アフガニスタンにおける戦闘任務は2014年に完了したにもかかわらず、ドナルド・トランプ大統領は先月、戦争で荒廃したアフガニスタンに駐留する米軍を増強し、アメリカ史上最長となる戦いを継続すると述べた。アフガニスタンにおける戦いは16年間続い ソ連撤退後も、アフガニスタンではゲリラ勢力が対立し、主導権争いから第二の内戦に入った。 ラバニ大統: 領派が首都カブール周辺、ドスタム将軍派が北部、そして、新興勢力・タリバンが南部を支配し、さらに、いくつ かの勢力が割拠し、日本の戦国時代のような状態だ。 1979年から1989年まで続いたソ連軍の侵攻(※1)が終わり、軍が撤退した後のアフガニスタン国内では支配権をめぐって武力衝突が頻発していた。そのさなかの1994年にパキスタンとアフガニスタンの国境でタリバンは組織された。厳格なシャーリア法(※2)の適応によって、武力紛争に疲弊した国土・人々の立て直しを訴えた武装勢力だった。「タリバン」とはアラビア語で「神学生」を意味しており、これはイスラ … また、2001年の9.11同時多発テロの後、米軍がアフガニスタンで大規模なイスラム過激派掃討作戦を展開して、イスラム過激派勢力が衰退するのと連動したことで、ジャム・カシミールでのテロ活動が徐々に沈静化していった時期とも重なる(図1参照)。 アフガニスタンの国民はタリバーンの勢力となっているパシュトゥン人、それさえも大きく八つの部族に分かれている。それだけでなく北部同盟のタジク人、ウズベク人、ハザラ人など多種多様である。 ジャム・カシミール地域については、実は、アフガニスタン情勢の変化が大きな影響を与えたものとみられる。なぜかというと、そもそもジャム・カシミールにおいてテロ対策が必要になったのは、ジャム・カシミールの地元の人々がインドの政策に不満をかかえていたこともあるが、アフガニスタンからイスラム過激派が流入したこととも関係しているからだ。このことは2度のタイミングでみてとれる。1989年にソ連がアフガニスタンから撤退した後、ジャム・カシミールにおけるテロ活動が活発化した … ソ連撤退後も、アフガニスタンではゲリラ勢力が対立し、主導権争いから第二の内戦に入った。 ラバニ大統: 領派が首都カブール周辺、ドスタム将軍派が北部、そして、新興勢力・タリバンが南部を支配し、さらに、いくつ かの勢力が割拠し、日本の戦国時代のような状態だ。 日本のニュースでも治安の悪さが叫ばれている国、アフガニスタン。観光などの情報ではなく、戦争の情報ばかりが入ってくるこの国ですが、果たして日本人は渡航可能なんでしょうか。今回は、アフガニスタンの治安の実情について紹介いたします。 アフガニスタン諸勢力 図8-2 アフガニスタン諸勢力の活動領域 (出所)S tanley McChrystal, My Share of the Task: A Memoir(New York : Portfolio/Penfuin, 2013), pp.302-303などをもとに執筆者作成。 P261-290_8章.indd 266 14.3.14 0:08:57 PM