広島と長崎への原爆投下から72年たった今年、核兵器を人道的な側面から否定する核兵器禁止条約を人類は手にした。, ICANのベアトリス・フィン事務局長は9月、国連での条約署名式で、広島・長崎の被爆者にこう言及した。「あなた方が与えてくれた証言に、取り組みに、そして条約実現へのあらゆる貢献に、感謝します」, ICAN受賞決定の原点には「悲劇を繰り返してはならない」と声を上げ続けた被爆者たちがいる。これは被爆者立ち絵の受賞と言っても過言ではない。「ヒロシマ・ナガサキ」と聞き、人類は使用を踏むとどまってきたともいえる。, ICANのノーベル平和賞授与は、核兵器は許さないという意識を、国際的なうねりに高める後押しとなりえる。「世界が聞く耳を持ってくれることが大きい」(田中てる巳・日本被団協代表委員)と語るように、被爆者たちの証言にも、改めて光が当てられるだろう。, 核兵器が存在する限り、使用されてしまうリスクは消えない。北朝鮮の核への緊張が高まる中で、核禁止を訴えることは理想論ではなく、使えなくするための現実的な対応でもある。条約に反対している核保有国との間で懸け橋になる、との目標に、被爆国・日本の政府は立ち返るべきではないだろうか。核による破壊から人類を救うため、この条約に魂を吹き込んでいく。今回の平和賞は、その決意を世界で共有しようとのメッセージだと受け止めたい。(広島総局長・副島英樹), 核使用懸念 廃絶促す ノーベル平和賞受賞が決まった国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)。広島・長崎の被爆者と共に手をつなぎ、「ヒバクシャ」を全文に盛り込んだ核兵器禁止条約を作り上げた功績が認められた。条約に背を向け続ける日米両政府に再考を迫る声が上がった。, 「うわっ、すごい!」東京都新宿区の「ピースボート」の事務所では6日、パブリックビューイングを実施。ノーベル賞発表の瞬間、歓声が上がった。, ピースボートは、2007年にICANが発足した当時からの賛同団体で、世界一周航海の船に被爆者を乗せ、各地で証言する旅を08年から続けてきた。16歳の時に広島で被爆した三宅信雄さん(89)は「この年まで生きてこられて、この瞬間に立ち会えたのは、本当にうれしい。これまでたくさんの被爆者が亡くなられた。ここにいる若い人たちに思いをつないでいきたい」, 核兵器廃絶を求めて国連に約515万筆の署名を届けた「ヒバクシャ国際署名」のキャンペーンリーダー林田光弘さん(25)は、「核なき世界を求めてきた人たちに大変な励みになる。ただ、これまでもオバマ米大統領が受賞するなどしてきたが、核はなくなっていない。より多くの国が参加する条約になるかどうかは、私たち市民にかかっていると思う」と決意を新たにした。, ピースボートの共同代表でICAN国際運営委員も務める川崎哲さん(48)は「受賞決定は、勇気をもって声を上げてきた広島、長崎の被爆者や世界中の核実験で被害を受けた人たちに向けられたものだ」と指摘。「日本は唯一の戦争被爆国であるにもかかわらず、核禁条約への署名を拒む。そうした動きに再考を迫るものだ」と訴えた。, ICANは、有志国とNGOが連携して成立させた対人地雷禁止条約(99年発効)やクラスター弾禁止条約(10年発効)をモデルに、保有国抜きでの「禁止先行型」の核禁条約を作る知恵袋となった。核産業に融資する銀行や企業の監視活動も行っている。, 川崎さんは、ICANに参加する各国のNGO関係者らと連携しながら、広島・長崎の被爆者らに寄り添って、国連での核禁条約交渉会議や署名式に参加してきた。「20世紀の遺物である核兵器を、20世紀に生まれたぼくたちはなくす責任がある。体験を語れる被爆者が少なくなる中で、核禁条約を残すことが、本当の意味での継承になる」と信じている。(杉原里美、清水大輔), 「日本政府は考え直して ICANの“顔”サーロー節子さん」 約50人がインターネット回線で映像をみつめたパブリックビューイング。ノーベル賞発表の瞬間、歓声が上がった。世界各地で証言を続けてきた被爆者たちは、手を握り合い、抱き合って涙ぐむ人も。司会者が改めて「ICANが受賞しました」と紹介すると、若者たちから拍手が起きた。, ピースボートは、2007年にICANが発足した当時からの賛同団体で、世界一周航海の船に被爆者を乗せて、各地で証言する旅を08年から続けてきた。これまでの証言会は10回にのぼり、約100カ国で170人以上の被爆者が被爆体験を語ってきたという。, 16歳のときに広島で被爆した三宅信雄さん(88)は、「この年まで生きてこられて、この瞬間に立ち合えたのは、本当にうれしい。これまでたくさんの被爆者が亡くなられた。ここにいる若い人たちに思いをつないでいきたい」。