アルゼンチン人の事をどれだけ知っているでしょうか。実は美人やイケメンが多いことでも知られる国であり、有名人・芸能人も数多く輩出しています。アルゼンチン人女性・男性の特徴や体型、恋愛事情、さらに性格や知られざる国民性等について解説していきます。 アルゼンチン人(スペイン語: Argentinos)は、アルゼンチン共和国の国民もしくはその国民の海外にいる子孫を指す。アルゼンチンは多民族国家で、多種多様な民族で構成されている。したがって、アルゼンチン人は自分たちの国を単一民族国家とはとらえず、多民族国家ととらえている。先住民を除く、ほぼすべてのアルゼンチン人とその先祖は過去5世紀の間に移住してきた。事実、世界で歴史上多くの移民を受け入れてきた国を見ても、アルゼンチンはアメリカ合衆国の2700万人に次ぐ660万人の移民を受け入れ、この数字はカナダ、ブラジル、オーストラリアよりも多い[6][7]。, 2010年に行われた国勢調査によると、アルゼンチンの人口は40091359人でそのうちの1805957人、つまり全人口の4.6%は外国で生まれた。2008年の人口増加率は0.917%で1000人あたりの出生率は16.32で、1000人あたりの死亡率は7.54である[8]。, 長いことアルゼンチンはラテンアメリカの中で最も人口増加率の低い国のひとつで(最近は年間約1%)、幼児の死亡率は比較的低くなっている。依然として際立って出生率は高く(女性1人当たり2.3人)、スペインやイタリアのほぼ2倍である[9][10]。人生の中盤といえる年齢はおよそ30歳で、平均寿命は76歳である[11]。, アルゼンチンは様々な民族からなる多民族国家であり、アルゼンチン人は自分たちの国を単一民族国家とはとらえず、多民族国家ととらえている。アルゼンチン人は、自分の国を「人種のるつぼ」(cresol de razas)だと言っている。, アルゼンチンはアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ブラジルなどの国と共に様々な人たちによる人種のるつぼである[12][13]。, 19世紀半ば、新しい憲法によって移民受け入れを推奨され、戦争、貧困、飢餓、飢饉、よりよい生活を求めるなどの理由で大きな移民団がアルゼンチンに到着した。多くはヨーロッパ、中近東、ロシア、日本から移民して来た。最終的にアルゼンチンはアメリカ合衆国に次ぐ2番目の移民大国となった。, 多くのアルゼンチン人はヨーロッパ人の家系で、彼らは植民地時代の移住者の子孫と全体の約86%にあたる19世紀、20世紀の移民の子孫である[14]。, 主なグループはイタリア人とスペイン人(ガリシア人とバスク人も含まれる)である。最大で2500万人、つまり60%のアルゼンチン人はイタリアの家系である[15]。ドイツ人、スラブ人、イギリス人、フランス人もいる[16]。少ない人数ではあるが、ユダヤ人、先住民、アラブ人、アジア人、ジプシー、アフリカ人も人種のるつぼを形成している。, ここ10年の間に渡ってきた移民としては、パラグアイ人、ボリビア人、ペルー人、ベネズエラ人や他のラテンアメリカ諸国、東ヨーロッパ人、アフリカ人、アジア人などがいる[17][18]。, ほとんどのアルゼンチン人は多かれ少なかれクリオーリョ、すなわち植民地時代にアルゼンチンに渡ってきたスペイン人の血をひいている。そのスペイン人は地元のアメリカインディアンと結婚し、それより後にイタリアとスペイン出身の移民が多く押し寄せることとなった。, アルゼンチンはヨーロッパ人の血をひく人たちが多数を占めており、そのヨーロッパ人は1810年以前に植民地時代の時に入ってきた入植者の子孫や主に19世紀中ごろから20世紀中ごろにかけての大移動によってきた人たちが多い。「ヨーロッパ系アルゼンチン人」という名称は正式には使われず、国勢調査のデータにも存在しないが、ある情報ではヨーロッパ人はアルゼンチンの全人口の少なくとも81.9%、最大で96%いるという情報もある[19] to as high as 96%[20]。, 現在、ヨーロッパの国別で移民が多いところは、イタリア人、スペイン人(バスク人、ガリシア人も含む)、ドイツ人、北欧人(主にデンマーク系アルゼンチン人、フィンランド系アルゼンチン人、スウェーデン系アルゼンチン人)、スラブ人(ロシア人、ウクライナ人、ポーランド人、チェコ人、ブルガリア人、スロベニア人、マケドニア人、クロアチア人も含む)、フランス人(バスク人も含む)、アイルランド人、ポルトガル人、オランダ人などである。