阪神タイガース (1979 - 1995), 「史上最高のスイッチヒッター」とも呼ばれる名選手です。 読売ジャイアンツ(2002-2007), 貴重な左腕として西武・ソフトバンクで活躍しました。 横浜ベイスターズ(2003-2011) 5番 村田 修一(ファースト)※本職はサード 九州三菱自動車 野村克也は若菜を「捕手としては気が強すぎる。捕手よりもむしろ投手向きの選手だ」と語っています。, 柳川商業高等学校 1985年には1番打者として打率.322・34本塁打・84打点を記録しました。 日本ハムファイターズ(1977-1990) 最多奪三振3回(2008年、2009年、2012年) 右投右打/捕手/2002年 ドラフト5巡目, 東福岡高等学校 4番 小鶴 誠(レフト) 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 オールスターにも5度選ばれています。, 1995年ドラフト3位 東福岡 05021010000 30安打の乱戦。延長11回で惜しくも敗退 . 最多勝・最優秀防御率・最優秀選手・沢村賞・ベストナイン(2005年) 太平洋クラブライオンズ/クラウンライターライオンズ (1973 - 1978) ニューヨーク・メッツ(2003) (adsbygoogle=window.adsbygoogle||[]).push({}). もちろん9人以外にもプロ野球界で活躍した福岡県出身の選手はいますので、そちらを含め福岡を代表するプロ野球選手たちをその後にまとめてみました。 通算1904安打・203本塁打・打率.293の成績を残しました。, 盗塁王(1985年) 最優秀投手2回(2009年、2010年) 通算1521試合に出場し1196安打・128本塁打・打率.262の成績を残しました。, 名将仰木監督は現役時代はセカンドとして活躍しました。 ベストナイン3回(1978年、1983年、1985年), 柳川商業高等学校 デ・フラスコニンフ・ツインズ (2016), 縞田 拓弥(しまだ たくや、1987年1月22日 - ) 東福岡 4-2 香椎. 左投左打/投手/1997年 ドラフト3位, 東福岡高等学校 東福岡高等学校 北海道日本ハムファイターズ(2009-), ヤクルト一筋の選手で20年間チームに在籍しました。 阪神タイガース(2013-2014), 4球団を渡り歩き通算1387試合に出場しました。 2番 田中 賢介(セカンド) 福岡県立三井高等学校 武蔵大学 三菱重工名古屋 オールスターにも5度選ばれています。, 北九州市立戸畑商業高等学校 日米通算で1524安打・225本塁打をマークしました。 福岡ダイエーホークス/福岡ソフトバンクホークス (2003 - 2007), 村田 修一(むらた しゅういち、1980年12月28日 - ) なお、東福岡高校は、ジャンル別ランキングで以下の順位です。こちらも合わせてご覧ください。 歴代サッカー日本代表選手出身高校ランキングで24位; サッカー選手出身高校ランキングで10位; プロ野球選手出身高校ランキングで74位 西武ライオンズ/埼玉西武ライオンズ(2001-2011) サンフランシスコ・ジャイアンツ(2002) 日本大学 福岡県立福岡工業高等学校 打率3割に達した年は1度しかないものの、2016年までの通算打率は.278と好打者でもあります。, 盗塁王2回(2010年、2011年) 読売ジャイアンツ(2012-), 熊本県で生まれ、小学3年生時に福岡県大牟田市へ移りました。 急映フライヤーズ(1948)/大映スターズ(1949) 日本大学 鹿児島実業高等学校 北九州市立大学 中日時代には落合博満監督から「暴れ馬」(球界屈指の球威と制球の悪さにちなんで)と呼ばれました。, 2004年ドラフト2巡目 最優秀投手2回(2009年、2010年) 東 克樹(あずま かつき、1995年 11月29日 - )は、三重県 四日市市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。 左投左打。 横浜DeNAベイスターズ 所属。 最優秀バッテリー賞(2010年、捕手:田上秀則), 2001年ドラフト3位 3番 真弓 明信(ショート) ゴールデングラブ賞(1984年.1989年.1990年.1994年), ベストナイン6回(2006年.2007年.2009年.2010年.2012年.2015年) これからの活躍が益々期待される日ハムの若きショートです。