桐生悠々があそこまではっきりと軍部批判できたのに、なぜ「朝日新聞」はできなかったのか。, 販売も含めて何千人の人間が働いている新聞社の経営者として、真正面から軍部を批判することは、場合によっては会社を潰されるかもしれない。それを避けるために、社員を路頭に迷わすわけにはいかないという経営の論理、会社の自己防衛がジャーナリズムの使命よりも最優先されて、ああいう事態になったという弁明をしているわけですね。, 当時、メディアが手を組んで一斉に言論の放列を敷いたならば、軍部はそれほど恐い存在ではなかったのだということ、新聞が手を組めば、戦争を食い止めることも不可能ではなかったということを、戦後、緒方竹虎は反省の弁として述べているわけですね。しかし、戦後の状況を見ても、新聞がじゃあ手を組めたかといえば、そういう状況には無いわけです。このあたりを見ても、ジャーナリズムとしての反省の原点が、戦後も克服されていませんね。考えてみると、十五年戦争では国内外で数百万人が亡くなっていますが、ジャーナリストで真実を報道するために命を賭して戦って亡くなったという人間は、残念ながら一人もいないんです。ジャーナリズムの批判の剣はついにヤキが入れられず、ほんとうの真剣になることができなかった。, 出版人では、横浜事件で逮捕され、獄中で拷問されて死んだ人間はいましたけれども、残念ながら新聞人には、身体を張ってまで抵抗した人間はいなかったですね。また、新聞の戦争責任について、戦後それを反省し責任をとって辞めた人も少数しかいない現状だったんです。, ――新聞は戦争によって発展すると言われましたが、大量の従軍記者を派遣し、技術的にも南京事件で写真電送がはじめて登場するわけですね。そうしたかたちで、新聞において速報性が主軸となって、開戦スクープのように、戦争勃発が部数拡大の絶好のチャンスとなっていったわけですね。そして、前坂さんが本のなかで書いておられるように、客観報道が既成事実を次々と追認していくという格好になっていくわけですね。こうした構図は、一貫してずっと今まで続いているように思えるのですが。, ただ、満州事変の場合でも、実際に現地を取材した記者のなかには、これは関東軍のやった謀略であるという情報もつかんでいた人たちもいたわけですね。しかし、そのことを再検証していくという過程がシャットアウトされて、全て戦況報道に引きずられていく。それは、昔も今も同じジャーナリズムの変わらぬ姿ですね。だから、気がついてみると、軍部と同じく、即容認して既成事実を積み上げていって、政府も尻拭いできない状態でどんどん先へ行ってしまうという事態になる。, 結局、ジャーナリズムが報道することによって、戦争がどんどん既成事実化されていくわけですね。自らの報道で自分の首をしめていく自縛に陥ってしまう。そこで、真実がどうだったのかという検証が全然なされていなくて、戦争責任の問題を考える場合でも、ジャーナリズム自体が戦争中の報道はどうだったのかという検証をするという作業もまったくやっていないわけです。, そういうなかで、山中さんの本によって、いままで秘密にされていた、戦時報道がどうであったのかということが史料的に明らかにされたわけですね。速報性と、事実の究明にはタイムラグ、時間がかかるという矛盾をどう解決するのか。これはジャーナリズムの持つ宿命でもありますが、速報によってどんどん報道されたものをもう一度フィードバックして、再検証していくということがまったくなされていない。その結果、ジャーナリズムは真実を覆い隠して事実は死んでいく。ジャーナリズムが自らを殺していくということになったわけですね。, そういうことでいえば、ジャーナリズムの持つ宿命というか、検証しながら報道するというジャーナリストが、戦争中もいなかったということですね。「書けなかったのではなく、書かなかった」のですが、それが、軍部の圧力で書けなかったという弁明のもとに、自らも言論統制下の被害者ずらして戦争責任を回避するという立場を、ジャーナリズムは一貫して取ってきたわけです。, そうした、書けなかったのではなく書かなかったという戦争中の自己規制は、昭和天皇が「逝去」する前段階での、本当は脳死している状態が続いていたわけですけれども、刻々と病状を報道したジャーナリズムの雰囲気でも体験されたことです。つまり、全体的な雰囲気のもとで言論が自己萎橋、自己規制して沈黙し、黙認して流されてしまう。戦争の場合も、ズルズルと日中戦争のドロ沼に入り、勝ち目のない戦争で大変なことになるといった危機感、問題意識があっても、政府と特に軍関係者は、ヒトラーがヨーロッパで破竹の勢いで進撃している段階で、そのバスに乗り遅れるなとばかり三国同盟の方向に走っていくわけですね。, そして、日中戦争を続けながら、なおかつ日米戦争を始めるという非常識な事態に、自暴自棄、思考停止に陥って無謀にも飛び込んでいくわけです。