感想をどうぞ。私は、 駒ちゃんと義昭の、、、 1, pp. ――松田先生が書かれた『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』を読むと、アメリカが戦後の日本に対し、何をどうコントロールしようとしたのか、そのプロセスがよくわかります。知識人へのアプローチや教育などの「文化戦略」によって、うまく統治をしていった。これを研究テーマに選ばれた動機は何だったのでしょうか。, そのときに、「私たちは何のためにアメリカを研究しているんだろう」と、大変なショックをうけた。それが80年代に強烈にインプットされました。, 私は、アメリカの研究生活をとおして〈研究者たるもの、今がたとえ望ましい状況であっても、よりよい状況を醸成しようとする精神を養成する必要がある〉と若いときから言われてきました。それを日本のアメリカ研究者たちは実践してないんですね。「なぜ口をつぐむのか?」と考えたときに、深い根があるように思えました。それを研究テーマにすえたとき、アメリカによる「ソフト・パワー」に屈し、また一方では、それに迎合してしまった日本の対米依存体質が見えてきました。, ――欧米のジャーナリストたちは、経済力ばかり巨大化して国際的な分野では積極的な発言をしない日本をとらえて、「口のしびれた巨人」なんて言っていました。, 〈日米関係の基底には、どうも日本のアメリカに対する甘えの姿勢が流れており、そのことが対米依存や、逆に対米反発を招いているように思われる。1970年代の後半より、日米関係史の文脈が現実に変わりつつあるのに、意識の構造はあまり変わりないようである〉, 先輩の少数の先生方は、おかしいおかしいと感じていたわけです。私の本にこれまでになかった利点があるとするならば、それを実証的に裏付けたということですね。, 「ソフト・パワー」という言葉は、「人や制度への敬愛=文化力」によって、相手に自分の望むような行動をとらせることです。しかし、文化力だけでは強制力がなく、たんなる説得にしかならない。ソフト・パワーだけでは人の行動を望む方向に変えることはできないのです。, パワーというのは、したくないことを相手にさせる能力です。ソフト・パワーの役割は、軍事・経済などのハード面を補完することですね。, 軍事力、経済力は有無を言わさぬ強制力がある。しかし、それにつきものの抵抗を抑えるために、ソフト・パワーとしての文化力があるのです。, つまり、軍事力・経済力・文化力、この三つがそろって、はじめてパワーが機能するのです。, アメリカは覇権国家となるために、このソフト・パワーを利用して日本国内に親米派の知識人をつくり、彼らに一般国民に対しアメリカについて親和感を抱かせること、そして冷戦における支援者となってもらうことを目的としました。, 日米文化交流事業として、日本の知識人によるアメリカ研究振興、フルブライト交流計画、国際文化会館の創設、東京大学とスタンフォード大学共催による『アメリカ研究セミナー』などが実施されました。アメリカ研究者にたいして、合衆国から潤沢な資金援助がされたのですが、それが後々大きな禍根を残すことになります。, ――戦後の対日ソフト・パワー戦略には、国務長官のジョン・フォスター・ダレスの存在が大きいと言われていますね。, 51年のサンフランシスコ講和条約のときには、すでにそれを十分知っていたので、戦後日本に対して早速ソフト・パワーを使おうとしたわけです。, 1920年初頭は、戦争の影響からたちあがった栄光の20年代と言われるだけあって、世界経済が浮揚していました。, その範囲において、日本とアメリカもワシントン体制という友好関係にあって、一緒に中国を開発しましょうということだった。, 20年代前半の、アメリカによる日本の単独行動を抑制するメカニズムはなんだったかいうと、経済的なテコ、資本の輸出、そして技術導入であり、幣原喜重郎はじめとする日本の指導者とアメリカの指導者の世界観が一致していました。リベラル・インターナショナリズム(自由主義的国際主義)です。