, 2008年ドラフト5位 西鉄ライオンズ/太平洋クラブライオンズ/クラウンライターライオンズ(1972-1978) 通算1328試合に出場し800安打・70本塁打・打率.229の成績を残しました。, ※生まれは長崎県 右投右打/内野手/2011年 ドラフト2位, 東福岡高等学校 周東 佑京(しゅうとう うきょう、1996年 2月10日 - )は、群馬県 太田市出身 のプロ野球選手(外野手、内野手)。 右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。連続試合盗塁記録の世界記録保持者(13試合 … 阪神タイガース(1979-1982) 東福岡 2-6 福工大城東. 日本大学 近鉄バファローズ/大阪近鉄バファローズ(1996-1999). 中日ドラゴンズ(1996-2001) 右投右打/投手/2007年 大学生・社会人ドラフト4巡目, 東福岡高等学校 平井 光親(ひらい みつちか、1966年11月8日 - ) 左投左打/外野手/1988年 ドラフト6位 東福岡高等学校 愛知工業大学 ロッテオリオンズ 千葉ロッテマリーンズ (1989 - 2002) 九州共立大学 読売ジャイアンツ (2017-), ナックルボールと驚異のクイックモーションを武器に、20年近くプロ野球選手として活躍しました。 横浜大洋ホエールズ(1983-1988) 本塁打王・打点王・MVP(1950年) 阪神タイガース (2007 - 2011) 福岡県立北九州高等学校 8番 新庄 剛志(センター) 国公私立:私立学校 ゴールデングラブ賞(2000年.2001年.2003年), 1996年ドラフト3位 近鉄バファローズ (1977-1982) 福岡ダイエーホークス/福岡ソフトバンクホークス(1997-2011), カズ山本としてもお馴染みの選手で、プレー以外でも個性的なキャラクターでファンから愛されました。 西日本短期大学附属高等学校 福岡県立八幡高等学校 八幡製鉄所/日本大学 周東 佑京(しゅうとう うきょう、1996年2月10日 - )は、群馬県太田市出身[2]のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。, 太田市立藪塚本町小学校2年時に「藪塚リトルファイターズ」で軟式野球を始める[4]。中学校時代は硬式の太田ボーイズに所属。[5], 2011年、東京農業大学第二高等学校に入学。3年時には主将として夏の群馬大会で2番遊撃手で17打数7安打で打率.412・盗塁5、チームは決勝で高橋光成がエースの前橋育英高校に敗れる[6]。甲子園出場経験はなし。, 2014年、東京農業大学生物産業学部に入学。北海道学生野球連盟所属の硬式野球部に入部。1年時からレギュラーとして試合に出場する[4]。1年時は指名打者・外野手、2年時は外野手、3年時は三塁手、4年時は三塁手・遊撃手と様々なポジションを守りながら試合に出場。また3年秋季から4年春季まで主将を務めた。北海道六大学リーグでは3年春にベストナイン(三塁手)、3年秋に優秀選手賞、4年春に最高殊勲選手・ベストナイン(遊撃手)を受賞[2]。全日本大学野球選手権大会に3度、明治神宮野球大会に1度出場、全国大会通算で7試合に出場し打率.364という成績を残した[4]。大学4年間で通算40盗塁を記録している[6]。, 2017年10月26日に行われたドラフト会議にて、ソフトバンクから育成2巡目で指名を受け[6]、11月7日、支度金300万円・年俸400万円で入団する[4][7]。背番号は121。, 2018年はウエスタン・リーグ公式戦の開幕戦から出場し、前半戦で14盗塁、7月12日に行われたフレッシュオールスターゲームに選出され、2安打を打ち優秀選手賞を受賞する[8]。二軍公式戦では通算で90試合に出場し、打率.233、リーグトップの27盗塁、14打点[9]。シーズンオフは10月19日から開催された第2回WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選出された。初戦の対南アフリカ戦で公式戦初本塁打を記録した[10]。プエルトリコのウインターリーグにも派遣され、26試合に出場して打率.304[11]。, 2019年は宮崎春季キャンプはA組に抜擢される[12]。オープン戦も1軍帯同で14試合に出場する。13打席で1安打、打率.091で[13]、3月26日に支配下選手登録され、背番号は23[14]。支配下選手登録に伴い、年俸600万円(金額は推定)となる[15]。開幕から野手に故障者が相次いだことで、4月上旬に一軍に初めて昇格する。