オリックスの宮崎キャンプも順調に滑り出した。天候に恵まれ、選手の仕上がりも早い。早くもブルペンでは、若手投手がキャッチャーミットにいい音を響かせている。ブルペンと、メーングラウンドのベンチサイドを忙しそうに往復しているのが広報部の佐藤達也氏だ。, 【PR】スランプ時には映像で確認 “広角打法”篠塚和典氏が語るDAZN(ダゾーン)活用法, 埼玉県立大宮武蔵野高校、北海道東海大学、Hondaを経て、2011年ドラフト3位でオリックス入団した。セットアッパーとして活躍し、通算109ホールド。2013年、14年と2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルを手にした。2018年限りで引退し、2019年に広報部に配属された。, 「大学、社会人を経て26歳でのプロ入りでした。現役は7年間。そんなに長くなかったけど、中身の濃い選手生活だったと思います。いいところで使っていただいたのがありがたかったですね」, 引退時に球団から、広報の仕事のオファーがあった。「選手の身近にいる仕事ですし、現役中からどんな仕事かも大体わかっていたので、やろうと思いました」。, 社会人野球出身だが、一般社会とのつながりはそれほど多くなかった。「Honda時代は工場勤務だったので、名刺交換をするような経験はあまりありませんでした。ただ、プロ入り後、メディアとの付き合いはありましたので、顔も覚えていただいたので、入りやすくはありました」。, シーズン中も春季キャンプ中も広報の仕事は基本的に変わらない。選手とメディアを取り持つ仕事だ。「シーズン中は1軍に帯同しています。メディアからの取材の依頼を取り持ったり、記者会見の準備をしたり、ファンの方へのアピールなんかもやります。メディア向けに選手のコメントを伝えたりもします。春季キャンプ中は、例えばテレビメディアの依頼を受けて、選手と打ち合わせをしたりします。選手は練習のためにキャンプに来ています。忙しい中でできるだけ効率的に取材対応ができるように考えています」。, キャンプではファンとの距離感が近い。ファンサービスについては気を遣うことも多い。「オリックスのファンはマナーが良い方が多いです。選手もファンサービスについてよく理解しているので、大きな問題は起きていませんが、それでもキャンプでは選手は野球が一番ですから、“選手を守る”という意識はありますね。基本的にファンの皆さんも選手も信頼しています」。, 広報として2シーズン目の春だ。「まだ新人みたいなものですが、今年はぜひ優勝してほしい。広報の仕事は試合に直結しませんが、選手がやりやすい環境を作ることで、チームの勝利に少しでも貢献したいですね。今シーズン末には、ファンや選手と一緒に喜び合いたいと思います」。, オリ西村監督、第1クールを終えナインに合格点 「しっかり100%の状態で入ってくれた」, 「日本の野球はしっかりしている」 元U-23代表が頂点を極めた舞台で感じた強み(侍ジャパン応援特設サイトへ). オリックスの球団職員として、2019年1月1日付で広報部に配属される 。 選手としての特徴・人物. 佐藤広 ☆管理部監督付 曽我部直樹 ☆育成G課長(グループ長):岸田光二 ☆2軍マネジャー 町豪将 ☆寮長:森浩二 ☆寮長補佐:谷山豊 ☆査定・スコアラーG副部長:宮田典計 ☆広報部長:森川秀樹 ☆広報部課長:吉田直喜 ☆広報部 熊谷泰充、香川真弓 オリックスの宮崎キャンプも順調に滑り出した。天候に恵まれ、選手の仕上がりも早い。早くもブルペンでは、若手投手がキャッチャーミットにいい音を響かせている。ブルペンと、メーングラウンドのベンチサイドを忙しそうに往復しているのが広報部の佐藤達也氏だ。 2013&14年の最優秀中継ぎはオリ広報 佐藤達也氏「選手のやりやすい環境作りを」. 登録名/本名: 佐藤 一磨: ふりがな: さとう かずま: 生年月日: 2001年4月16日: 年齢: 19歳: 身長: 189cm: 体重: 89kg: 出身地: 神奈川県 日本通運「侍ジャパン」応援サイトでもFull-Countスペシャル記事を配信中!! スリークォーターから平均球速約146km/h 、最速155km/h の速球とスライダー、フォークボールを投げる 。 7人兄弟の末っ子(兄3人、姉3人) 。 オリックス株式会社公式サイトです。オリックスは、金融やサービスを通じて、新しい価値、新しいマーケットを作り出し、経済やくらしに新たな活力を与え、いきいきとした社会づくりに貢献していきま … 一般に広報といえば「背広組」のイメージだが、彼はときにはジャージ姿でミットをはめて、試合前のチーム練習に普通に参加していたりもする。彼はまだ20代の、元オリックス選手なのである。 いつも丁寧で礼儀正しく、マイルドなイケメン・仁藤さん。 