しかし、その後のウォール街の株価大暴落、それに続く1931年の満洲事変を皮切りに、日米関係は崩壊していきます。, この間の日米関係の成功と失敗、そしてその原因を考えた結果、第二次大戦後においては、1920年代にはあまり意識していなかった文化の力をフルに動員して、親米派をつくることを重要視しました。, そしてダレスは、「脱亜入欧」という明治維新以来の、西欧世界の仲間入りをしたいという日本国民の願望を見抜いていました。そこで「アングロ・サクソン民族のエリート・クラブ」の一員として、日本を平等に、正当に扱うことにすれば、日本を“抱き込む”ことができると考えていたのです。, ――日米文化交流事業において、重要な役割を果たしてきた人物に、ジョン・D・ロックフェラー三世がいます。彼の思想と役割についてお聞きしたいのですが。, そこで、東アジアに造詣が深く、教育・文化にも強い関心をもつ慈善家として広く知られていたロックフェラーに白羽の矢がたったのです。その意味でダレスとロックフェラーは同じ価値観を持っているんですね。, ダレスは51年、サンフランシスコ講和条約の締結のため来日する際、ロックフェラーを文化関係の責任者として「ダレス講和使節団」に入れています。, しかし、ロックフェラーは、国家戦略による文化交流がはらむ潜在的に危険な問題、「文化帝国主義」の危険性に気づき、慎重に行動をします。, その結果、文化交流の原則として、「双方向性」ということを唱えました。日本文化には他国に提供しうるものがあるのだから、「双方向性」の原則は「文化帝国主義」の批判からアメリカを守れるだろうとの思惑もありました。, また、彼は知識人へのアプローチというものを強調します。権威主義の強い日本において、一般国民へ影響を及ぼすには、指導者である知識人を通すことが効果的であるという理由からでした。, 私のこの本の英訳タイトルは「Soft Power and Its Perils(ソフト・パワーとその危険性)」なんです。落とし穴があるということですね。意図的にそうしているわけではなく、知らず知らずにアメリカ文化の強大な引力圏に引き寄せられてしまい、結果として依存体質に陥ってしまう。それに日本人もアメリカ人も気づいていなかった。, ソフト・パワー自体は意図的に日本人を骨抜きにしようとしたわけではありません。それはダレスもロックフェラーも同じです。というのも、アメリカ側が相手にしたのは、「親米派」であり、かつ「自らの価値体系や行動様式を自分の手で構築」できる知識人でした。, しかし、受け手側の日本の留学生たちが、アメリカのソフト・パワーとしての「資金や留学の機会」を、自分達の帰国後の社会的ポジション獲得や権威づけに使った。彼らは「親米派」であるけれども、「精神的に弱々しい、権力を受容する」タイプの日本人となっていった。それは資金提供者としてのアメリカが意図したものとは、微妙にズレがあります。, そして、親米派養成のため費やされた「カネ」は、日本の研究者のアメリカ批判の抑止につながり、それが冒頭にお話をした、ジャパン・バッシングの際のアメリカ研究者の態度にも伝統として表れてしまった。, それは、日本のアメリカ研究にゆがんだ影響を与えただけでなく、米国の権威・資金への依存体質を生み出してしまいました。, ――吉田茂をはじめ、戦後の日本の政治家がソフト・パワーをうまく利用した面もありますか?, 日本にとっても「寄らば大樹の陰」で、アメリカから甘い汁を吸って、そこで発展をしていくという方法は魅力的だったでしょう。, 戦後の日米安保体制というのは、アメリカのヘゲモニーのもとで、アメリカのエリートの指導者と、吉田茂のようなエリートの指導者の間の共同作業によって築かれたわけです。戦後日本の政治、経済、社会、文化の幅広い領域に及んで、日本社会全体を支配する巨大な秩序界でありました。, 言い換えれば、日本国民の圧倒的多数がそのもとに生まれ、その殆どが好むと好まざるとに関わらず、その中で生きていかなければならない、言わば、「鉄の檻」のようなものです。そして、アメリカを主たる権威の源とするこの巨大な秩序界は、国民の中から、日米安保に必要な人間をつくり育てます。