4月7日に初出場、4月9日に初盗塁、4月21日に初スタメンを果たすと、その試合でプロ初本塁打となる3ランホームランを含む4打点と活躍した。以後はスタメンとしての出場も増え、ゴールデンウィーク終了までに9盗塁を決めるなど足でもチームに貢献した。一方で、ゴールデンウィークが明けると打撃の調子が下降したことに加えて釜元豪の台頭や今宮健太・福田秀平ら一部の故障者の復帰もあり、次第に先発出場の機会がなくなり、主に代走からの出場や守備固めとして起用され、最終的にはチームトップの25盗塁を記録した。盗塁成功率は83.3%(企図数30)であり、同年のパ・リーグで盗塁企図数20以上を記録した選手中、最も成功率が高かった[16]。内訳として、先発した23試合では9盗塁、途中守備から出場した試合でも1盗塁で、15盗塁は代走として記録したもの失敗5回のうち、1回は走者一三塁の場面の三塁走者としてダブルスチールを試みた際で、ニ塁への盗塁失敗は4回だった[17]。, オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12に足の速さを評価され、日本代表に選出された。なお、球団から育成ドラフト出身選手の日本代表選出は、千賀滉大・甲斐拓也に次いで3人目であった。本大会でも主に代走として起用され、大会最多となる4盗塁を記録した[18]。, 2020年9月18日(対楽天・福岡PayPayドーム)、1番二塁手でスタメン出場すると、1回二塁打・3回単打・5回単打とプロ入り初の猛打賞に輝いた。さらに8回の第5打席で単打を放ち1試合4安打も記録した。また、この試合2盗塁[19]を決め、両リーグを通じてシーズン20盗塁[20]1番乗りを果たした[21]。10月13日(対オリックス・京セラドーム大阪)、3回1死一塁の場面で、ここまで31イニング連続無失点を続けていた山本由伸から決勝点となる適時三塁打を放った[22]。10月18日(対楽天・福岡PayPayドーム)、自身初の1試合3盗塁[23]を記録した[24]。10月22日(対日本ハム・札幌ドーム)、5回に二盗を決め、シーズン盗塁数が育成出身者としては史上最多の42個となった[25][26]。25日の西武戦(福岡PayPayドーム)で9試合連続・月間19盗塁の球団記録に並ぶ[27]。28日のロッテ戦(福岡PayPayドーム)で福本豊の持つ日本記録「11試合連続盗塁」に並び[28]、翌日のロッテ戦(福岡PayPayドーム)で「12試合連続盗塁」のプロ野球新記録を樹立した[29]。30日の西武戦でも成功し記録を13に伸ばすが、31日の西武戦では盗塁の機会が訪れずストップした[30]。, 【ソフトバンク】育成ドラ2周東、日本シリーズ刺激「目標は盗塁王。あの舞台で活躍したい」, 侍ジャパンの韋駄天「周東佑京」は「快ウン男」 | Smart FLASH[光文社週刊誌, 【ソフトバンク】育成2位・周東、高校で2敗の西武・光成に雪辱「まずは支配下登録を目指す」, “「最強打者」の森友哉が得点圏打率もトップ。全国に名を知らしめた周東佑京は盗塁成功率1位に【表彰されざるパ・リーグ打撃・走塁の記録】(2/2)”, https://thedigestweb.com/baseball/detail_2/id=7079, https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/amp/201912180000696.html, 【プレミア12】MVPの鈴木は打率&打点&得点の“3冠”、周東が盗塁王 個人タイトル発表, “『初猛打賞&2盗塁のソフトバンク周東が泣いた日 失意から救った「師匠」の気遣い”, https://news.yahoo.co.jp/articles/f9087fc6d9a6ff62a0bb90fc6a1176088345122e, https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/653973/, https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/655567/, https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/10/23/kiji/20201023s00001173152000c.html, "【ソフトバンク】周東佑京が9試合連続、月間19盗塁で球団タイ記録 福本豊の11試合連続盗塁の日本記録も視野", ソフトバンク・周東が11試合連続盗塁のプロ野球タイ記録、「世界の盗塁王」福本豊に並んだ(スポニチアネックス), "ソフトバンク・周東 12試合連続盗塁のプロ野球新記録!