, アラブ人とわずかでもアラブ人の血をひくアルゼンチン人は約4.2%である[19]。数としては320万人いて、多くは現在のシリアやレバノンにあるアラブの文化遺産や言語的遺産をもたらした人たちである。大きな移民の波が押し寄せるまで、ほとんどのアラブ諸国はオスマン帝国の支配下にあったのもあり、多くのアラブ人はアルゼンチンに入国するのにトルコのパスポートで入国していたので、トルコ語を話していたと言われている。, 先住民の現代文化はマプーチェ族、Kolla族、Wichi族、Toba族によるものが代表される。2004年~2005年に行われたEPCIによる暫定的なデータによると、600329人の先住民(全人口の約1.49%)がアルゼンチンに住んでいる。その中で1番多いのはマプーチ族で、アルゼンチン南部に住んでいる。Kolla族とWichi族はアルゼンチン北西部に住んでいて、Tobas族は北西部に住んでいる人が多い。先住民とみなされているメスティーソもいる[16]。, その他にはボリビア、パラグアイ、ペルー、エクアドルなどの近隣諸国から来た移民などがいる。, 正確な人数は不明だが、全人口の中にメスティーソの混合人種がいる。遺伝子研究によれば、アルゼンチン人のフットプリントを調べるとヨーロッパ系が大多数を占めているというわけではないという結果がでている。アルゼンチンの人口に関する最も信頼の高い遺伝子研究機関のひとつによれば、アルゼンチン北東部、北西部、南部、中央部(特にブエノスアイレスの中心部)では、サンプルの人たちによる人口構成は65%がヨーロッパ人で、次いで31%のアメリカインディアン、4%のアフリカ人もいる。しかし、この研究はアルゼンチンの平均的な民族分布をしっかりと示しておらず、多様なアルゼンチン人の遺伝子が存在するということだけを示した結果となっている。また、その研究ではアルゼンチン国内でも大きな違いがみられるという結果がでている。Daniel Corachによる研究ではアルゼンチン国内の平均ではどうなるかと、さまざまな地域で調べてみるとアルゼンチン人による常染色体の78.5%がヨーロッパ系であることが分かった[21]。ある資料ではメスティーソはアルゼンチン全体では2.5%で高い地域でもせいぜい15%という結果がでている。, 2005年に行われた遺伝子研究によれば、ブエノスアイレスの人たちのアフリカ系遺伝子の割合は2.2%であった。しかし、この数字は非常に強いアフリカ系遺伝子を持っている10%の人たちによるものが多い。アルゼンチンに住んでいる黒人、ムラート(黒人とヨーロッパ人の混血)、ザンボ(黒人と先住民の混血)はおそらく約67000人で、この中には53000人の奴隷直系血族と12000人~15000人の1950年代と1960年代に到着したカーボベルデ系ムラート移民とその子孫も含まれている。, 19世紀には定期的に戦争があり、黄熱病のような病気が広まり、何千人ものヨーロッパ系移民がアルゼンチンに到着し、多くの黒人女性がその移民と結婚した。すでにアフリカ系の人たちの人口は少なくなっていたのもあり、彼らの存在は忘れ去られるようになった。, 1990年代に新たなアフリカ諸国(カーボベルデ、ナイジェリア、セネガル、アンゴラ、コートジボワール、カメルーン、ガーナ、シエラレオネなど)による黒人移民の大移動が始まった。ここ数年、アフリカ系アルゼンチン人を守る団体であるAfrica Viveは100万~200万人のアフリカ人の子孫がアルゼンチンで生活していると計算している。, アジア系アルゼンチン人はアルゼンチンで生まれた者、もしくは外国で生まれ、後にアルゼンチン人になった者がいる。20世紀にかけて何度か大移動があったが、多くのアジア系アルゼンチン人はその時に移動した。彼らは主に、ブエノスアイレス周辺に住み、繊維産業、食料雑貨店、ビュッフェ形式のレストランなど大小様々な会社を興した。地道に仕事を続けていたので、アルゼンチンの社会から評価された。, まず、主に20世紀前半~中盤にかけて沖縄県から少数の日本人移民がやって来た。その後1960年代に韓国人がやって来て、1980年代に台湾人がやって来た。1990年代には今までで最大の数のアジア系移民がやって来た。彼らは中国本土からやって来た中国人で、2013年最終的に彼らはパラグアイ人、ボリビア人、ペルー人に次ぐ4番目に大きい外国人のコミュニティーとなった[17]。, 2005年に行われた遺伝子研究によると、多くのアルゼンチン人はアメリカ先住民の遺伝子と割合は少ないがアフリカ系の遺伝子を持っている。