, そのことは、知識人を例にとると分かりやすい。もし、ある知識人が、その規範に適応できない、あるいは適応しようとしない場合、さらにはそれに反して行動する場合は、その知識人は正当な思想領域から逸脱者と規定され、彼の政治的行動を極小化するために、知的共同体から追放されるか、あるいは知的集団の周辺に追いやられ、遅かれ早かれ淘汰されることになります。, この巨大な秩序界は、淘汰の過程を通して、国民の中から、日米安保体制維持に必要な人間をつくり育ててきただけでなく、多くの知識人はアメリカの権威に強く依存するようになった。これが私の基本的な視点なんです。, 東大と京大を二大軸とする関東と関西の対立、さらには同じ関西軸の中の京大と同志社の対立、また京大と同志社双方による関西軸からの立命館大学の放逐など、大学間交流の進む現在の状況からは、考えられない事態が起こった。, このようなセクト主義は、積年の日本アカデミズムの学閥による閉鎖的人事が生み出したものですが、アメリカ側は資金援助を切り札にして、やがてこのセクト主義体制を新たに再編するかたちで、日本の大学の中に自らのソフト・パワーの受け入れ体制を作ってしまいますね。, ――要は助成金の“ぶんどり合戦”を演じたのですね。東大の南原繁など、京都勢を牽制して「特許の侵害行為」とまで言っている。, 戦後の日米体制はベストなのか。日本が世界のなかで、尊敬され、かつ生きていくためには、どういう日米関係が望ましいのか。, 日本の知識人が、構想力を発揮して提示するということと、それがアメリカに100%無修正で受け入れられるかは、別です。国対国の力関係がありますから。ものによってはアメリカはつぶしに来ると思います、あの国はそういう厳しい面をもった国です。, ――冷戦が崩壊して、日米同盟も大きく揺らいできました。日本の自立を確保しつつ、同盟を実のあるものにすることが求められているのでしょう。, ――霞ヶ関の官僚をはじめとする、日本からのエリート留学生は指導教授から言われるそうです。「お前は日本という小さな窓でしか世界を見ていない。それが日本の研究者のウィークポイントだ」と。アメリカというグローバルな視野をもつ国と、日本という島国の視野をどう重ね合わせるか、ということでしょうか。, 一つは、彼らはアメリカに行ったとしても、図書館にこもりきりになりますから、実際のアメリカは知らない。市井の人と交流せずに、担当教授とばかり交流する。そして二つ目、彼ら官僚をアメリカに呼ぶのは、日米関係を良好にしたいという人たちです。ということは、彼らアメリカ側と日本からの留学生である官僚が、権力を補強し合っているとも言える。そういう人たちが、アメリカの日本研究者であって、日本のアメリカ研究者だという事です。, だから、カリフォルニアなどの太平洋岸地域や中西部の人たちの気持ちっていうのは、日本にあまり伝わってこないし、日米関係に反映されないんです。「実際のアメリカと、伝わってくるアメリカが違う」というのは当然のことなんです。そういう非常に歪んだ研究なんですね。, 彼らは、日本人の親切さ、きめ細かい配慮、清潔さ、組織力など、日本のよさを十分に、そして正確に把握して評価しています。, ところが日本の論壇の一部の人たちは、自国のことを叩くばっかりで、いい所に言及しない。マゾヒズムか知りませんけど。「いい所はいい」と言って我々は自信をつけるべきです。, それと、日本に来たことがある人は、日本の良さを十分にわかっているんですが、そういう人たちはアメリカの人口の1%にもなりません。そうではない99%の人たちは、日本のことを知りたいと思っている。敗戦後、なぜあんなに短期間で成功したのか、犯罪率がなぜあんなに低いのか、理由を知りたいと思っている。生活の背景にある日本人の考え方、価値を知りたいと思っています。日本の知識人はそのメッセージを伝えていません、怠慢と言えますね。, そして日本政府は、東部だけでなく、中西部や山岳部にも留学生を派遣して、日本のことをもっと知らしめれば、今のようなジャパン・パッシング、ジャパン・バッシングは起きないと思います。