「世界の盗塁王」福本豊超えた", 【ソフトバンク】周東佑京の連続試合盗塁が13でストップ「正直、少しだけホッとした」, “稲葉ジャパンの秘密兵器・周東「プロは無理」から育成最短で代表選出…才能信じた恩師の存在”, https://hochi.news/articles/20191109-OHT1T50215.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=周東佑京&oldid=80365024, 周東は盗塁においてスタートを切る際、足が動いてからスタートしていては遅く、投手だけでなく投手のバックになっているスタンドの観客なども一緒にぼやっと見ることにより、投手が足を動かす前に必ずどこかが少しでも動くのが分かってくるため、それをベンチにいる時から見て把握しておくとのこと。スタートして左足、右足と踏み込んで3歩目の左足を踏み込む時にトップスピードになるようにしており、二盗の場合は1塁ベースと2塁ベースの外側を結んだ線上を一直線に2塁ベースの右端目掛けて走り、走行中は投手や投球を見ずに遊撃手の動きで判断、ヘッドスライディングはスピードが落ちるため行わず、左右どちらか合う方の足を突き刺すイメージで足からスライディングしている, 初先発出場:2019年4月21日、対埼玉西武ライオンズ6回戦(メットライフドーム)、2番・左翼手として先発出場, 13試合連続盗塁:2020年10月30日、対埼玉西武ライオンズ21回戦(メットライフドーム)、7回表に二盗(捕手:, 「Revolution」Crystal Kay & 安室奈美恵(2020年 - ). 通算267試合に登板し90勝・防御率3.90の成績を残しました。, 2000年ドラフト3位 設置者:学校法人東福岡学園 平成29年8月2日~19日. 横浜ベイスターズ/横浜DeNAベイスターズ (2003 - 2012) 校訓:「努力に勝る天才なし」「意志あるところ道あり」 サンフランシスコ・ジャイアンツ (2013) サンフランシスコ・ジャイアンツ(2013) シドニー・ブルーソックス (2015 - 2016) 広陵高等学校 広島カープ(1953-1958), 1990年代後半からホークスの外野手として活躍し続けた名選手です。 第4回福岡地区高等学校新人野球大会外部リンク. 最高出塁率(1989年) 北海道日本ハムファイターズ(2015-), 俊足と堅実な守備が売りのホークスのセカンドです。 シード. 福岡ダイエーホークス/福岡ソフトバンクホークス(2002-2011) 日本ハムファイターズ/北海道日本ハムファイターズ (2000 - 2012) 東北楽天ゴールデンイーグルス (2012 - 2015) 阪神タイガース(1990-2000) オリックス・ブルーウェーブ (1998 - 1999) 東浜 巨(ひがしはま なお、1990年 6月20日 - )は、沖縄県 うるま市出身のプロ野球 選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 経歴 プロ入り前. 1回戦. オリックス・バファローズ (2012 - ), 森 雄大(もり ゆうだい、1994年8月19日 - ) ニューヨーク・メッツ(2001) ゴールデングラブ賞3回(2013年-2014年、2016年), 2002年自由獲得枠 ヤクルトスワローズ/東京ヤクルトスワローズ (2004 - 2007), 大野 隆治(おおの りゅうじ、1980年5月11日 - ) 福岡ソフトバンクホークス (2013 - ), 上園 啓史(うえぞの けいじ、1984年6月30日 - ) 通算1452試合に出場し1382安打・54本塁打・打率.282の成績を残しました。, ベストナイン2回(1998年.2000年) ヤクルトスワローズ (2000 - 2004) 名古屋軍/中部日本/中部日本ドラゴンズ (1942-1943,1946-1947) JR東海 お祭り男としてオールスターではMVPを2度、優秀選手賞を3度獲得しています。, ベストナイン3回(1993年.2000年.2004年) 左投左打/外野手/1988年 ドラフト6位, 東福岡高等学校 東筑紫学園高校(福岡県)出身のプロ野球選手一覧 福岡ダイエーホークス(1991), 「和製ディマジオ」と呼ばれ、シーズン打点数(161)・塁打数(376)・得点数(143)のプロ野球記録は今も破られていません。 