こちらの研究は1985年に始まった。ブエノスアイレス大学薬学部の科学チームは、ヨーロッパ系とアメリカ先住民系の遺伝子構成を調べる目的でアルゼンチンにあるPoliclinico Ferroviario Centralという病院の血液バンクで73875人のドナーから血液を分析した。そのサンプルを基にしたアルゼンチンの遺伝子地図が完成し、アルゼンチン人はヨーロッパ系遺伝子が81.47%~81.77%あり、アメリカ系遺伝子が18.23%~18.57%あるということが分かった。, もう1つの研究として、ブエノスアイレス大学のアルゼンチン人遺伝学者Daniel Corachが主導するアメリカ先住民の祖先に関するものがある。9つの州で320人によって行われたこの研究では56%の人たちが少なくとも1人以上のアメリカ先住民の祖先がいるという結果がでた。その研究はラプラタにあるブエノスアイレス大学で行われた。たとえ被験者の遺伝子がコーカサス系である可能性が高かったとしても、この遺伝子研究は再結合しないミトコンドリアDNAやY染色体でどこの国の遺伝子か特定するというだけの目的のものであり、例えば7人のヨーロッパ系曾祖父母とたった1人のアメリカ先住民系もしくはメスティーソの曾祖父母を持つ者も、先ほど述べた56%の中に入ってしまうということである。, アルゼンチンでは公用語となっているスペイン語を話す人が多数を占めるが、少なくとも40の言語がある。少なくとも10万人が話す言語の中に南ケチュア語、グアラニー語、マプチェ語や、移民の出身地の母国語であるドイツ語、イタリア語、アラビア語のレバント方言も含まれる[22]。, AbiponとChaneという2つの母国語は消滅してしまった。Vilela、Puelche、Tehuelche、Selknamという高齢者が話すが、その子供たちは話さないので消滅の危機に瀕している言語もある。, 他の母国語を話す集団は、ブエノスアイレスに住んでいる人が多い6万人を超える中国人移民の、少なくとも半分の人が話している中国語を話す集団や、ブエノスアイレス地区のピグエにあるオクシタン語の集団がいる。, ウェールズ語もチュブト地区で35000人を超える人が話している。このウェールズ語は1865年にウェールズ人がアルゼンチンに移動し始めてから広まったパタゴニア方言のウェールズ語も含まれている。, キリスト教徒がアルゼンチン人の大半を占める。CONICETによる宗教に関する調査によると、約76.5%のアルゼンチン人はカトリック教徒で、11.3%は宗教に無関心で、9%がプロテスタント(7.9%のペンコテステ派も含む)、1.2%のエホバの証人、0.9%のモルモン教徒という結果が出ている[23]。, ユダヤ人はアルゼンチン人の1%以下しかいないが、ブエノスアイレスはニューヨークに次ぐアメリカ大陸の中で2番目にユダヤ教徒が多い都市である。, アルゼンチン国外へ移住するアルゼンチン人の多くは中産階級もしくは上流階級の人である。公式の情報によると外国には60万人のアルゼンチン人がいて、International Organization for Migrationによる情報では2001年以来、計約806369人の人たちがアルゼンチン国外に渡った。彼らの子孫は約190万人と言われている。まず、1976年~1983年に渡る軍事政権中に大きな移民の波があり、主にスペイン、アメリカ合衆国、メキシコ、ベネズエラへと渡った。, 最後の大きな移民の波は2001年のアルゼンチン通貨危機の時に起こり、ヨーロッパ、とくにスペインへ移住した。同時にブラジル、チリ、パラグアイなど近隣諸国への移住も増えた。, アルゼンチンからヨーロッパ諸国への出国(特にスペインやイタリア)する人たちの割合は1970年代後半~1989年代前半にかけてピークを迎えたが、これはとても顕著であった[24][25]。, ヨーロッパではスペインとイタリアで最も大きなアルゼンチン人のコミュニティーが誕生し、フランス、イギリス、ドイツでも同様の大きなコミュニティーが誕生した。, 移住先として人気の国はアメリカ合衆国、メキシコ、カナダである。それには及ばないものの、ウルグアイやブラジル、チリ、パラグアイ、ボリビアやベネズエラ、ペルー、コロンビア、エクアドル、コスタリカ等同じラテンアメリカの国々へ移住した人たちもいる。, オーストラリアはオセアニアの中で最大のアルゼンチン人コミュニティーがある。