, 一方で日本人は、外にむかって文化を発信していこう、という姿勢ではなく、外からいろんな文化を吸収して自分たちで発展させよう、という内向きのベクトルです。しかしこれからは発信をしていかなければ。, それにはアメリカ東部の大学だけに留学し、交流するだけでは不十分なんです。「ギアチェンジ」が必要ですね。, ――以前、江藤淳さんが『閉された言語空間』(文藝春秋)という本でアメリカによる検閲の実態を書かれましたが、このときの日本の論壇の反応は、非常にクールでした。むしろ「無視しよう」という空気だった。「アメリカの検閲によって、大した被害を受けていないのに、なぜ江藤はそんな本を出すのか?」と。占領期の問題について先取りしたような形でしたが、今日ようやくその当時のことが注目されるようになりました。松田先生の本の版元である岩波書店が『占領期雑誌資料体系』を刊行しているのも、そのいい例ですね。, ドイツのゲッベルスに代表される、中南米における反米プロパガンダに対抗するという理由でした。それは真珠湾攻撃後の、対日プロパガンダでも同様です。, しかし、これは例外的な特別措置で、戦争が終われば解除するということだったのに、45年からアメリカとソ連との関係が険悪になってくると、ソ連が行った心理戦争に対抗するために、カウンター・プロパガンダとして、アメリカも文化政策というものを本格化してくるわけです。, 少なくとも第二次世界大戦までは、政府主導の文化政策というのはなかったんです。それまでは、民間の宣教師や、医師、技師たちに任せていた。それを国務省が中心となって、民間の活動を補助するという形で政府が介入するようになりました。, 日本の場合、日本の1945年から46年にかけて、アメリカの国家目標と日本の国家目標が一致したんです。それは何かというと、「非軍事化」「民主化」ですね。二度と日本がアメリカの脅威とならないために、構造を変えていこう、心の中も変えていこうとした。そのためには、外から入ってくるアメリカやGHQに批判的なプロパガンダ、これをコントロールしようとした。民主化という大義のためにも、これは当然だとしました。そして第二に、冷戦が始まったことで、政府が情報をコントロールする責任があるとしました。, 47年から48年、「逆コース」という言葉が出てきます。それまでは日本の民主化、社会構造の再構築化、という方向でやってきたけれども、四七年に入ると、冷戦という新しい世界戦略が出てきます。民主化がスローダウンして、それ以後はイデオロギー戦争に入っていくわけですね。そしてアメリカは二極化する世界で、日本の技術力と工業力を、絶対に失うことはできないと考えました。「世界の将来は、西ドイツと日本をその支配下に置けるかどうかにかかっている」というダレスの言葉も残っている通り、共産主義との戦いに勝つための鍵は、ドイツと日本にあると考えた。, そして、アメリカは日本に民主主義の思想を伝播させるために、「非民主的な」検閲でもってそれをコントロールしました。そこにアメリカの自己矛盾がある。しかし、第一の目標である非軍事化、民主化のために押し通したのだと考えています。, ――検閲の過程をみると、日本の伝統的なものの考え方を必要以上に壊してしまったんじゃないか。これはソフト・パワーの負の側面ではないでしょうか?「骨抜きにするつもりはなかった」かもしれないが、後遺症は残った。かなり民族的な損失を被ったんじゃないのでしょうか?, アメリカが日本と戦争するぞと政策転換をしたときも、日本が1938年の11月に、日・満・支(国民政府)による「東亜新秩序建設」というブロック経済圏構想を打ち出したら、中国での機会均等を補償する九ヵ国条約違反だと言い出したりして、相手がこう出れば自分はこう出る、といったように、ギアをガチャンと変えて、その後はずっとそのまま進んでいきます。, 日本の占領政策の場合でも、日本をこう変えようと決めたら、そのようなギアをガチャンと入れてしまって、おし進める。