佐藤 達也(さとう たつや、1986年7月26日 - )は、埼玉県大宮市[1](現:さいたま市西区)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「サトタツ」。, さいたま市(入学当時は大宮市)立指扇中学校で、外野手として野球を始める。野球を始めた理由は「中学校にバスケ部がなかったから」だという[2]。埼玉県立大宮武蔵野高等学校に進学後に投手に転向した。3年時の夏は埼玉県予選2回戦で敗退。, 高校卒業後は、北海道学生野球連盟に加盟する北海道東海大学(現・東海大学北海道キャンパス)に進学。3年時の秋にはエースとなり、10試合で6勝を挙げ、同校5年ぶりの優勝に貢献。最優秀投手賞とベストナインを獲得した。4年時は春に腰痛と股関節痛を発症し、春と秋合わせて4勝に留まった。リーグ通算18勝。プロ志望届を提出したが指名されず、本田技研工業に入社して狭山野球部に所属。, Hondaでは1年目の2009年春から公式戦に出場し筑川利希也や武藤祐太らと共に投手陣を支え、3年目の2011年は主戦投手として活躍し、第82回都市対抗野球大会出場に貢献している。, 2011年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから3巡目で指名。契約金6,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号については、空番だった25を付ける予定だったが、後に入団した李大浩が25番を希望したことを受けて、別の空番から15が選ばれた。, 2012年キャンプは一軍に抜擢され、オープン戦に登板するも成績が振るわず、開幕一軍を逃す。4月25日にプロ初登板したが4試合の登板で防御率12.46、5月7日に登録抹消。8月23日に再昇格、9月14日の対楽天戦では、先発した井川慶のアクシデントを受け2回から緊急登板し、味方の失策絡みで敗戦投手になるも3者連続奪三振、4回1失点自責点0。再昇格後は10試合の登板で、15回2/3を防御率1.15だった。通年では14試合の登板で防御率3.43、奪三振率9.85。, 2013年は開幕一軍入りしたものの、4月24日に腰痛で登録抹消される。その後、5月9日のソフトバンク戦にビハインドの場面で登板し、9回にチームが逆転サヨナラ勝ちしたことでプロ初勝利を記録した。7月には監督推薦で自身初のオールスターゲームに出場。3,4月に登板した13回で12四死球を出すなど制球に不安定な部分もあったが、セットアッパーとして起用されるようになり、8回佐藤、9回平野佳寿の継投が定着した。最終的に67試合登板し、防御率1.73、WHIP1.12、奪三振率10.15を記録、リーグ最多の42ホールドポイントで最優秀中継ぎ賞のタイトルを獲得した。, 2014年は月間防御率で5度0点台を記録する。最終的には67試合の登板で防御率1.08、48ホールドポイントを挙げ、2年続けて最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。首位ソフトバンクには無失点、3位日本ハムには自責点0。, 2015年は4月15日に腰痛で登録抹消、5月2日に再登録されるも、6月15日に「椎間板性腰痛」のため再び登録抹消、6月27日に再度登録されるが、8月11日のソフトバンク戦でサヨナラ3ランホームランを含む5失点など打ち込まれる場面もあったため、前年より投球内容が悪化した。シーズン終盤にはクローザーを務め、13セーブを挙げた。, 2016年は43試合に登板するも1勝4敗12ホールド、防御率は5点台、2017年はシーズンの大半を二軍で過ごし、12試合で防御率7点台に終わるなど、投球内容が年々悪化していった。, そして2018年には、シーズン終盤の9月26日に初めて出場選手登録されるが、一軍公式戦登板がないままシーズンを終え、10月29日に球団から戦力外通告を受け現役引退、11月に行われたファン感謝祭で引退セレモニーが行われた。ウエスタン・リーグの公式戦では、33試合の登板で1勝1敗、防御率2.64をマーク。6セーブを記録した。通算投球イニングは30回1/3であった[3]。, スリークォーターから平均球速約146km/h[5]、最速155km/h[6]の速球とスライダー、フォークボールを投げる[7]。, 入団交渉の際に、交際6年になる一般女性との結婚と、翌年には第1子が誕生する事を明かした[8]。, 前年最下位の阪神が優勝、広島メヒアが3冠王… 2018年ウエスタンを振り返る | パ・リーグ インサイト | パ・リーグ公式メディア情報サイト, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=佐藤達也_(野球)&oldid=80021560, 1996年から2001年までは最多ホールド投手。2002年以降は最優秀中継ぎ投手。.