福岡ソフトバンクホークス(2012-2015), 2000年代のオリックスを支え続けた名捕手です。 右投右打/投手/2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目, 東福岡高等学校 福岡ソフトバンクホークス (2014-), 2016年まで通算48勝ながら、2012年に素晴らしい活躍(最優秀防御率・最優秀選手・ベストナイン・最優秀バッテリー賞)をしたピッチャーです。 國學院大學 ベストナイン5回(1988年-1991年.1994年) 東筑紫学園高等学校(ひがしちくし がくえん こうとうがっこう) 国公私立:私立学校 設置者:学校法人東筑紫学園 設立年:1936年 創立者:宇城カ子 共学・別学:男女共学 所在地:福岡県北九州市小倉北区清水4-10-1. ゴールデングラブ賞6回(1981年-1985年.1987年), 直方学園高等学校 7番 山本 和範(DH) 福岡第一高等学校 設立年月日:1955年(昭和30年)11月10日 愛知工業大学 東 克樹(あずま かつき、1995年11月29日 - )は、三重県四日市市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。, 四日市市立三重北小学校1年時から軟式野球チーム「三重クラブ野球少年団」で野球を始める。四日市市立大池中学校時代は「四日市トップエースボーイズ」に所属し[3]、野茂英雄が総監督を務める「JUNIOR ALL JAPAN(NOMOジャパン)」の一員としてアメリカ遠征を経験した[4]。, 愛工大名電高校へ進学後は、1年夏の選手権愛知大会で2試合に先発した[5]。2年時にはチームが春夏連続で全国大会に出場したが、1学年先輩の濱田達郎がエースだったことから、いずれの大会でも登板の機会がなかった。2年秋に濱田からエースの座を引き継ぐと、3年の夏にも選手権本大会へ出場。聖光学院高校との初戦に先発で初めて甲子園のマウンドを踏んだが、5回まで被安打2と好投しながら逆転負けを喫した[5]。, 高校卒業後に進学した立命館大学では、1年の秋から救援投手として関西学生野球のリーグ戦に登板。2年時に左肘痛を発症したため、秋のリーグ戦に登板せず、左肘の治療と下半身の強化に専念した。2学年先輩の桜井俊貴からエースの座を継いだ3年[6]の春季リーグ戦では、京都大学との1回戦でノーヒットノーランを達成する[7]などの活躍で、リーグのMVP、最優秀投手、ベストナインを受賞。チームを3季連続のリーグ優勝に導き[8]、全日本大学野球選手権大会にも出場した。4年の春季リーグ戦では、関西大学との1回戦で再びノーヒットノーランを達成。同じ投手による複数回の達成は、関西学生野球リーグ戦史上初の快挙であった[9]。在学中には、リーグ戦で通算41試合に登板。通算投球イニングは231回2/3で、19勝9敗、防御率1.05、235奪三振という成績を残した[10]。, 大学4年時の2017年には、第41回日米大学野球選手権と第29回ユニバーシアードの日本代表に選出。先発投手として2試合に登板した日米大学野球では、通算11イニングを無失点に抑え、最優秀投手賞を受賞した[4]。ユニバーシアードでは、予選ラウンドのメキシコ戦、準決勝の韓国戦に先発登板。いずれも8回を無失点に抑えて白星を挙げ、チームの優勝に貢献した[11][12]。大学の2学年後輩に坂本裕哉がおり、寮では同部屋だった[13]。, 2017年のNPBドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名。NPB全12球団のうち、この会議で1巡目選手の交渉権を単独で確定させた球団はDeNAのみだった[3]。契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は11。, 2018年、石田健大・今永昇太・濵口遥大に続く左腕の先発要員として、春季キャンプを一軍で過ごした[14]。オープン戦での登板3試合を全て無失点に抑えたことから、レギュラーシーズンの開幕から一軍のローテーションに入る[15]と、4月5日の対阪神タイガース戦(横浜スタジアム)で先発投手として公式戦にデビュー。黒星を喫したものの、7回1失点という好投で、阪神打線から9個の三振を奪った[16]。次に先発した4月12日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でプロ初勝利を挙げる[17]と、4月19日の巨人戦(横浜)で2勝目をマーク[注釈 1][18]。