, 「自由」という言葉には、活動の自由、労働の自由、財産形成の自由……と、よい面もありますが、一方で財産を手に入れた途端に他者に奪われてしまうのではないかという、不安感、他者への不信感など負の面も内包します。自由=略奪、自由=差別、自由=排除・武力行使……。これが近代の価値観には同居しているわけです。これをいかに超克するかというのが問題なわけです。, 戦後、日本のアメリカ研究の主流は、日本の社会を民主化するというニーズから、アメリカの近代の価値がもっているいい面、明るいところを取り入れようとした。しかし、アメリカの価値というのは、いいとこ取りができない。善と悪、陰と陽、二つの側面をみながら、どうアメリカ像を構築して伝えるかが、我々の仕事なんです。, また、ピューリタンたちはイギリスからアメリカへ渡ってきて、丘の上に町をつくるわけです。そして「ユートピアをつくった」という思いをもった。でも、まわりにはインディアンもいるし、イギリス以外からも人が流入してくる。いつなんどき、油断をしたらこのユートピアを崩されてしまうかもしれないという「包囲心理」がありました。自由なんだけれど、敵が包囲している、だから常に軍事力でもって守るということになる。その近代の価値が持っている矛盾が、今もずっと続いています。, 戦後から91年のソ連の崩壊までは、アメリカはコミュニズムという敵をつくりました。そして今度は、アルカイダというテロリストをつくった。そして次は……。そういう心理構造がアメリカにはある。, 私は、あなたたちにはそういう心理構造がある、だからもっとリラックスをして自由になってほしい、ということを伝えたいんですね。それが研究テーマのひとつでもある。, 膨張がストップするというのは、世界中に社会主義、共産主義の国ができるということです。アメリカのカネ・モノ・サービスが自由に入っていける空間があるうちは、アメリカは助かるんですね。戦後の日本を西側に入れたのも、当然ですよね。, 中国共産党も膨張していますが、基礎になっている経済発展は、共産党が外国企業に安い労働力と土地を提供するブローカー業の所産であり、内実は脆弱で、国内矛盾もいっぱい抱えています。, しかしアメリカの場合は、膨張主義の歴史が長いですね。バックボーンにはピューリタニズムという宗教的なものもありますし、確信的です。, 日本人は戦後、アメリカの占領政策に対して、柔道ではありませんが、押したり引いたりしてうまく対応してきました。冷戦構造の中で、アメリカという支配者をうまく使ったといってよい。そして昨今では、アメリカの「枠」や「檻」が役に立たなくなってきて、どうしようかとは迷っているのだけれど、ズルズルと現在まで来てしまっている。, ――湾岸戦争のとき、日本の海上自衛隊の掃海艇をアメリカがとても評価しましたね。他の国はどこもできないきめ細かい技術を、日本の海上自衛隊は持っていますから。. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。, ベランダで物想いの「紀子さま」 皇籍離脱も口にされた「秋篠宮さま」 婚約までの3年余, 1986年秋の「秋篠宮さま・紀子さま」 20歳の夜、目白のスナックで直撃したお答えは, 宮崎美子、40年ぶり写真集が大ヒット、過去のケースと比較して改めて分かった“偉業”, 英国で「末席」を用意された天皇陛下を「最前列」に呼び寄せた人物とは? 天皇陛下が尊敬される理由, 木嶋佳苗、座間9人殺害事件の犯人が住んでいた間取りの不思議な共通点 事故物件芸人とイヤミス作家が語る、ヤバい部屋, 君臨の現代的意義を求めて――『立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』, 非行少年たちはなぜケーキを3等分にできないのか “認知機能”に問題を抱えた子どもたちの実態, ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧は. 第30回【朝倉義景を討て】 なんで幕臣の明智光秀が戦に参加するんですか?, 40代で300万円の貯金ってすごいんですか?