新聞記者のなかでも、ヨーロッパやアメリカで実際に特派員として取材して、国力の差からいってとても戦争にならないということを知っていた者も、戦争熱の充満した雰囲気のなかで、いっしょに巻き込まれ、流されていく。自分の内部では批判を持ちながらも、大勢に押し流されていくというのが大半だったわけですね。, それとともに、情報局そのものにも新聞社のトップの人々が入っていますし、まさに緒方竹虎などは一九四四(昭和一九)年に内閣情報局総裁になっています。つまり、戦争になったら新聞が協力するのは当たり前で、いざ太平洋戦争になったら、新聞人も言論報国するのは当たり前だというのは、当時の新聞人の共通した認識だったわけですね。, 前坂 情報局がやったことの一つとして、いろんな新聞社のトップや幹部を集めて開かれた懇談というものがあります。そして、現在の記者クラブの前身である記者会という強固な組織をつくったということですね。, それから、先ほど言いましたが、たくさんあった新聞を一県一紙、全国紙を四つにしていったわけです。こうしてできた体制、それを「一九四〇年体制」ということができると思いますが、それがいまも日本のジャーナリズムにおいて変わっていないわけですね。, 確かに、戦後は新聞に対する統制はなくなりましたけれども、そのときのシステムが現在の新聞にも続いていますし、当時のように内閣情報局で懇談してこれは書いていい、これは書いてはいけないといった統制はしていませんが、記者クラブにおけるソフトな統制というものは逆に強まって、そういう意味では枠組みは変わっていないわけですね。, 特に、いまの記者クラブの問題ですけれども、記者クラブが官庁に入っているという構造そのものは、戦中につくられたものなんですね。内閣情報局によって、それまでのジャーナリズムの競争体制が国家の方針に沿ったものになる。経営的に見ても、一県一紙になって、各地方紙は経営的には安定して独占、寡占状態になるわけです。全国紙の場合でも、朝・毎・読・産経といった新聞がカルテルを結ぶという状態ですね。そして、先ほども言いましたが、取材のシステムの場合でも、記者クラブが広報の窓口となって、役所が出している画一的な情報操作されたニュースをそのまま伝えていく。, そうした情報の流れの仕組みや体制は、戦時中につくられたものがいままで六〇年間以上も続いているわけです。だから、本当の意味での自由な報道が行われていないということですね。, ――戦時体制と記者クラブの結びつきという問題は、現在の記者クラブ制度と官庁・行政の発表取材のありよう、そしてそこで事実を伝えるということの意味を考える上で不可欠な論点だというわけですね。やはり、そこには戦争とジャーナリズムという大きな問題が横たわっていますし、現在のジャーナリズムのあり方を考える場合も、戦争というものが現在もなお大きな鍵を握っているということが握っているわけですね。, 前坂 新聞だけでなく、日本の場合には新聞がテレビ局をつくりましたから、今のテレビ局の場合、全部新聞の系列がありますね。それから、地方紙の場合も系列のテレビ局を持っています。, そういう意味では、テレビというマスコミの組織の体系も、一貫して「一九四〇年体制」によって築かれた流れの上にあるわけです。そこでは、競争の原理はまったく認められていなくて、新聞の場合には、戦後は統制する官庁がなくなりましたけれども、放送の場合には郵政省が電波の希少性というかたちで統制して、内容に関しても放送法によって規制していますから、戦時体制は放送の面ではより強く残っています。新聞の場合でも、統制はされていないといっても、システム的には記者クラブの成立が原点になっていますから、そういう意味では戦時体制が続いているわけです。, 前坂 それは、大正末期から昭和の初めにかけてのことです。各家庭が新聞を取り、部数的にも百万部を超えるようになって、全国紙の体制を築いていくのが、昭和初め頃です。そして、満州事変の段階で、はじめてラジオが登場してきます。, 新聞は、昭和初めから日中戦争までに、読売新聞は東京だけで百数十万部というように、この十年間で部数が一挙に増えていきます。その段階で、新聞において言論よりも報道、速報の方が重視されていく。そして、その分水嶺が大正末期で、ちょうど関東大震災が大きな契機となるわけですね。, ――公正な報道や客観報道といわれるものも、部数の拡大と報道の重視によって要求されてくるわけですね。部数の拡大によって、主張よりもバランスのとれた、公正な報道が要求されるようになるのだと思いますが、戦争と新聞の客観報道との関係では、大枠として考えれば、戦争それ事態が逸脱、偏向しているにもかかわらず、それを客観報道するという、大所高所から見れば奇妙な構造があるということなのですね。