5月16日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で、シーズン3勝目をプロ入り後初の完封で記録し、この年のNPB全12球団の新人投手による完封勝利一番乗りを果たした[19]。その後も一軍の先発ローテーションに定着すると、6月末までにチームトップの6勝をマーク。オールスターゲームには、セントラル・リーグの監督推薦選手として、NPB全球団の新人選手からただ1人出場した[20]。対巨人戦にはとりわけ強く、前述のプロ初勝利からシーズン11勝目を挙げた9月19日(東京ドーム)まで、登板した5試合すべてで勝利投手になった[注釈 2]。9月19日の対戦では、7回裏2死にケーシー・マギーからソロ本塁打を浴びるまで、1人の走者も出さなかった[21]。ただし、シーズンの最後に対戦した9月28日の試合(東京ドーム)では、7回無失点で降板しながらチームがサヨナラ負けを喫している。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦24試合に登板し、新人でただ1人リーグの規定投球回に到達。リーグ2位(左投手ではトップ)の防御率2.45や、チームトップの11勝(5敗)を記録し[注釈 3]、セ・リーグの新人王に選出。選出の基準になる記者投票では、得票率が99%に達していた[22]。しかし、シーズン終了後に左肘の炎症が判明。11月開催の日米野球で日本代表に選ばれていたが、この炎症の影響で、出場辞退を余儀なくされた[23]。, 2019年、1月の自主トレーニング期間中に左肘の炎症が再発したため、途中からノースローで調整。春季キャンプ以降も、二軍での調整に専念した[24]。5月6日の対巨人戦(横浜)に先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを経験したが、プロ入り後自己ワーストの内容(3回8失点)で黒星を喫し、前年から続いていた同カードでの連勝が5で止まった[25]。5月15日の対中日戦(横浜)で6回1失点に抑えてシーズン初勝利を挙げたものの、以降も左肘の状態が芳しくなく、一軍と二軍を往復。8月23日の対巨人戦(東京ドーム)の登板を最後に戦列を離れ、シーズン全体では、一軍公式戦7試合の登板で4勝(2敗)にとどまった。, 2020年、苗字が同音異字(あづま)である東妻純平が入団したことに伴って、ユニフォームの背ネームが「K.AZUMA」に変更された。しかし、左肘痛が完治しないまま春季キャンプを二軍でスタート。キャンプ中の2月8日に左肘の内側側副靱帯を損傷していることが判明したため、同月20日にトミー・ジョン手術を受けた[26]。実戦への復帰に1年半ほどの期間を要することが見込まれたが、球団では東を育成選手契約へ移行させずに、左肘が完治するまで支配下選手登録を続ける意向を示している[27]。, 投手としては小柄な身体(身長170cm)ながら、オーバースロー[28]から最速152km/h(プロ入り後の最速は151km/h)[29]のストレート、チェンジアップ、スライダー、ツーシーム、カーブを投げ分ける[30]。チェンジアップへの評価が特に高い[31][32]。, 投球時に上体を三塁側へ仰向け気味に倒しながら腕を振るため、リリースポイントが高く、角度のついた球をストライクゾーンのコーナーへ投げ込めることが特徴[6]。目標の選手に、自身と同じ左投手の石川雅規や田口麗斗を挙げている[6]。, 好きな女優は土屋太鳳で、DeNAの球団合宿所(旧「青星寮」)へ入寮した際に、土屋のサイン色紙を持ち込んだ[33]。, 大学の後輩だった坂本裕哉がDeNA入団後は、東がコーチ役を自ら買って出て、技術面だけでなくメンタルの保ち方などの助言を送っていたという[34]。, 幼少期には巨人を応援していた[18]。大学4年秋のNPBドラフト会議では、どの球団からの指名も歓迎する姿勢を示していた[35]が、DeNAによる1巡目での単独指名までは想定していなかったという[36]。, DeNAへの入団後から使用しているグラブには、「金運と白星をつかむ」という意味で金色のうんこマーク()と白色の星マーク(☆)の刺繍を掌の部分に施している[33][37]。自身のTwitterアカウントではそのグラブの写真がヘッダー画像として使われている。, DeNA1年目の2018年6月15日には、京セラドーム大阪での対オリックス・バファローズ戦に登板。東の出身地(四日市市)の西隣にある菰野町出身の西勇輝と先発で投げ合ったが、5回途中7失点という内容で西の後塵を拝した。