先日、同棲してる彼氏が『親が300万円の貯金があるからスポーツカー(WRX)買うらしい』と言ってきました。それも自慢げに。 All rights reserved. 10-22, 1983 特別講演 アメリカ看護の変遷と現状 特に戦後日本への影響 ライダー 玲 子 The Trends and the Present States of Nursing in America Nurs. 【D】菜種, 西鋭夫ってどんな人?… 妻はたまに職場の同僚と仕事終わりに食事や飲み会などに行ってます。私は行くことや帰りが多少遅くなることは気にしておりません。 Copyright(C)The Matsushita Institute of Government and Management. みなさんいかがでしたでしょうか? 鬼滅の刃コラボの炭治郎を変身させたいんですが元に戻ってしまいます。 「日本には行き過ぎた愛国主義者が存在している」─米歴史学会の重鎮ジョン・ダワー先生の「ご託宣」です。それゆえに「日本悪玉論」を展開されておられる…。. 【C】朝鮮人参 十兵衛さん、どんなに頑張っても損な役回りですよね。, 『麒麟がくる』で幕府は織田VS朝倉の戦には関与しないのに、 WRXなんか買ったら破産しませんかね…笑, バイデンが大統領になるの日本が終わる。。ってみんないってますがなんでおわるんですか?, 嵐大野智がファンよりもシングルマザーを選んだ理由は何ですか? アメリカ占領軍によっておこなわれた戦後改革は、日本にどんな影響を与えたんですか? 一言では難しいですね。経済改革の3つに限定して、回答しますね。財閥の解体は、当初、戦勝国の敗戦国に対する報 … る。しかし、戦後の日本がアメリカに強く影響さ れ、かつアメリカの文化を受容し歩んできたとし ても、アメリカの文化のありのまますべてを受容 したと言えるのであろうか。言い替えるならば、 アメリカへのイメージが実在するありのままの姿 歴史通 アメリカの本音はあらゆる手法で戦後日本をマインドコントロールしつつ、西側の一員として対共産圏への防波堤にすることだった。対日戦略のさまざまな相貌について2009年夏号に掲載された、松田武と北村稔、2人の歴史学者の特別対談を再掲する。 しかもアメリカは日本がこれから何十年も使っていかなければならない大切な憲法を、わずか6日で作りあげたのです。 したがって我々が知る戦後の「日本国憲法」は、アメリカが中心となり自分達の都合がよくなるように作った憲法なのです。 日本でこれに相当するのが 『狂った果実』 の石原裕次郎だったと言えば、 感じはおわかりになるはずだ。 戦後のいわゆる 「アプレゲール世代」 は、 まさにこの層の別名であった。 以上をとりまとめると、 大体次のようなことになるだろう。 大河ドラマ「麒麟がくる」感想戦!? アメリカの権力を背景に日本に現れた彼等の作品 は,戦後日本人のアメリカ観形成に重要な影響を 及ぼす.同時に彼等は,冷戦期にアメリカが腐心 した民主国家としての自己イメージの確立にも大 きな役割 … Copyright © 2020 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved. Jpn. 最近YouTubeを見てたらこの人の広告が入ります。印象的な声と語りで一瞬聴いてしまいますが、少し上から目線の関暁夫って感じもします。. ダンジョンの中でしかできないんでしょうか?, パズドラで、炭治郎テンプレを作りたいんですけど、何をどう組めばいいのか分からないので、誰か組んでいただきです。よろしくお願いします。, パズドラのことについて質問させていただきます。現在開催されている鬼滅コラボキャラは、それぞれ何体ずつ確保すべきでしょうか?, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014428260, http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/ghq1.html. バカ殿に見えてしまいました・・・。 Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved.すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。, 連合国軍最高司令官を務めたダグラス・マッカーサー(Army Signal Corps/Public domain/wikimedia)(他の写真を見る), 邪馬台国の所在地、明智光秀の謀反の動機等々、歴史にはさまざまな謎や意見の分かれる問題がある。何も古代や中世といった大昔に限った話ではない。太平洋戦争が避けられなかった理由についても諸説あるし、南京事件についても複数の見方が存在している。, それは戦後の問題でも同様だ。たとえば論者によって大きく立場が異なるのが、占領軍の行った「心理戦」への見方である。, 終戦後、日本に上陸したGHQは日本に対して様々な「心理戦」を展開した。心理戦とは、ごく簡単に言ってしまえば、日本人の価値観、思考をアメリカに都合の良いものにするための作戦で、実は戦時中からいろいろな形ですでに実行されていた。ここまでを否定する人はまずいない。, 実行された心理戦のうち、今日でもウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(以下、WGIP)に関する問題はしばしば議論の対象となる。これも詳細は後述するが、要は「戦争で悪いことをしたのは日本人だ」という罪の意識を徹底的に刷り込むというプログラムのこと。, WGIPについては、評論家・江藤淳がアメリカの公文書で発見し、『閉された言語空間』でそれを明らかにしたことで、日本人がその存在を知ることとなった。が、いまでもその影響力などについては見解が分かれているのだ。, アメリカ、イギリス、カナダ、スイスの公文書を読み込んだ成果をもとに、『日本人はなぜ自虐的になったのか―占領とWGIP―』を著した有馬哲夫・早稲田大学教授に、初心者でもわかるよう説明をしてもらった。, 速報公有地転売問題、「菅総理」密接業者の素顔 過去に菅直人元総理に違法献金のいわくつき, 有馬:CIE(占領軍の民間情報教育局)が実施した作戦で、「極秘」とされた文書(のちに公開)にはその目的や内容が書かれています。それを読んでいただくのが一番わかりやすいでしょう。, 「敗戦の事実と戦争責任について、日本人の現在および未来の苦しみと窮乏の責任が軍国主義者たちにあることについて、また連合国の軍事占領の理由と目的について、あらゆる階層の日本人にはっきりと理解させること」, このためにすでに第2段階までWGIPは実施されており、今は第3段階だ、とも記しています。, 「一部の日本人およびアメリカ人が、原爆の使用は『残虐行為』であると考える傾向をなくすこと」, 原爆が一番わかりやすい例でしょうか。言うまでもなく、原爆投下は市民を大虐殺した許されざる残虐行為です。アメリカによる広島市民、長崎市民の大量虐殺で、戦時中であっても決して許されません。, 当時の日本人でもそう感じた人は多かったのですが、これが反米感情に結びついては困る。そのため時には検閲を用い、また時にはメディアを使って、彼らは「原爆投下は仕方なかった」という考えを浸透させることに腐心したのです。, その影響はいまでも目にすることができます。たとえば広島の原爆被害についての資料館の名前は「平和記念資料館」です。なぜ「広島原爆資料館」ではないのでしょうか。これに限らず、原爆に関しては奇妙なまでに「平和」という言い換えが目立ちます。これはWGIPによる押しつけの成果です。, 長崎のほうは「原爆資料館」となっていますが、そこで公開されている被爆者のインタビューでは「(原爆投下は)戦争を終わらせるためにしかたなかった」という声が数多く紹介されています。そんな馬鹿な話はありません。, ――公文書に記録があるのならば、あまり議論の余地はないような気がするのですが、どのへんが論者によって立場が異なるのでしょうか。