, 前坂さんは本のなかで、戦争への暴走にジャーナリズムはどの時点で歯止めをかけることができたのか、と問うておられますけれども、客観報道と、起こっている事態の本質を見抜くという意味でのジャーナリストの批判精神とのかねあいを、前坂さんはどう考えておられますか。, 前坂 確かに、戦時下の新聞の紙面を見ても、国民の間に熱狂的な天皇制イデオロギーがあり、排外熱の昂揚などは、それから軍部や内閣情報局の指導に沿ったものですけれども、底流としてあるのは反中国感情、中国への蔑視、民族的な偏見、エスノセントイズムですね。, それを他者の目を通してグローバルに、冷静に見ていくジャーナリズムの目が、紙面からは感じられません。中国側から日本を見ていくというジャーナリズムの公正さ、客観的な視点が全く欠落していますね。そうした愛国主義的な報道を見れば、ジャーナリストのなかにも盲目的なナショナリズムが満ちていたのかもしれません。客観的に見る目、公平、多角的な視点が、残念ながらその当時の論調そのものに少ないですね。, ――現在のジャーナリズムの取材体制のなかで、速報性ということと検証的なフィードバックを両立させていくということは、やはり至難の技なのでしょうか。朝刊制作帯と夕刊制作帯という時間的制約のもと、締め切り前に記事を突っ込まなければならないという日々のなかで、検証と事態の本質を見抜くジャーナリストの批判精神との兼ね合いはどうなのか。, とりわけ、新聞が戦争を美化してしまった事実が決して特殊なものではなく、現在のジャーナリズムの枠組みを規定している記者クラブ制度や速報性を見ても現に存在しているということを、『新聞は戦争を美化せよ!』は問い掛けているように思います。そのことは決して六〇年前の戦時体制下の特殊な出来事でばなく、先ほど話されたように、昭和天皇の下血報道においても再現されたわけですね。そうした現在のジャ―ナリズムに通底する問題について、前坂さんはどうお考えですか。, いわば、犬が公園で木切れを、左に投げられると喜んで尻っぽをふりながら取りに行って拾ってくる、すると今度は右に投げられる。シッボを振って、また急いで拾って喜んで返ってくる。次々に発生するニュースとメディアの関係は、この「ペットドッグ(愛犬)」と主人の関係です。, 大切なのは投げられたもの、その意図何なのかを見分けること。その本質を解明すべきなのに、くり返して素早くニュースを持ってくるだけの愛犬です。メディアは権力を監視する「ウォッチドッグ(番犬)」であるという、本来の意味に立ち返るべきですし、メディアがアジェンダセッティング(議題設定機能)を取り戻すべきですね。, 記者クラブという統制されたニュース製造工場の《鎖につながれた巨人》から、自由になるべきです。そして、いま求められているいちばん大切なことは、速報性の繰り返しだけでは真実に迫れないということを踏まえて、時間をおいてフィードバックして事実を徹底して追及、検証することですね。, 前坂 九〇年代に入って起きた湾岸戦争の場合には、最初から情報のコントロールがなされて、戦争の報道の前に、関係者を一切現地に行かせない『プール』取材で、取材ができなかったわけですね。報道される内容も、米国防省によって限定されていますし、速報で真実を伝えようとしても最初から無理だったわけです。そして、実際にイラクでどのくらいの人間が死んだのか、戦争の実態はどういうものであったのかということについては、その後も報道されていないわけです。, ピンポイント爆撃で軍事施設だけを破壊する「クリーンな戦争」であるということが、テレビで繰り返し報道されましたけれども、新聞の場合は、立ち止まって真相に迫る武器を持っているわけですから、時間をおいて、速報性に身を任せるのではなくて、事実をもう一度追跡して、検証していくという作業を、もっと徹底してやるべきだと思いますね。それから、情報をコントロールする側は、山中さんの『新聞は戦争を美化せよ!』を見ても非常に巧妙にやっていることが明らかにされているわけですから、読み手は紙面だけでは全然それがわかりません。ですから、情報をコントロールする側のさらに上に行くようなジャーナリズムの文法を持つためには、ジャーナリズムが検証する力を持たなければならない。そうしないと、同じように速報主義と発表でやっていては、情報をコントロールされているところから結局のところ脱出できませんね。, つまり、過去10 年の経済対策、公共事業優先緊急対策がどのように使われ、効果がまったく出ていないその対策の中味を徹底して検証すること、どのような効果と目的を果たしたのか、フィードバックして十二分に検証して報道することがなされていない。大本営発表の「勝った、勝った」というウソの大戦果の報道と全く同じことをくり返しているわけで、こうした「状況報道」よりも、鋭く本質に迫っていく、速報性はテレビに譲って事実の真偽をチェックしていく「本質報道」こそが、求められていると思いますね。(了), -