NPBの一軍公式戦で、正反対の方角を示す苗字の投手同士が先発で対戦した事例は、この試合での東と西が初めてである[38]。, セ・リーグ球団に所属する新人投手が巨人との公式戦で初登板から5戦5勝を記録した事例は, DeNAの新人左腕投手が一軍公式戦11勝でレギュラーシーズンを終えた事例は、大洋ホエールズ時代の, 小兵ながら最速152km/h!侍ジャパン大学代表の東克樹(立命館大)が世界の頂点目指す, “DeNA 今年も大卒ルーキーが開幕ローテ入り!ドラフト2位・坂本 3回1安打零封で当確”, https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/06/14/kiji/20200613s00001173403000c.html, “DeNA左腕カルテット“勢ぞろい”!高田GM、ドラフト1位東に大満足「ほれぼれする」”, http://www.sanspo.com/baseball/news/20180209/den18020905020002-n2.html, “DeNAドラフト1位・東、無失点のまま開幕へ 初の本拠地マウンド「投げやすかった」”, http://www.sanspo.com/baseball/news/20180325/den18032520040010-n1.html, https://www.daily.co.jp/baseball/2018/04/05/0011136879.shtml, https://www.daily.co.jp/baseball/2018/04/12/0011158549.shtml, https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/04/20/kiji/20180419s00001173509000c.html, https://www.daily.co.jp/baseball/2018/05/16/0011262121.shtml, https://www.nikkansports.com/baseball/news/201809190000707.html, https://full-count.jp/2018/11/27/post256605/, https://www.sanspo.com/baseball/news/20190126/den19012605020001-n1.html, https://www.nikkansports.com/baseball/news/201905060000729.html, https://www.baystars.co.jp/news/2020/02/0220_04.php, http://www.hb-nippon.com/player/4886?page=2, https://www.sanspo.com/baseball/news/20180420/den18042008000003-n1.html, https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/06/09/kiji/20180609s00001173101000c.html, https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1931019/, https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/10/25/kiji/20171024s00001089282000c.html, https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/809965/, http://www.sanspo.com/baseball/news/20180215/den18021512180005-n1.html, https://www.nikkansports.com/baseball/news/201806150000872.html, 東克樹(横浜DeNAベイスターズ) - 週刊ベースボールONLINE|プロフィール・年度別出場成績・速報・ニュース&コラム・掲示板・最新情報, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=東克樹&oldid=80025781, 初安打・初打点:2018年4月12日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、1回表に.