, 5日、国連に約515万筆の署名を届けた「ヒバクシャ国際署名キャンペーン」のリーダー林田光弘さん(25)は、「核なき世界を求めてきた人たちに大変な励みになる。ただ、これまでもオバマ大統領が受賞するなどしてきたが、核はなくなっていない。より多くの国が参加する条約になるかどうかは、私たち市民にかかっていると思う」と決意を新たにしていた。, 午後7時半からは記者会見が開かれ、共同代表の吉岡達也さん(56)が「心から光栄に思うし、興奮している」と喜びを語った。, ICANの国際委員の1人で、被爆者とともに海外に移動中のピースボート共同代表の川崎哲さんは機内からメッセージを送った。「まず、この受賞は勇気をもって声をあげてきた広島、長崎の被爆者に向けられたものであり、世界中の核実験で被害を受けた人たちに向けられたものだ。日本は唯一の戦争被爆国であるにも関わらず、核兵器禁止条約への署名を拒み、平和憲法を変えようとしている。平和賞の受賞はそうした動きに再考を迫るものだ」(杉原里美、清水大輔) ICANにノーベル平和賞 核兵器禁止条約の制定に努力 平和賞に核廃絶団体 <あさチャンNEWS>ノーベル平和賞のICAN・被爆者と喜び分かち合う ノーベル平和賞にNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」 ノーベル平和賞の世界食糧計画…役割や実績は? 親子スクール・ニュースイチから ノーベル賞 SDGs 生活 2020/11/8 4:00 北朝鮮情勢を巡り、核に対して世の中が「寛容」ともいえる状況になってきていると感じています。日本の政治家が核武装を平然と語り、「安全のためには核兵器は必要だ」と、核へのタブー意識が薄れてきました。今回の平和賞が、世界が悪い方向へ向かっているのを揺り戻すきっかけになればと思います。, 被爆者が訴えてきたのは核兵器の絶対否定です。力や暴力で何かを動かそうとした結果として、その被害を肌身で感じてきた被爆者の声は真実なのです。その真実をスタート地点にしなければと思います。核兵器禁止条約は、ICANをはじめ市民会の貢献なしには実現しませんでした。核不拡散条約(NPT)体制での核軍縮が停滞している現状で、条約は核兵器のもたらす非人道性やリスクに大きな警鐘を鳴らしています。それはまさに、被爆者と市民社会が訴えてきたことです。, 長年、平和運動や反核運動はありましたが、ICANなどの市民社会の動きは核禁条約を作るという一点で、様々な分野で活躍する人が集まって、知恵と力を出し合った。大同小異、違いを乗り越えて新しい風をもたらしました。, ICANは核軍縮に関する国際会議のたびに被爆者を招いてフォーラムを開いてきました。核兵器廃絶運動にかかわる若い人が被爆者の話を聞き語りあることで、自らが核の問題に携わっていく意義を再確認する。そうやって人の層を広げました。, 核兵器禁止条約において、広島・長崎と被爆者がこれまで行ってきたことは市民社会の動きを支えるうえで不可欠なものでした。私もそうですが、こういった活動に携わる人は被爆者と会って話すことが原体験になる。核兵器がない方がいいことを頭で分かっているだけでは限界があります。自分が動かないといけない、自分に役割があると強く思って動くためには、原体験が必要なのです。, 9月に亡くなった、長崎大学元学長で長崎の平和運動の中心的存在だった土山秀夫先生は常々、核兵器廃絶の運動を進めるには「理性と感性」が必要だとおっしゃっていました。核禁条約に至った、市民社会や被爆者によるこのプロセスは、まさにこの言葉と合致するものです。, 日本における核兵器廃絶運動が、被爆者の存在に頼りすぎていた側面は否めません。被爆者がいなくなっていく中、全ての世代が主人公になっていくしかない。ノーベル賞は、核の問題が特殊な誰かの問題ではなく、みんなの問題であるという警鐘でもあると思います。広島と長崎、被爆者だけの問題ではないと意識が変わるきっかけになっていかないといけない。ノーベル賞には、そんなメッセージが込められていると思います。, 「核廃絶運動 世界に新たなうねりを」社説 「一発の爆弾が、今も被爆者を放射線の被害で苦しめている。核と人類は共存できない」(14年12月、ウィーン), 「被爆から70年になろうとしているのに、現状は変わっていない。今こそ行動する時だ」(同2月、メキシコ), こうした活動が、条約へと結実した。だが条約採択後も米政府は各国に署名しないように圧力をかける。そして「核の傘」に依存する日本は唯一の戦争被爆国なのに、条約に署名・批准しようとしない。 今年のノーベル平和賞が、核兵器禁止条約の生手を推進した非政府組織(NGO)連合である核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に授与されることになった。「核なき世界」の理想を実現するために後押ししようというノーベル賞委員会の強いメッセージである。草の根による国際連携の取り組みが評価されたことに注目したい。, ICANは、核兵器廃絶を目指す各国のNGOが集まって2007年に発足した。現在は約100か国の400団体以上が参加している。日本からは「ピースボート」共同代表の川崎哲が国際運営委員の一人として加わっている。広島や長崎の被爆者で作る日本原水爆被害者団体協議会とも連携してきた。受賞の知らせにICANは「広島と長崎のヒバクシャ」への受賞でもあるとコメントした。被爆も悲惨な実態を世界に訴え続けてきた活動への評価でもある。同時に北朝鮮の核開発で緊迫する世界の現状への警告という意味を持つ。ノーベル賞委員会は授賞理由の中で北朝鮮の名を挙げ、核拡散が深刻な脅威になっていると指摘した。ICANのフィン事務局長は「核による脅しも核開発も違法であり、中止すべきだ」と対立を激化させている北朝鮮の金正恩政権とトランプ米大統領にメッセージを送った。, ICANの活動は、オーストリアなどの多くの非核保有国を動かし、今年7月に122か国の賛成で採択された核兵器禁止条約に結実した。今回の決定はこうした国際世論の広がりを反映したと考えられる。, また、核削減が進まない現状への警告と受け止めたい。米国やロシア、中国などの核保有国は署名を拒否している。ノーベル賞委員会は、核保有校をいかに巻き込むかが今後の課題であるとして、国際社会の取り組みを促した。日本政府は、韓国や豪州、欧諸国とともに核兵器禁止条約の交渉に参加しなかった。米国の同盟国であり、自国の安全保障を米国の「核の傘」に依存しているという現実と矛盾するという理由からだ。世界で唯一の被爆国として、今回の決定を歓迎したい。であるからこそ、日本の核兵器禁止条約への不参加が残念でならない。, 朝日新聞 デジタル 17.10.6 私たちピースボートが国際運営団体の一つとして活動してきたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞しました。, 今回のノーベル平和賞は、まさに筆舌に尽くしがたい苦悩を体験され、それを乗り越え、核兵器廃絶のため、長く地道な努力を積み重ねられてきたヒロシマ・ナガサキの被爆者の皆さんに対して授与されたものと理解しています。, ピースボートは、国際交流を目的に行っている世界一周クルーズによって、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の皆さんの声を、世界へと届けてきました。, この10年間にのべ200人近い被爆者の方々を約100ヶ国にお連れし、昨年ノーベル平和賞を受賞されたコロンビアのサントス大統領やキューバの故カストロ議長をはじめ各国の首脳や大臣、国会議員への申し入れを行い、同時に各国の市民、学生への証言会も行ってきています。, ICANの事務局長が、受賞後述べているように、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の世界各地での証言は、今回のノーベル平和賞受賞の直接的理由にもなった、今年7月の核兵器禁止条約の合意に対して非常に大きな役割を果たしたと確信しております。, もう一つ、この受賞において忘れてはならないのは、今、目の前に迫っている朝鮮半島での核戦争の危機です。米朝のリーダーのおよそ外交の常識では考えられない言葉と軍事行動による威嚇は、戦後最大と言っていい核戦争の危機を生み出しています。今回のノーベル平和賞の選考委員たちは、この現実の核戦争の危機を回避するための具体的な法的枠組みとして、核兵器禁止条約の批准推進に期待したのだと思います。, そして最後に、これは核兵器禁止条約に背を向ける日本政府への厳しい批判でもあるということです。, 世界で唯一、核兵器攻撃によって被爆した日本。広島で14万人、長崎で7万人が一瞬にして犠牲となり、さらに生き残った方々も放射能被曝によって長年にわたり苦しみ、多く方々が亡くなっています。そのような体験を有する日本がなぜ、国際社会における核兵器禁止のリーダーシップを取らないのか?それどころか、核保有国とともにそれを阻止しようとするのか?今回のノーベル平和賞は日本の被爆者の方々への授与であるとともに、国際社会による日本政府と日本の国民の倫理観に対する、厳しい問いかけでもあるのだと思います。, 日本はヒロシマ・ナガサキを体験したにも関わらず、放射能の危険を顧みず原発建設を推し進め、その数は54基にものぼりました。そして、福島第一の事故が起こります。しかし、それでもなお日本政府は再び再稼働を進めようとしています。それは、まさしく、ヒロシマ・ナガサキを体験したにも関わらず、核兵器禁止条約に背を向けることと同質の倫理観の欠如ではないでしょうか?, ドイツが福島第一の事故後、エネルギーに関する「倫理委員会」によって脱原発を決定したことが思い出されます。ピースボートは今後もICANの中心メンバーとして「核兵器も原発もない持続可能な世界の実現」を目指し、今後も被爆者の皆さんと世界を巡りながら活動してまいります。, 時事通信社 17,10,7 初心者の世界一周体験ブログ|口コミや真実レビュー|ダイヤモンドプリンセス・ピースボート。サンプリンセスなどの費用と評判とは?, 2017年ノーベル平和賞を国際NGO『ICAN』が受賞しました。 オスロ=角谷志保美 サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko Thurlow、1932年1月3日 - )は、広島県広島市南区出身[2]でカナダのトロント市在住[2]の被爆者、反核運動家[5]。セツコ・サーロー[1][3]の日本語表記もある。, 中村節子として[1]、広島市南区で生まれた。父はドイツ人の共同経営者とともにアメリカ合衆国(米国)カリフォルニア州で「西部フルーツ会社」を起業し果実業を営んでいた[1]。姉の息子に、俳優のジョージ・タケイがいる[6]。, 広島女学院(現広島女学院中学校・高等学校)に進学、後に学徒勤労動員され、大日本帝国陸軍第2総軍司令部[7]で暗号解読作業の訓練を受けた[1][3]。正規の暗号解読助手になって最初の日である1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.8㎞離れた同司令部で被爆、建物の下敷きになったが九死に一生を得た[1][3]。このとき8人の親族や多くの同窓生を失った[5]。, 広島女学院大学卒業[3]後、1954年米国に留学[5]、リンチバーグ大学(英語版)で1年間社会学を学んだ[1]。1955年、ワシントンD.C.でカナダ出身の関西学院の英語教師と結婚[1][3]。夫婦でトロントに移住し、トロント大学で社会福祉事業の修士号を取得、ソーシャルワーカーになった[1][3]。, 当地の友人らとともに、広島・長崎の被爆写真パネルの展示など世論を喚起する活動を始め、後にカナダ・米国・イギリス・日本などで、被爆体験を語り核兵器廃絶を訴えてきた[1][5]。核兵器禁止条約採択に際して、多くの国の代表が彼女の演説によって心を動かされたと述べており、中には彼女が特別な役割を果たしてきたと発言する者もあった[5]。, 2017年12月のノーベル平和賞授賞式では、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)事務局長のベアトリス・フィンとともに記念のメダルと賞状を受け取り、受賞講演を行った[8][9][10][2]。, http://www.antiatom.org/GSKY/jp/Hbksh/1008_setsuko-WC10.html, http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=394794&comment_sub_id=0&category_id=112, https://kotobank.jp/word/%E3%82%BB%E3%83%84%E3%82%B3+%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC-1681805, “広島で被爆後、受洗、渡米… サーロー節子さん来日 〝核廃絶に向け祈りと共に行動を〟 2019年1月21日」”, http://www.kirishin.com/2019/01/21/22283/, “2017年8月12日放送「明日世界が終わるとしても『核なき世界へ ことばを探す サーロー節子』」”, https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4231/2396598/index.html, http://www.asahi.com/articles/ASKDB2RW2KDBUHBI003.html, http://www.yomiuri.co.jp/world/20171210-OYT1T50080.html, https://mainichi.jp/articles/20171211/k00/00m/030/081000c, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=サーロー節子&oldid=74735107. の成立に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞が決まったことを受け、賛同団体のNGO「ピースボート」は9日、東京都内で支援者らに報告会を開いて喜びを分かち合った。, ICANは2007年に発足し、賛同団体は101カ国の468団体(10月1日時点)に及ぶ。, 「受賞は核兵器廃絶に取り組んだすべての人たちの運動に対するもの。みんなでおめでとうと言い合おう」, 冒頭、ピースボート共同代表で、ICANの国際運営委員を務める川崎哲(あきら)さん(48)がこう語りかけると、集まった約100人から大きな拍手が起きた。, 東京新聞web 10/7【ニューヨーク時事】, 2017年10月7日(土) 米国務省高官は6日、2017年ノーベル平和賞に「核兵器禁止条約」の実現に取り組んできた世界の市民団体の連合体「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が決まったことに関し、「受賞により同条約への米国の姿勢が変わることは無い」と述べ、同条約の方針を支持せず署名しない方針を改めて表明した。, 高官は同条約について「核抑止を必要とする現在の安全保障上の課題を無視している」と指摘。「米国は核拡散防止条約(NPT)の義務を果たし、核の危険性の低減に向け、各国と連携していく」と強調した。, 一方、国連のグレテス事務総長は6日、報道官を通じて声明を出した。国際社会の現状を「冷戦以来、核兵器への懸念が最も高まる」と指摘して、核開発を進める北朝鮮を念頭に置いた。「すべての国に「核なき社会」実現のための取り組みを求める」と訴え、ICANの核兵器禁止条約採択への貢献を称賛した。, 国連の中満泉・軍縮担当上級代表は6日、「核兵器禁止条約の採択に大きな力を注ぎこんだ」と貢献を称えた。国連本部内で記者団に語った。, 核廃絶NGOに平和賞  ノーベル平和賞に決まった国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は、被爆者の声を届けることで非核保有国の背中を押し、国連での核兵器禁止条約採択の立役者となった。ただ、核保有国は条約に反発。核軍縮も停滞している。ノーベル委員会は「核兵器が使われる危険がかつてなく高まっている」と懸念を示し、核保有国に対して、廃絶に向けた真剣な交渉を始めるように促した。, スイス・ジュネーブのICAN事務所には、報道陣が駆け付けた。ベアトリス・フィン事務局長(34)は、「核保有国や安全保障を核に頼る国々に対し、そうした行為は受け入れられないとのメッセージが送られた」と語った。さらに記者会見では、「彼ら(被爆者)が体験を話すことで、核の使用に対する認識を高めてきた。核兵器が使われたとき何が起こるか。人々に何が起こるか。我々は、実際に使われたときにどうなるのかを基準にして、兵器を容認できるかどうかを判断する必要がある」と述べた。, ICANは、1985年にノーベル平和賞を受賞した核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が事実上の母体となって、2007年に設立された。目的は核兵器禁止条約の実現だった。, 運動の広げ方はシンプルだった。活動への賛同を表明したグループには、資金も会議の出席も求めず、ビデをなどの素材を提供。どこの国でも同じ内容で各国政府に働き掛けてもらえる国際ネットワークを目指した。賛同団体は101か国、468団体に広がった。, 活動で大きな役割を果たしたのが被爆者だった。日本水爆被害者団体協議会(日本日団協)などとともに、被爆証言を世界に広める形で原爆被害の実相に基づく人道主義的なキャンペーンを行った。, 国際社会で一十は停滞した核廃絶の機運が被爆者の証言で再び高まった。その機を逃さず、核禁条約の実現に向けて動いたのがICANだった。核禁条約の採択を約1週間後に控えた今年6月末、あるICAN関係者は「各国代表部に採決に出てくれるように電話をかけ続けている」と疲れた様子で漏らした。国連加盟国は193だが、米国やロシアなどの核保有国や、日本など核保有国の「核の傘」に依存する国々など60か国が条約交渉に加わらなかった。そのため、できるだけ多くの国に採択に参加してもらう必要があった。 ノルウェーのノーベル委員会は6日、2017年のノーベル平和賞を、核兵器の非合法化と廃絶を目指すNGOで、今年の核兵器禁止条約成立に貢献した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に与えると発表した。授賞式は12月10日にオスロである。, ライスアンデシェン委員長は授賞理由について「核兵器使用がもたらす破滅的な人道面での結末を人々に気付かせ、条約に基づく核兵器禁止の実現への画期的な努力を重ねてきた」と説明。「今年の受賞は核軍縮に取り組むすべての人々に捧げるものだ」と語った。受賞には、足踏みが続いている世界の核廃絶に向けた取り組みを促す狙いがありそうだ。, ICANは、賛同する世界のグループを巻き込んで各国政府に働きかけるなどし、核兵器禁止条約の成立を求める運動を先導した。賛同団体は10月1日時点で101か国の468団体に広がる。日本からはNGO「ピースボート」川崎哲共同代表(48)が国際運営委員に名を連ねる。委員長は、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に触れ、「核兵器が使われる危機はかつてなく高まっている」との現状認識を示した。そのうえで、地雷やクラスター爆弾、生物化学兵器を禁止する条約はあるのに、核兵器を禁止する条約がなかった点を指摘。条約成立に向けたICANの努力を高く評価した。, 一方、条約には核保有国やその同盟国が参加していないことにも言及。こうした国々が世界に残る核兵器の廃絶を進めるよう、具体的な行動を強く促した。また「世界の人々は核兵器で守られたくない」とも述べ、米国の「核の傘」で守られている日本のような国々にも核軍縮に取り組むよう求めた形だ。, ICANはこれまで、広島での被爆体験の証言を続けるカナダ在住のサーロー節子さん(85)ら、核兵器の被害の実態を訴える日本の被爆者の声を広く世界に伝える役割も果たしてきた。ICANのベアトリス・フィン事務局長は報道陣に「この受賞は原爆の犠牲者、被爆者に対する敬意だ」と述べた。その後の記者会見では、オスロの授賞式に「個人的には被爆者に来てほしい。我々の賞であるとともに、彼らの賞だ」と語った。, 「被爆者の声 受賞の原点」 【ニューヨーク時事】今年のノーベル平和賞受賞が決定した国際的なNGOの連合体「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」で国際運営委員を務める川崎哲さん(48)が6日、アイスランドに向かう経由地の米ニュージャージー州の空港で記者団の取材に応じた。川崎さんは「核兵器廃絶のために努力してきた全ての人々への賞だ。被爆者の活動が認められた」と喜びを語るとともに、「被爆者の皆さんも受賞したと考えるべきだと思うし、それを誇りに感じてもらいたい」と訴えた。, 川崎さんは、ICANに参加する国際NGO「ピースボート」の共同代表。ピースボートは2008年から広島・長崎の被爆者と共に船で世界各地を回り、被爆体験を現地の人々に伝える活動に取り組んできた。活動に参加した被爆者は170人に上り、既に亡くなった人も多いという。, 川崎さんは「授賞理由の中に(ICANが)核の非人道性への認識を広める活動をしてきたと書かれてあった。それはまさに被爆者の人たちが実際にやってきたことだ」と指摘し、今回のノーベル平和賞は被爆者にも贈られたものとの見方を示した。, 7月に国連で採択された核兵器禁止条約については「今回の受賞をきっかけに、多くの国に一刻も早く署名、批准するよう働き掛けていく」と強調。条約に反対する日本政府にも再考を促す考えを示した。, 川崎さんはICANで10年から副代表、12〜14年に共同代表を務めるなど中心メンバーとして活動を続けている。, ロイター通信 17,10,9 2017年のノーベル平和賞が核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に授与されました。ノルウェー・ノーベル委員会が6日、発表しました。, ICANは核兵器禁止条約の制定などを訴えてきたNGO(非政府組織)の連合体。2007年にウィーンで旗揚げし、現在、日本を含む100カ国以上に組織があります。, 授賞理由の発表で同委員会は、「どのような核兵器の使用も人類に破滅的結果をもたらすことに注目を集める活動と、核兵器を条約に基づいて禁止することを達成するという前例のない努力」を挙げました。, 「われわれの住む世界は、核兵器の使われる危険がこれまでになく大きくなっている」として、保有国の核兵器改良の動きや北朝鮮による核開発を指摘。ICANへの授賞は、核兵器保有国に対し核廃絶を真剣に交渉するよう求めるものでもあると強調しました。, 日本共産党の志位和夫委員長は今年3月、核兵器禁止条約の国連会議に出席した際、ICANのベアトリス・フィン事務局長、国際運営グループ共同議長の川崎哲(あきら)さんらと懇談し、条約の採択に向けた協力を確認。7月の国連会議の際には、条約の採択をともに喜び合いました。, ノーベル平和賞発表の瞬間を生中継で見る集会(ピースボート主催)が6日、東京都新宿区内で開かれ核兵器禁止条約を推進したICANが受賞すると、会場は拍手と歓声に包まれました。, 被爆者の三宅信雄さん(88)は「被爆者と市民の長年の運動が認められたということです。大変意義がある」と喜びました。広島出身の女優・東ちづるさんは、涙を流しながら、「夢のよう。これを受け止め、日本が(核兵器禁止を)どのように発信していくかが問われている」とのべました。, ノーベル平和賞「このときに受賞、意味がある」構成団体のピースボートが喜びの声 中村桂子さん 長崎大学 核兵器廃絶研究センター准教授 ICAN川崎さんが平和賞報告会 「口をつぐむべきか、それともあえて公の場で発言をすべきか。その時に将来の方向が決まりましたね」(10年4月、ビデオでの証言), カナダ移住後の76年8月6日、トロン炉で平和を祈る「ヒロシマデー」を企画。以後世界に向け、ある時は激しく、ある時は呼びかけるように言葉を紡いだ。 ピースボート「瞬間に立ち会えて…」 ICANに平和賞 「核兵器のない世界を」―。6日、ノーベル平和賞に決まった国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)。国を超えて繋がり、思いを訴えようと呼びかけた創設者は、受賞決定に笑顔を見せた。, ICAN創設者の一人であるオーストラリア人の医師、ティルマン・ラフさん(62)は6日、メルボルンの自宅で、ノーベル平和賞発表のウェブサイトを見守った。「条約の歴史的な意義と、各国政府と国際機関、市民社会が連携する大切さを認めてもらえた。米国と北朝鮮の間で核危機がエスカレートする中、受賞決定はすべての国々に条約への参加を促す後押しになる」と喜んだ。, ラフさんは、1985年に平和賞を得た核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のメンバーだ。, ICANが生まれたきっかけは2005年、核不拡散条約(NPT)再検討会議が、何の成果もなく閉幕したことだったという。核廃絶への動きが停滞する中、「これを打ち破る何か新しい取り組みが必要だ」という危機感が核兵器に反対する人々に広がった。, 兵器を規制する国際的な動きでは、NGO「地雷禁止国際キャンペーン」(ICBL)の主導で、1997年に対人地雷全面禁止条約が成立していた。これらにヒントを得たラフさんら豪州のメンバーが06年9月、IPPNWの世界大会で核兵器禁止の条約作りを提案した。取り組みには拠点が必要だと07年4月、メルボルンに事務所を開いた。, 取り組みの中で焦点を当てたのは、国際政治や安全保障ではなく、核兵器が人々の健康や社会、環境に多大な被害をもたらす人道的な側面だ。中でも大きな役割を果たしたのは4被爆者たちの訴えだという。「(広島や長崎の)ヒバクシャや(米英仏が太平洋の島国や豪州で行った)核実験の生存者たちのストーリーはいつも、人々の心を動かした」, 唯一の戦争被爆国でもある日本の不参加、ラフさんは「深く失望している」と語る。しかし、今回の受賞決定を機に条約への参加が国際社会に広がることで、参加を渋る国々の態度が変わることを期待する。「(条約という)規範の力は大きい。それを支える各国政府と市民社会の努力を過小評価すべきではない」(メルボルン=小暮哲夫), 「日本の外交政策 転換点に」 核廃絶「ICAN」平和賞 スポーツ バレーボール スイス・ジュネーブの核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)事務局は6日、ノーベル賞受賞決定を受けて発表した声明で「今回のノーベル平和賞決定は、広島、長崎の被爆者や(第五福竜丸事件のような)ほかの核実験の犠牲者に贈られる賛辞でもある」と表明した。, 声明は、日本の「ヒバクシャ」に言及したうえで「彼らの証言と働きかけが(核兵器禁止条約という)画期的な合意を確実にするうえで重要な役割を果たした」と活動を評価した。, 被爆者「活動の励みに」 ノルウェーのノーベル賞委員会が6日、世界の市民団体の連合体「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)にノーベル平和賞の授与を決めたのは、核兵器開発を強行する北朝鮮やイランの核問題をめぐって世界的な緊張が高まる中、核廃絶に向けた努力を国際社会に促すためだ。, 同委のライスアンデシェン委員長は6日の記者会見で、北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射実験を繰り返す現状を踏まえ「世界がより危険になっており、核衝突の恐れが差し迫っているとの認識が世界的にある」と危機感を示し、ICANを選んだタイミングの重要性を強調した。, イラン核開発をめぐる合意について、トランプ大統領が破棄を示唆する発言を繰り返すなど、合意が崩壊の危機に直面していることも背景にあるとみられる。, ICANの活動には、国連のパンギムン前事務総長、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世、芸術家のオノ・ヨーコさんなど、多くの著名人も賛同を表明している。参加団体のネットワークは設立から10年で世界規模に広がった。, 背果汁の100万人から核兵器を廃絶する条約をもとめるめっせーじをあつめるビデオ・チェーンレターにも取り組み、広島の高校生たちも参加する。ノーベル賞委員会は、核兵器の非人道性を訴えるICANの手法を高く評価、その発信力を後押しする狙いもある。ロイター通信によると、ICANのフィン事務局長は6日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ大統領へのメッセージとして「核兵器の保有は違法だと知るべきだ」と強調した。, ライスアンデシェン氏は、核保有国5か国を記者会見で名指しし核廃絶への努力を求めた。「今年の平和賞は核兵器の段階的な廃絶に向け、真剣な交渉を始めることを核保有国に求める呼びかけでもある」と述べた。, ノルウェーの歴史学者アレス・スペン氏(72)は、「トランプ米大統領やイラン政府など、核合意に関する全関係者への、「衝突よりも合意を重視すべきだ」という警告の意味合いもあるのだろう」との見方を示した。, 「保有国や日本不参加」 ローマ=笹沢教一 オスロ=角単位志保美 国連のグテーレス事務総長は6日、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のノーベル平和賞受賞決定を「祝福する」との声明を発表した。受賞は再び核兵器が使われた場合の人道的、環境的な結末に焦点を当ててきた市民社会の断固たる努力を認めたものだとしたうえで、「努力が核兵器禁止条約の採択に貢献した」とたたえた。, また、グテーレス氏は、核兵器とすべての大量破壊兵器を廃絶するとのゴールを定めた1946年の最初の国連総会議以来、核軍縮が国連にとっての目標だったと指摘。「核の不安が冷戦以降で最も深刻になっている」として、全加盟国に「核兵器のない世界」の実現に向けてさらなる関与を示すように求めた。, 「核禁条約反対 米改めて強調」 女優の東ちづる(57=一般社団法人「Get in touch」理事長)が6日、都内のピースボートで行われた「ノーベル平和賞 パブリックビューイング」イベントに出席した。, 東は「私は広島で育って子供のころから平和教育を受けてきた。だが、上京して東京で8月6日が普通の日であるということに、今でも違和感を覚えている。言葉をつむいで語り継いでいって、アクションを起こしたい」とあいさつ。, すると、直後の午後6時にピースボートも参加する「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の平和賞受賞が発表された。「北朝鮮など多くの国が核兵器を利用する危機が高まっている中、ICANは大きな役割を果たした」と評価された。スイスのジュネーブに本部を置くICANは100か国、450以上の団体が加盟している。, 涙を流し、思いを共にする関係者たちと抱き合った東は「期待はしていたが夢のよう。新しい扉が開いたのは国際的なメッセージ。被爆者を中心にいろいろな皆さんが頑張ってきたことが評価された。今日はこの場にいられてすごくうれしい」と快挙を喜んだ。, ノーベル平和賞:世界の流れに日本も 惨状から未来へ一歩 ノルウェーのノーベル賞委員会は6日、2017年にノーベル平和賞を、世界の市民団体の連合体「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN 事務局スイス・ジュネーブ)い授与すると発表した。今年7月に国連で採択された「核兵器禁止条約」の実現に向けた活動を評価した。 「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の国際運営委員・川崎哲さん(48)が9日、「ピースボートセンターとうきょう」(東京都新宿区)で、ICANのノーベル平和賞受賞決定を計20人の被爆者らに報告し「核廃絶に取り組んできたすべての人の受賞。みんなでおめでとうと言い合いたい」と喜びを語った。, 川崎さんは、被爆者を含む約100人の参加者を前に、ICAN設立の経緯や7月の核兵器禁止条約採択までの国際情勢を説明。「被爆者が一生懸命に話を伝えたことが核の非人道性を訴えるベースとなっている」と語った。, ピースボートは日本国内では“聞いたことがある程度”の団体かと思います。しかし、世界的にはかなり有名で影響力のあるNGOであることがわかりました。2000年代初頭に国際連合から『国際NGO』の協議ライセンスを受理さ、国際連合からの正式な認定があるので『国際NGOピースボート』と名乗れるようです。, これがピースボートの真実!実際に乗ってわかったピースボートの噂と真相を暴こうじゃないか!, 衝撃!36回で返金『世界一周みらいチケット』って何?ジャパングレイスはコロナ倒産に?, ド田舎の寒い土地から関東にでてきた管理人です。管理人の田舎はJRの駅まで自転車で50分。バス移動が基本の土地(笑)