では早速、巨人からドラフト1位指名を受けた歴代の選手をみていきましょう。 流石は常勝軍団巨人ドラフト1位の選手ですね。歴代の監督・エース・主将を経験した選手たちがズラリと名を連ねています。 獲得タイトルも新人王、そしてベストナインやゴールデングラブ賞に何度も輝いている選手が大勢いますね。 中には一軍出場できなかった選手もいますが、活躍した選手たちは日本球界を代表するような記録を作っています。 巨人サプライズドラフト! 「坂本勇人」同姓同名選手、日本人歴代最長身2メートル選手を2人指名 [ 2020年10月26日 21:02 ] 野球 主な事件・不祥事. ドラフト歴代指名選手一覧ページです。年代別・チーム別で当時のドラフト情報を掲載しています。棒グラフで守備や属性、現役・引退の人数を表示。グラフをタップすることで各球団に当時指名獲得された選手のうち、指標に該当する選手がハイライトされます。 プロ野球選手になるには毎年秋に開催されるドラフト会議で指名されることが通例です。このドラフト会議では各球団が最も欲しい選手を1位指名、以降球団ごとに指名選手の数に違いはありますが、6位から9位くらいまで指名したところで指名終了となります。, 1位指名となればアマチュアでの実績や類まれな才能が評価され、スター選手候補生あるいは即戦力選手として最も期待される選手と言えます。複数球団からの指名ならばマスコミの取り上げ方もさらに大きく、契約金、年俸といった待遇も破格の条件となります。, そんなエリート中のエリートの中でも球界1の人気を誇る読売巨人軍に1位指名された歴代の選手にはどんな選手がいるでしょうか?また過去の指名競合選手を見るとくじ運が悪い?としか思えない抽選の歴史や1位指名されながら史上唯一その誘いを蹴った選手もいました。早速見ていきましょう!, プロ野球のドラフト制度は1965年にスタートし50年以上の長い歴史があります。いろんな問題、課題を抱え解決しながら現在に至ります。大きく変わったのは93年から採用された逆指名制度、さらに2005年から高校と大学・社会人枠の分離開催、そして現在は高校と大学・社会人枠を一括とする元の指名制度に戻っています。, 関連記事:数々のドラマやエピソードを生んだプロ野球のドラフトってどんな制度?ドラフトならではの面白さとは?, さまざまな変遷を経て現在に至るドラフト制度ですが、巨人のドラフト1位選手には過去どんな選手がいたでしょうか?早速見ていきましょう!, 1965年の第1回から1992年の第28回までは、基本的に1位指名して重複する球団があれば抽選、2位以降はウェーバー方式(前年の下位球団から指名、次の指名順位は上位球団から指名を繰り返し、抽選せずに指名権獲得)という現在の方式にほぼ近い形でドラフト指名会議が行われました。, ただし第3回から第13回は予備抽選方式で指名順をあらかじめ決定、指名順に指名権獲得となったため1位指名の競合抽選は行われませんでした。1993年からは逆指名制度が導入されていますので、この前年の1992年までのドラフト1位選手を見ていきましょう。, 第1回のドラフト1位指名は大投手堀内恒夫投手でした。巨人V9時代の大エースで通算203勝で名球会入り、日本シリーズでも歴代1位の通算勝利数11勝でのちに巨人軍の監督まで務め参議院議員にもなりました。, 関連記事:プロ野球日本シリーズ最多本塁打や勝利数など通算成績は?セパ、投手野手のシリーズ男にはどんな選手がいる?, 第3回のドラフト1位選手は高田繁選手でV9時代の中心的選手で主に外野手として活躍しました。高田氏は後に日本ハム、ヤクルトで監督を務め日本ハム、DeNAではGM(ゼネラルマネージャー)に就任しています。, 第10回の定岡正二投手、第11回の篠塚利夫選手、第13回の山倉和博捕手は当時のジャイアンツの主力として活躍しました。, 第14回は今でも語り草の江川投手の「空白の1日事件」によるものです。前年のクラウンの1位指名を断った江川投手とクラウンとの交渉期限が切れた日の翌日、この年のドラフト会議の前日(空白の1日)に江川投手と巨人が契約しましたが、セリーグがこの契約を無効としたことに不服の巨人がドラフトを欠席したものです。, 第16回の原辰徳選手は、大洋、日ハム、広島と巨人の4球団で競合、当時の藤田監督が見事当たりくじを引き当てました。原選手は新人王に輝くとともに巨人の4番打者として活躍、後に巨人の監督として8度のリーグ優勝を達成するなど名監督でもあります。, 第17回から23回までは第20回の上田選手を除き全て高卒の投手がドラフト1位でした。槇原選手、斎藤選手、水野投手、桑田投手、木田投手、橋本投手といずれの投手もチームの主力として活躍、先発3本柱の槇原、斎藤、桑田投手に中継ぎの水野、木田、橋本投手は当時の盤石の投手陣でした。, いずれの選手も競合なく単独指名となりましたが、早稲田大学進学を表明していた桑田投手を単独一本釣りした時は、巨人入りを熱望し巨人と相思相愛とされていた同じPL学園のチームメイト清原和博選手を指名せず桑田選手を指名したことで物議をかもしました。, また第25回は当時高校野球界のスーパースターでスラッガーの元木選手と相思相愛とされていましたが、慶応大学の大森選手を指名。元木選手はダイエーに1位指名されるも入団拒否、1年間の浪人生活を経て翌年の第26回で無事1位指名されました。, 第28回の松井秀喜選手は、原選手同様4球団競合の末、当時の長嶋監督が見事当たりくじを引き当てました。松井選手は言わずと知れた巨人の4番打者、その後メジャーリーグのヤンキースでも大活躍するほどの選手となり、長嶋監督と同時に国民栄誉賞を受賞することになります。, ここまでの巨人のドラフト1位指名選手は多くの選手が活躍していますが、実は外れ1位の選手も多くくじ引きの結果は決して良いものではありません。しかしともに4球団競合のくじを引き当てた原選手、松井選手は巨人軍の顔として球界をも代表する選手となりました。, ここ1番のくじ引きでスーパースターを引き当てるあたり何か運命めいたものがあるのを感じてしまいます。, 第29回の1993年からは、球団が1位、2位で指名する大学、社会人選手に限り、選手側が希望球団を選べる逆指名制度が導入されました。高校卒の選手は従来通り1位で競合した場合に抽選が行われましたが、比較的無風なドラフト会議となります。, 2001年からは自由獲得枠として大学、社会人選手を2名まで指名可能、2名指名すると1~3巡目まで指名できず1名指名の場合は1,3巡目のみ指名、0名の場合は2巡目のみ指名できない制度に変わります。さらに2005年からは高校と大学・社会人枠が分離され2007年まで続きました。, 逆指名で1位指名された選手の中でも、第33回の高橋由伸選手、第34回の上原浩治投手、第35回の高橋尚成投手、第36回の阿部慎之助捕手は4年連続で大成功と言えるドラフト指名でした。, 高橋由伸選手は、松井選手とともに巨人のクリーンナップを任され強力打線の中心選手として活躍、巨人の監督も務めました。上原投手、高橋尚成投手は左右のエースとして投手の柱として貢献、後に2人ともメジャーリーグで活躍しました。阿部捕手は強肩強打の正捕手として巨人の投手陣をけん引、名球会入りも果たしています。, その後も第39回の内海投手は巨人のエースとして活躍、42回の高校枠坂本選手は今や球界を代表するスーパースターとして現役で活躍しています。, 巨人に逆指名で入団するだけの選手ですのでその実績は輝かしい選手が多いですが、高卒の選手は坂本選手以外は目覚ましい成績を残すことができなかったように思います。, 逆指名制度ですので必然的に大学、社会人が多くなりましたが、高校枠での外れ1位が相変わらず多くくじ運が悪いという印象が強いです。1位指名の競合で当たりくじを引き当てたのが第41回の辻内投手のみという相性の悪さです。くじ運だけはどうしようもないですね。, 2008年からは、大学・社会人枠と高校生枠が撤廃され制度スタート当初の一括会議に戻りました。逆指名がなくなりすべての選手が1位指名で競合されれば抽選というスタイルとなりました。, 第44回以降の1位選手も活躍した選手が多くいます。第44回の太田選手は2球団競合の末に当たりくじを引き当てましたが、なかなか一軍で好成績を上げられず2017年からはトレードにより日本ハムへ移籍、日本ハムに行ってからは規定打席にも到達、主力として活躍しています。, 45回の長野選手は2006年に日ハム4巡目、2008年にロッテ2巡目で指名されるも入団拒否、3度目の正直で巨人が1位単独指名で獲得しました。長野選手は2019年に巨人へFA入団した丸選手の人的補償として広島に移籍し、広島でも活躍してます。, 第46回の澤村投手も巨人入りを熱望したため他球団も指名回避、巨人が2年連続で1位単独指名に成功しました。ここ数年はケガに悩まされてはいましたが、かつてはセーブ王も獲得し現在は中継ぎとして活躍しています。, しかし48回のドラフト1位指名は、巨人入りを熱望していた原監督の甥東海大菅野投手を指名しますが、日本ハムも1位指名したため抽選となり結局日本ハムが交渉権を獲得しました。菅野投手は断固として入団を拒否し、翌年48回のドラフトで巨人に1位指名されました。, 49回は外れ1位ながら小林捕手を獲得、巨人の正捕手の座をつかみつつあります。以降の1位指名でも岡本選手、桜井投手、吉川選手、高橋優勝貴投手も若手ながら巨人の中心選手に育ちつつあります。, ここでも際立つのが外れ1位の多さです。大学・社会人も抽選対象となったため抽選の機会は増えましたが、太田選手以外の競合選手は全て外し、52回以降は5年連続で抽選を外しています。, 巨人のドラフト1位指名選手の活躍ぶりも大したものですが、それ以上にくじ運の悪さも際立っています。実際どれくらいくじ運が悪いのでしょうか?続いて見てみましょう!, 過去56回のドラフト会議において巨人が1位競合した回数は23回あります。このうち見事当たりくじを引いたのは4回です。この4回は, 以上となりますが、2球団競合が4回、3球団競合が5回、4球団競合が5回、5球団競合が2回、6球団競合が2回、7球団競合が1回でした。なお当たりを引いた時の競合球団数は、原選手、松井選手が4球団、辻内選手、太田選手が2球団です。, 単純に2球団競合では6回中2回、4球団競合では7回中2回ですので2球団競合での確率が3分の1とやや勝率は悪いですが、4球団では逆に3.5分の1と勝率は若干良いです。しかし3球団競合は5回中0回、5球団以上の競合は確率がかなり低くなるとは言え1回も当たりがありません。, 特に巨人が競合する球団でソフトバンク(ダイエー)、ヤクルト、日ハムとの相性が悪く、4球団以上の競合では松井選手の時はソフトバンクと競合して当たりくじを引きましたが、これ以外はソフトバンクに4回当たりを持っていかれています。また2球団の競合ではヤクルトに0勝2敗と当たりくじをさらわれています。, 2球団競合、3球団競合での当たりが少ないのでくじ運は悪いというのもあながち外れてはいないと言えそうです。しかし外れ1位の競合でも2019年宮川哲選手、2018年辰巳涼介選手、2017年村上宗隆選手、2016年佐々木千隼選手と4年連続で外すという点からいえば筋金入りのくじ運の悪さです。, ここまでのドラフト指名選手を見る限り憧れの巨人軍への入団を熱望する選手が圧倒的に多い中、このドラフト1位指名を蹴った選手が過去にいます。巨人のドラフト史上1位指名を蹴った選手は1人しかいません、1973年の第9回ドラフト1位指名選手小林秀一選手です。, 小林秀一選手とは、熊本県の八代第一高校(現秀岳館)から愛知学院大学へ進学し投手として活躍しました。4年生時の全日本大学野球選手権大会で早稲田大戦で完封、準優勝に大きく貢献して、即戦力の右のアンダースローとしてプロの注目を浴びました。, そして同年のドラフト会議で巨人に1位指名されますが、入団拒否します。小林投手は予定通り熊谷組に就職し、翌年の都市対抗野球大会でも活躍します。結局、熊谷組には8年間在籍した後、母校の愛知学院大の野球部監督に就任しました。, 同大学の野球部監督として愛知大学野球リーグでは15年間で12度のリーグ優勝を果たし、準教授として教壇にも立っています。, 小林投手が入団拒否した背景には、当時のプロアマ規定が影響しているようです。プロ野球経験者が引退後にアマチュア野球の指導者になろうとしても当時は制約が大きく、特に高校生以上の指導者になるのはかなり困難でした。, アマチュア野球の指導者になることも視野に入れていた小林投手はこのためプロ入りには消極的だったようですが、それでもプロ入りに気持ちは揺れていたようです。しかし巨人に指名されれば入団するのが当たり前という球団側のおごりを嫌がった小林投手は結局断る決心がついたようです。, 今では考えられないドラフト1位指名の拒否ですが、当時のプロアマの関係といった時代背景が大きく影響したケースでしょう。この年の巨人は2位指名、3位指名の選手も入団拒否しています。1位指名以外の選手の入団拒否はこれまでもいくつかはありましたが、巨人のドラフト1位指名の入団拒否は小林投手が唯一でした。, 読売巨人軍の歴代ドラフト1位選手について紹介してきましたが、実に多くの選手が活躍しています。代表的な選手は、, など多くのスター選手を輩出する一方で、くじ運が悪いのでは?という疑問も本当か検証してみました。, ドラフトの歴史も50年以上となればいろいろなエピソードがありますが、巨人の1位指名選手は活躍する選手が多い一方でくじ運はなかなか悪いと言えそうです。しかし確率の問題ですから、この先当たりを引くことが増えるかもしれません。, そういう点では2020年はそろそろ当たりを引くのではという思惑があって佐藤輝明選手にあえて競合を覚悟で指名したのかもしれないですね。結局5年連続で外してしまいましたが、2021年以降の巨人のドラフト戦略と抽選にも注目したいですね!.