次いでニュージーランドのコミュニティーが大きい。. Dallas, Tex. Gordon, Raymond G., Jr. http://www.pewforum.org/files/2014/11/Religion-in-Latin-America-11-12-PM-full-PDF.pdf, Proyecciones provinciales de población por sexo y grupos de edad 2001–2015, Life expectancy at birth, total (years) | Data | Table, http://www.iigg.fsoc.uba.ar/docs/dt/dt14.pdf, Travelocity Travel: Vacations, Cheap Flights, Airline Tickets & Airfares, “En la última década se radicaron en el país 800.000 extranjeros”, http://www.lanacion.com.ar/1727640-en-la-ultima-decada-se-radicaron-en-el-pais-800000-extranjeros, Comisión de apoyo a refugiados y migrantes (CAREF): Los migrantes de Europa del Este y Central en el Área Metropolitana 1999-2002, “Argentine's reclaim Italian roots - TIME”, http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,901030120-407301,00.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=アルゼンチン人&oldid=77081063. ), 2005. http://www.iom.int/files/live/sites/iom/files/pbn/docs/Perfil-Migratorio-de-argentina-2012.pdf, http://www.ine.es/jaxi/Datos.htm?path=/t20/e245/p04/provi/l0/&file=00000010.px. アルゼンチン美人について、外見や性格の特徴をはじめ、現地で有名な美女の画像までを見ていきましょう。アルゼンチンの女性は美しすぎます!南米ではブラジルに次いで2番目に国土が広いアルゼンチンは、他の南アメリカ諸国と比べて異なる印象を与える国。 Ethnologue: Languages of the World, Fifteenth edition. アルゼンチン人(スペイン語: Argentinos )は、アルゼンチン共和国の国民もしくはその国民の海外にいる子孫を指す。 アルゼンチンは多民族国家で、多種多様な民族で構成されている。 したがって、アルゼンチン人は自分たちの国を単一民族国家とはとらえず、多民族国家ととらえている。 (ed. : SIL International. 更新日:2018.01.05 / 公開日:2017.09.11 アルゼンチン 移住永住 せかいじゅう編集部, “南米のパリ“と呼ばれる美しい街、ブエノス・アイレスを首都とするアルゼンチンは、サッカーやタンゴ、ワインの産地として有名ですが、世界第8位の国土面積を持つこの懐の深い国の魅力は他にもたくさんあります。, 歴史的に多くの移民を受け入れてきたアルゼンチンは、国民の約97%がヨーロッパ人種。, イタリア、スペイン、ドイツ、または中東やアジア圏からなど、家族の歴史も習慣も様々です。, アルゼンチン人のルーツが多様であるということは、見ただけでは誰がアルゼンチン人か外国人が分からないということ。, 特に都市部であれば、“ガイジン”としてジロジロ見られることがほとんどないことに気がつくでしょう。, 見た目についても、タトゥーのある銀行員やモヒカンの公務員がいるぐらい自由な雰囲気。, 仲間内にちょっと困った人がいても「ああいう人だからこそ助けてあげなくちゃ」と周囲がすかさずフォローしたり、笑って流したり。, 型どおりの常識を押し付けないアルゼンチン人と接していると、自然体の自分を取り戻せるかも。