, 有馬:WGIPの存在を知らしめた江藤淳は、これによって日本人の意識が大いに影響を受けた、という立場です。私も客観的に文書を読んでそう考えています。, 一方で、「そんなに影響力は無かった」という主張をする人がいます。最近では、『ウォー・ギルト・プログラム』という本を出した賀茂道子さんという研究者がその代表かもしれません。, 賀茂さんは、著書の中で、WGIPの第3段階は実行されておらず、またあくまでも「戦争の有罪性」を知らしめるためのプログラムであり、決して罪悪感をもたせるためのものではない、という説を唱えています。, その説の問題はまず、「ウォー・ギルト」という言葉を勝手に「戦争の有罪性」と訳している点です。そのような解釈は突飛なもので、従来通り、「戦争責任」と訳すべきでしょう。その責任を日本人のみに押しつけようとしたから問題なのです。さらに、彼女が実行されなかった、という第3段階も実際には実施されています。それは一次資料をきちんと読んだうえで、当時のメディアをチェックすれば明らかです。, 簡単に言えば、賀茂さんの説は「アメリカは日本に民主主義を啓蒙するためにWGIPを実施した」というものです。この説はアメリカのみならず、当時協力したメディアにとっても心地よいものでしょう。, 朝日新聞などがこういう説に好意的な評価を与えている理由はよく理解できます。朝日新聞は新聞各社のなかでも図抜けてWGIPに協力的だったのですから。, 「極東国際軍事法廷での検察側の最終論告の全文を掲載するよう朝日新聞かどこかの新聞に促す」, 真っ先に協力が期待できる新聞が朝日新聞だったことがおわかりになるのではないでしょうか。, ただ、朝日のみならず当時の新聞は実質的にGHQの支配下にありましたから、みんな言うなりだったということは申し添えておきます。, 有馬:賀茂さんとは別のロジックでWGIPの影響を否定する人たちも、そのようなことをよく主張します。, 「なるほど、たしかにGHQはそういうことをやったのだろう。しかし、そんなものにずっと影響されたり騙されたりするほど日本人は馬鹿ではないはずだ」と。, こういう人は、「日本人は自虐史観に陥っている」という説を嫌うので、こんなことも言います。, 「日本の教科書にある近現代の歴史は、世界の教科書の歴史と大差ない。どこが自虐的だというのか」, この種の理屈を言う人は大抵、先に上げたような文書、一次資料を読んでいませんし、読もうともしません。一種の理屈遊びをしているようなものです。, 「日本人は馬鹿ではない」ということと、刷り込まれた特定の歴史観から離れられないことは何ら矛盾しません。そういう論理は、近隣の国に対しても失礼な話でしょう。, たとえば、中国や韓国の歴史観は日本人から見てかなり偏っていますし、明らかに史実と異なる点も多々あります。でも、彼らはそれを本気で信じています。それは彼らが「馬鹿」だからではありません。ずっとそのように教わっているからです。, また、特定の宗教指導者をトップとしている国家の教義や歴史観も、他の国から見るとかなり偏っています。でも、彼らは決して「馬鹿」ではないのです。, 教育、プロパガンダ、先入観から作られる思考様式のことをマインドセットと呼びます。特定のマインドセットが形成されれば、人はそれに影響されてしまう。これは別に陰謀論でも何でもありません。, WGIPや心理戦の影響を過小評価しようとする人たちは、自分たちがいかなるマインドセットに陥っているのか、自覚がないのではないでしょうか。, 実際にどのようなことが心理戦として行われていたのか。その実態は次回のインタビューで。, 公有地転売問題、「菅総理」密接業者の素顔 過去に菅直人元総理に違法献金のいわくつき, 米大統領は日本人を「けだもの」と呼んだ あえて「原爆投下」を選んだトルーマンの人種差別, デイリー新潮とは? | 広告掲載について | お問い合わせ | 著作権・リンクについてご購入について | 免責事項 | プライバシーポリシー | 運営:株式会社新潮社, Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved.