本人曰く「小さいころから兄ちゃんやその友達とよく一緒にいて年上は慣れている。甘えはしないけどすぐに自分を出して素直になれる」らしく、チームの新人合同練習でもいじられキャラが定着した。, 口数の多さはプロに入っても健在で「ささやき戦術」の使い手でもあるが、杉谷拳士からは「ささやき戦術どころか会話している」、銀次からは「この辺(スイング途中のインパクト寸前)までしゃべってます」と暴露された。田村本人もこれを認め、「大体全員に話しかけて、返してくれる人はずっと話しかけます」と明かしている[8]。, 2017年シーズンから新たにJITTERIN'JINN の「クローバー」を原曲とした応援歌が使われている。また登場曲も、2018年シーズンから自身の名前のイニシャル「TT(Tatsuhiro Tamura)」にちなんでTWICEの「TT -Japanese Ver.-」を使用している。, プロ入り1年目より指導を受けた監督・伊東勤の本拠地最終試合となった2017年10月9日の試合では、登場曲に伊東が好んで歌う来生たかおのGoodbye Dayを使用した[9]。, http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/meikan/2012/144.html, https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/11/30/kiji/20181130s00001173285000c.html, https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811300000576.html, ロッテ田村の“戦術”を他球団選手が次々と暴露「おちょくってきます」/デイリースポーツ online, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=田村龍弘&oldid=80070019, 初先発出場:2014年7月14日、対福岡ソフトバンクホークス13回戦(QVCマリンフィールド)、8番・. 田村 龍弘(たむら たつひろ - 千葉ロッテマリーンズ)の選手情報・プロフィール・成績。他では見られないプロ野球の詳しいデータを掲載。チーム成績、選手成績。 田村 龍弘(たむら たつひろ、1994年5月13日 - )は、大阪府大阪狭山市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 ®ã‚’算出し、, 2.ホームランが出れば同点、勝ち越し、逆転となる場面ならVDUCP(UC)打数としてカウントします。, 3.あとは通常通り安打数/打数で打率、被打率を計算します。, 補足:リードしている(投手ならリードされている)場面ではいくら打っても(打たれても)勝敗要素は変動しないため、VDUCP(UC)にはカウントされません。. ®ã‚’算出し、, 2.ホームランが出れば同点、勝ち越し、逆転となる場面ならVDUCP(UC)打数としてカウントします。, 3.あとは通常通り安打数/打数で打率、被打率を計算します。, 補足:リードしている(投手ならリードされている)場面ではいくら打っても(打たれても)勝敗要素は変動しないため、VDUCP(UC)にはカウントされません。. 2012年度分からの全試合結果、個人別成績、コース別成績、条件別状況別成績、観客動員、セイバーメトリクス、選球眼指標等公開しています。 2020年度 田村 龍弘【ロッテ】打撃成績詳細 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 田村龍弘(たむら・たつひろ)選手のプロフィールと2020年の成績です。千葉ロッテマリーンズ所属 背番号22番 1994.05.13生まれ。ポジションは捕手。右投右打 身長172cm・体重81kg。10月15日現在、2020年シーズン 田村 龍弘 (ロッテ)の成績は、打率.228、長打率.333、出塁率.308でOPSが.641です。 日本プロ野球(npb)の詳細データを提供しています。2012年度分からの全試合結果、個人別成績、コース別成績、条件別状況別成績、観客動員、セイバーメトリクス、選球眼指標等公開しています。 田村 龍弘選手の年俸・背番号の推移について調査してみました。各年度の年俸や打撃成績・投球成績等も確認できます。2020年各出場試合成績も確認でき、打席ごとの結果も見てみよう。 2017年シーズンより、里崎智也の引退後欠番となっていた背番号22を継承することを契約更改にて発表した。, 2017年オフの10月12日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出され[5]、第1戦では延長10回にサヨナラタイムリーを放った。, 2018年は球団の捕手では醍醐猛夫以来49年ぶりとなる全試合出場を果たし、規定打席にも到達[6]。シーズン全試合でマスクをかぶったのは平成では古田敦也、城島健司に次いで3人目である[7]。, 2020年は、6月19日の開幕戦(対ソフトバンク戦。福岡PayPayドーム)「8番・捕手」で出場し開幕スタメン。, チームメイトから「静かなのは寝ている時くらい」と言われるほど口数が多い。光星学院では丸顔とその性格からいじられキャラとして定着しており、先輩から「たこ焼き」と呼ばれていた。試合での円陣も田村が仕切ることが多く、仲井宗基監督は“チームの太陽”として絶対の信頼を置いている。, また、18U日本代表においても全国から集まったチームメイトたちに対してひたすら話しかけ、ちょっかいを出す場面が多く見られた。 田村 龍弘(たむら たつひろ、1994年5月13日 - )は、大阪府大阪狭山市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。, 二人の兄の影響で、小学校から野球を始める。小4時に所属していた浜寺ボーイズで北條史也と出会いチームメイトとなる。その後ジュニアホークスに移り、6年時にエースとして全国制覇(夏春連覇)をなしとげる。中学はオール狭山ボーイズで北條とバッテリーを組み二人で本塁打を量産した。3年時にリーグ日本代表として世界大会4強に貢献する。, 天理高等学校への進学が決まっていたが、北條の誘いで共に青森県の光星学院高等学校へ入学。1年次の秋季大会の仙台育英戦で1試合3本塁打を放ち、レギュラーに定着。2年次には三塁手として夏の甲子園でも4番を務めた。新チーム移行の秋からは捕手へコンバートされている[2]。3年次にはキャプテンを務め[3]、主軸選手としてチームの3期連続甲子園大会準優勝に貢献した。, 第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され、3割を超える高打率をマーク[2]。同じ捕手で1学年下の森友哉との同時出場によって強力打線を目指す監督の小倉全由の意向に伴い、2年次に守っていた三塁手を務め打順も3番に座った。台湾戦などでは幾度も好プレーを見せ、大会全体を通して木製バットでも安定した打率を残すなど、適応能力の高さを示した。, 2012年10月25日に行われたドラフトでロッテから3位で指名された。本人は捕手で指名されると思っていなかったが捕手で指名された。, 2013年には、高卒の新人捕手ながら、一軍の公式戦7試合に出場。打撃面では、2本の安打を放ったほか、プロ初打点を記録した。チームのシーズン3位によって進出したクライマックスシリーズでも、埼玉西武ライオンズとのファーストステージで2試合、東北楽天ゴールデンイーグルスとのファイナルステージで1試合で途中からマスクを被っている。, 2014年、7月15日の福岡ソフトバンクホークス戦では、内野手が不足したために延長10回から本職のキャッチャーではなくセカンドとして出場。12回表、先頭打者の松中信彦の一二塁間を破ろうとする鋭い当たりを好捕し、アウトにするファインプレーも見せた。開幕スタメンの里崎智也の怪我離脱もあり7月14日に捕手としてスターティングメンバーになって以降閉幕までチーム捕手では2番目に多い47試合に出場し盗塁阻止率は.412を記録した。, 2015年、開幕正捕手の座に指名され、打撃こそ1割台と苦しんだが、2015年6月13日、対読売ジャイアンツ2回戦(QVCマリンフィールド)、6回裏に杉内俊哉からプロ初本塁打を記録。捕手として117試合に出場し自慢の強肩でチームを引っ張り、盗塁阻止率は12球団トップの.429を記録した。, 2016年、シーズン序盤は打率1割台と苦しんだが、6月に復調して月間打率.400を記録し、パ・リーグ打者部門の月間MVPを受賞した。パ・リーグの捕手としては2004年6月の城島健司以来12年ぶり、球団では1992年4月の青柳進以来24年ぶりの快挙となった[4]。 右投右打 身長174cm・体重80kg。9 9月30日現在、2019年シーズン 田村 龍弘 選手の成績は、打率.242、長打率.323、出塁率.294でOPSが.617です。