, アルゼンチンは日本から最も遠い国の一つですが、19世紀以降に多くの日本人がアルゼンチンへ移住し、現在では約3万人の日系人と在留邦人が暮らしています。, 約1世紀以上に渡って勤勉に働き、誠実に暮らして来た日系人のおかげで、アルゼンチン人の日本人に対する評価、好感度はとても高く、大の親日国家と言われています。, 第2次世界大戦中は絶対中立を宣言し日本への攻撃に加担せず、日系人の財産没収や強制収容所送りなどの弾圧をしなかった唯一の国で、戦後には日本に多くの救援物資も送ってくれました。, お米、ラーメン、お菓子、調味料など一通りのものが買えます。他にも首都の中華街では缶ジュースやお菓子、麺類、海苔や乾燥わかめなどが、また健康食材をセレクトしているお店などでもゴマ、海苔、ビーフン、お寿司用の米などを扱っています。, 日本食だけでなく、日本文化に興味を持つアルゼンチン人も多く、空手や剣道などの道場もよく目にします。, 特に首都の在亜沖縄県人連合会では日本語、生け花、書道、各種武道など多くのお教室が開かれ、年間400人もの受講者がいます。, 首都では毎年12月に盛大な沖縄祭りが、首都近郊の街ラ・プラタでは毎年1月に南米最大の盆踊りが開催され、大勢の人出で賑わいます。, あなたのできる日本文化的なことが、ここアルゼンチンでも役に立ち、現地の人々に喜ばれるかもしれません。, アルゼンチンのGDPは世界第21位で、中南米ではブラジル、メキシコに次いで第3位。, アルゼンチンは食料自給率が高く、飲料水など天然資源が豊富で、災害も紛争もなく、暮らしやすい条件が比較的揃っていると言えます。, アルゼンチンの識字率は97.9%で、中南米ではキューバ、ウルグアイに次いで高く、初等教育在学率もほぼ100%と言われています。, 大学も国立なら無料で無試験、誰でも入学できるように門戸が開かれていますが、学習レベルはとても高く、卒業できるのはわずか20〜30%と言われています。, アルゼンチンではインフォーマルに働く人、失業者、果ては旅行者までも無料で受診できる公共医療サービスが充実しています。, 患者数が多いため待ち時間は相当長いですが、この国の公共医療機関のレベルの高さは有名で、近隣諸国からも多くの難病患者が訪れます。, 国産の食材などは日本よりも安いですが、高関税のため輸入品は全体的に日本以上に高く、外食なども価格競争の激しい日本と比べると高額なので、先進国ではないからと低コストを期待していると裏切られるでしょう。, ただしアルゼンチンペソの対ドル(ユーロ)レートも日々変わるため、生活費を外貨建てで用意すれば多少のインフレには対処できます。, 移民国家であることから、ビザに関しては比較的移住のしやすい国の一つと言えるでしょう。, 特に観光ビザは簡単に延長できるため、移住を決める前に一度長期滞在をしてみることをお勧めします。, 観光であれば90日間ビザなしで滞在でき、期限切れの前に移民局で手続きをすれば、1回のみ90日間の延長を申請することができます。, またブエノスアイレスから船でラプラタ川を渡って1時間の場所にある、ウルグアイのコロニア・デル・サクラメントという町で観光した後、アルゼンチンに再入国することで更に90日間のビザが取れるため、この方法で長期滞在をしている外国人が大勢います。, などがあります。一般的に取得が難しい永住ビザも、一時滞在ビザで3年以上アルゼンチンにいれば申請できるなど、他国と比べてハードルが低いです。, アルゼンチン人との婚姻やアルゼンチン国内で出産した場合も、子供は国籍、親は永住ビザが取れます。, スペイン語を母国語とする人は、英語、中国語、ヒンディー語に次いで世界で4番目に多く、4億7700万人と言われています。, 約20カ国で使われているスペイン語を習得すれば、世界が一気に広がること間違いなし。, 日本語と同じ5つの母音を持つスペイン語は英語に比べて発音も簡単で、親しみやすいと感じるでしょう。, 日本でも有名なアルゼンチンワインですが、現地では1本400円ほどで美味しいフルボトルが買えます。, また世界的に定評のあるアルゼンチン牛は、近年価格こそ上がったものの、脂身の少ない赤身肉にしっかりとした味わいがあって、炭火でじっくり焼くと絶品です。, 日本の7.5倍の国土面積を持つアルゼンチンは、北に世界3大滝の一つであるイグアスの滝、南にペリト・モレノ氷河や世界最南端の都市ウシュアイアなど、変化に富んだ自然環境を擁する大国です。, 一言で“アルゼンチン移住“と言っても、この全ての環境の中から住む場所を選ぶことができます。, コロニアル調の美しい街並み、お洒落なカフェテリアや雑貨屋、蚤の市のアンティーク、斬新なデザインのショップの数々、熱い戦いが観られるサッカースタジアムと、魅力満載のブエノスアイレスには外国人滞在者用に家具付きの物件も多く、長期滞在や移住の候補として一番人気です。, まずはここでアルゼンチン移住をスタートさせ、各地を旅して本当に自分に合った場所を探してみるのもいいかもしれません。, 国内には長距離移動できる電車はありませんが、首都から快適なバスがたくさん出ているので、ぜひ利用して訪れてみてください。, もしも“アルゼンチンで暮らす自分”が上手に想像できたなら、それはあなたの将来の姿になるかもしれません。, アルゼンチンの現地事情をしっかり調べて用意をしたら、まずは土地との相性を確かめるためにも、一度は現地に行ってみることをお勧めします。, 「言葉ができないから不安」という方、スペイン語は一度発想を理解すると、とても楽しく勉強できる言語です。, せかいじゅうYoutubeチャンネルで海外居住者のインタビューを配信しています。生の声から感じる海外暮らしをご視聴ください。, コロナ問題を機に、多くの方が明日がどうなるかわからない不安なとき、誰かが困ったときにコミュニティを通じて、元気や勇気を与えたり、支援したりという『助け合いの場』を作りたいという想いから、せかいじゅうでは、世界中の日本人同士が繋がり、互助できるコミュニティ・せかいじゅうサロンを用意しています。, せかいじゅうは「海外へ出たい日本人」と「海外で暮らす日本人」が繋がるコミュニティマーケットプレイスです。世界で暮らす日本人が提案する移住プランやサポートを利用して、「いつでも、どこの国にも移り住む可能性が開ける。」“せかいじゅう”はそんなスタイルを提案します。, ご登録いただくとせかいじゅうの機能が利用可能になります。(海外サポーターへの応募の場合も、はじめにメンバー登録ください)登録後、認証URLを記載したメールが送られますので、パスワードを設定してください。※認証メールが迷惑メールボックスに入っている場合があります。あわせてご確認ください。, ※登録を行いますと、せかいじゅうの利用規約、プライバシーポリシーに同意したことになります。, せかいじゅうは「海外へ出たい日本人」と「海外で暮らす日本人」が繋がるコミュニティマーケットプレイスです。, 「一人の人生、一つの国。」そんな時代は終わった。 日本だけでしか、暮らしたことがないなんて、つまらない。 海を越え、世界へ移動し、生きる。 多くの未知なる体験と挑戦、大いなる喜びと温かい家族、 新しい人生がそこには待っている。, 世界中に住む日本人すべてがプランナーとなり、各国でのライフプランを直接せかいじゅうメンバーへ提案する、そんな面白い時代を一緒に作りましょう。, 肉はアルゼンチンの食文化!現地で食べたい3つの肉料理とおすすめ店(アサド/チョリパン/エンパナーダ). 歴史的に多くの移民を受け入れてきたアルゼンチンは、国民の約97%がヨーロッパ人種。 特に白人が多いですが、髪や目の色が違うのは当たり前。 イタリア、スペイン、ドイツ、または中東やアジア圏からなど、家族の歴史も習慣も様々です。 アルゼンチン文化の特徴を10個紹介していきます。宗教や食文化、スポーツや有名なマテ茶まで、アルゼンチンを理解する上で抑えておきたい特徴です。南アメリカ南部に位置する大きな国土を抱えるアルゼンチンは、隣のブラジルと同様に南米を代表する国家の一 イタリア系アルゼンチン人(スペイン語、イタリア語:italo-argentino)は、先祖にイタリア出身者をもつ、アルゼンチン国籍の人々またはその子孫。2500万人のアルゼンチン人がイタリア人の子孫としての何らかの要件を満たしていると考えられている。 アルゼンチンでは、欧州系(スペイン・イタリア)の人々が 人口の97%を占めています。 首都ブエノスアイレスでは、褐色の肌より白い肌の人が圧倒的に多い のですが、 それは、1870年頃に実施された国家計画「La Conquista del Desierto(砂漠の開拓作戦)」 イタリア、スペイン、ドイツ、または中東やアジア圏からなど、家族の歴史も習慣も様々です。 現地に溶け込める心地良さ. EXCLUSIVO: OS NÚMEROS EXATOS E ATUALIZADOS DE ESTRANGEIROS NO BRASIL. アルゼンチン人のルーツが多様であるということは、見ただけでは誰がアルゼンチン人か外国人が分からないということ。